又三郎のしわざ | 「きたえちご米店」の店長 高崎美由貴のブログ

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金助農業㈱での農作業報告や農政のこと。それと、子育てを通して思う教育のこと。興味のおもむくままに行動する私の日常と感じたことを綴ります。


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少し前に武田鉄矢さんが、
風の又三郎の解釈をしていた。

それまで、宮沢賢治の世界観がよくわからず、
私の読解力、国語力では感動できなかった。

行間を読むというか、
書かれていることは比喩で、
本当は賢治はこういうことを言いたかったんだよと、言われても、
そんなこと想像もできなかったし、
そんなものなのかなぁと。

武田鉄矢さんの風の又三郎の解釈も、
すぐには納得できず、
深読みではないかとも思った。
現にその解釈は独特で、
みんなが、全てそういう解釈というものではなかった。

宮沢賢治の世界観を知りたいのに、
わからないというもどかしさ。

でも、理解したいので、本を読んだり
テレビでやっていれば気になって見ていた。

この前、これもテレビドラマなんだけど、
宮沢賢治の教師時代のことをやっていた。

そこでの賢治は熱血で、人情深く、
私の思っていたイメージとは違っていた。
農作業に汗をかき、
子どもたちに西洋料理を教えたり。

クラシック音楽に詩を付けたり、
当時では先進過ぎて、
変わり者扱いされていた。

そういう人間性を知った上で、
風の又三郎の解釈を聞くと、
深読みではなく、
本質を言っているんだと思えた。

又三郎は少年たちを遊びに誘う。
でも、それは命を掛けるような危険な遊び。
時にひやっとしたり、
少年たちは泣き出したりする。

思春期を前にした少年たちに、
死の恐怖を教えるために。

又三郎に会った子どもたちは、
遊びのなかで、死の恐怖を学ぶらしい。

馬追いや川で魚取りをするなかで、
又三郎は友達の足を溺れるまで掴んだりする。

そして、少年たちが死への恐れを知った頃、
又三郎はふっと居なくなる。
少年たちは大人へと変わっていく。
というような解釈。

少年たちは、
時に命をかけた遊びに夢中になる傾向がある。

だから、

防ぎようがないということも言える。

でも、たら、れば、

今回の悲しい事故で、
真っ先にこの又三郎の解釈を思い出した。

誰も責めることができない。
やり場のない悔しさ。

少年を持つ親はこの恐怖にいつも脅かされている。
誰もが、うちの子かも。
と思ってしまう。

どの子でもあり得ることだから。


又三郎に会わないことを願うばかり。





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