愛しのニート人生

愛しのニート人生

ニートは何を考えて生きているのかを知ってもらうために、ニート生活を通じて感じたことをありのままにつづったブログです。

長らくお待たせしました。

それとも待っていませんか?

私の新しい本が発売されました。

題して『勉強なんかやめちまえ!』です。

AmazonのKindleストアで配信中です。

オンデマンド版(紙の本)としても発売しています。

ただしリアル書店では注文できないのでご了承ください。

こちらをどうぞ。

 

一昔前まで日本は学歴社会と言われていました。

そこでは一流大学を卒業した人が高収入を見込める職業に就いていました。

これが過熱した受験戦争を巻き起こした原因です。

しかし、このシステムはバブル崩壊と平成不況で動揺していきました。

その後もリーマンショックなど経済危機があいつぎ、

決定的に滅び去ったのです。

 

こんな時代になっても勉強する必要があるのでしょうか?

それでも「お勉強信仰」に囚われるのはなぜでしょうか?

我々は根拠もなく「学生の本分は勉強だ!」と盲信しているにすぎません。

この固定観念を解体します。

 

Amazonの紹介文には次のセンテンスがあります。

「本書は幻想にまどろむ青少年を救うために書いた新しい人生論である」

これは形式です。

よく「我が息子に人生訓を諭す」という本がありますが、

本当に対象読者を一人に絞っているわけではなく

誰が読んでもわかるようになっています。

本書も学生だけを対象にしたものではなく

教育や受験に関心のある全ての人に読んで欲しい一冊です。

 

現代では電車に乗って通学・通勤するのが普通になりました。

片道1時間、往復で2時間ほどかかります。

私は学生の頃ばからしいと思いました。

1日は24時間しかないのに移動のために2時間も費やすのです。

 

そこで我々はこの時間を何とか有効に使おうと苦心しました。

その結果、様々な文化と技術が開かれました。

 

電車内で漫画を読むようになって漫画文化が隆盛しました。

1995年には週刊少年ジャンプの発行部数が650万部に達しました。

片手でつり革をつかんで片手で折りたたんだスポーツ新聞を読む強者もいました。

歩きながら音楽を聴くウォークマンもヒット商品になりました。

 

今はスマホいじりをする人が多数派になりました。

一台でたいていのことができるようになって便利になりましたが、

工夫しようという精神を失ったのかもしれません。

 

去年から学校と会社もリモートに切り替わるところが増えました。

私が通っている事業所も今月から奨励し始めました。

わずらわしさから解放されましたが、

拍子抜けしたような気がします。

 

どんなことも不便さを克服しようとする過程で

発明とイノベーションが生まれます。

我々は便利さに安住するあまりガッツを失ってはいないでしょうか。

今週、補欠選挙がありました。

広島県は河合案里氏が失脚した後なので

全国的に注目されたと思われます。

 

近年、選挙があるたびにオンライン投票の是非が問われます。

開票作業に時間と手間がかからないし

過疎地に住んでいると投票所まで行くのが大変なので

利便性は格段に上がります。

 

それについて私はこう思います。

オンライン投票ができるなら国会議員はいらなくないですか?

 

新型コロナウイルスが蔓延してから

リモートで会議をする機会が増えました。

国会もそうすれば地方に住んだまま議論できるようになるので

議員が東京に集まる必要はなくなります。

何よりもオンライン投票が実現すれば

法案の採決を全て国民投票で行うことができます。

 

古代ギリシャの民主政には

選挙で議員を選ぶという制度がありませんでした。

近代の国家では国民が一堂に会することができないから

選挙が行われるようになったのです。

しかし、インターネットが発達した現代なら

ネット空間に集まることができます。

議会や選挙はそれがない時代の産物にすぎなかったのです。

 

ネット社会ではいろんなものが必要なくなりました。

雑誌は次々と休刊し、電話帳も今年で最後になります。

「国会議員はいらない」が世論になるのも

遠い日のことではないでしょう。

 

永田町でオンライン投票を実現しようとする機運が全く高まらない理由も

ここにあるのですね。