学校教育に疑問を持ったので調べてみたらそれは洗脳だった。

 

19世紀のイギリスでは工場にてモノを大量に生産して産業を発達させようとしていた。工場で大事なのは、製造した製品が全て規格内に入るよう歩留まりを上げ、生産性を向上させることである。従業員に求められることはリーダーの指示をしっかり聞き、ミスをしないということである。

 

ここで必要な人材とは、周りと協調でき間違った行動をとらない従順な人材である。よってこのような人材を育てないといけないので学校教育というものができたとされる。学校は「子供」という原料を使い、産業社会に適応
した大人を大量生産する「工場」
ということである(堀江貴文、すべての教育は「洗脳」である、光文社、2017年)。

 

学校では先生と呼ばれる存在がおり、教科書があり、子供は先生から教えられた内容を覚えなければならない。より多くのことを正確に覚えた人間が日本においては高偏差値人間となり偏差値別にそれぞれの偏差値の大学に送り込まれる。企業においてこの学校教育という洗脳にしっかりはまった人間ほど扱い易いらしい。従順で理不尽な仕事にも耐性が高いとされているためである。より大きい有名な会社に入れば高給取りとなり、安定した生活が手に入るため、そこを目指すことが人生における成功への近道だと刷り込まれて。

 

国家というものはただ、工場労働者の育成のためだけに学校教育システムを作ったのか。国家が育成したかったのは優秀な国民である。国家が国民に求めるのは兵士として戦うこと、子供を作ること、納税することである。この3つを行うことで国が未来永劫続いてもらわないと困るということか。学校は国民のナショナリズムを育成する機関となり、理想の国民像を国民の頭に刷り込んだ。子供たちが優秀な納税者となるように労働の重要性とイロハを教え込み、多くの国民を生産(出産)させ、あるべき家庭の価値観まで刷り込んだ。人それぞれの価値観は違うのにも関わらず。この様に皆同じ人生を歩み、同じような考え、価値観を持ってもらう方が一部の支配者層にとっては都合が良いということか。
 

私は大学院博士課程まで進学したが、大学時代は果たして意味があったのかを振り返ると疑問が残る。人はある程度の年齢になるとお金を稼いで生きていかなくてはならないが、私は、大学時代に学んだことでは到底お金を稼ぐ
ことはできない。換金方法が分からない。恐らく日本ではほとんどの大卒の人間がそうではないか。今就職している会社の看板を外した途端にただの人になっていると思う。

 

学校時代に一番身につけなければならないのはお金を稼ぐ方法ではないかと思う。日本の学校教育ではそれをわざと教えていないと思えるようになってきた。国民がそれぞれの価値観でそれぞれ好きな仕事に就かれると支配者層は管理しにくいのか。支配者層とは何を示すか分かりませんが。分かるいれば教えてください。

 

世の中には高校や大学に行かずに自分の趣味や好ひときなことを仕事にしている人たちがいる。そういう人たちは揃って自由を手にしていると思う。好きな髪型をし、好きなファッションに身を包み、好きな時間にお金を稼いでいる。恐らく彼らの好きなことを貫くという過程で換金方法を身に着けたのだと思う。

 

どう考えても私はそっちの方が豊かな人生を歩めると思っている。
今からそっちの世界の住人になれるよう励んでいきたい。