内モンゴルから来た悪ガキ演奏家がやらかしたこと | 如月隼人のブログ

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【1】
例によってずいぶんに前ですけど
内モンゴルの馬頭琴という民族楽器のアンサンブルが来日した際に
お付き合いしたことが何度かあったわけです

大手の音楽事務所が招聘したんじゃなくて
よくあったケースは
「実行委員会」みたいな臨時組織が呼んで
地元の演奏会だけだと
完全に赤字になってしまうので
それ以外の地域の人に呼び掛けて演奏会を手配を手配してもらい
例えば往復の航空運賃の一部を負担してもらう
てな具合でした

で名古屋に劇団兼音楽事務所の会社があって
愛知県一帯の公演を手配していただけることになりました

ということで
私もついていったわけです
私も
アンサンブルのメンバーと同じホテルに宿泊です

音楽会を手配した会社からは
若い男の子1人が全旅程に付き添いました
私がついているので通訳を雇う必要はありません

ただその事務所の男の子はとっても真面目でね
私は本来
舞台上の解説をする約束で名古屋に行ったわけで
私に通訳までさせるには申し訳ないです
てなことを何度も言うわけです

私としては通訳をするのはむしろ
日ごろは使う機会が少ない中国語とか
本当にカタコトのモンゴル語を使う機会だったので
ありがたかったのですけどね

でもって
その男の子は
私に負担をかけまいと
モンゴル人とできるだけ自力で意志疎通をしようとする

ある日のことです
演奏会が終わって夕食(というか宴会)も終わって
ホテルに戻ったわけです

その男の子は
ロビーで翌日の集合時間の説明を始めた
足元を指さしながら
「ロビー、ロビー!
モーニング、エイトオクロック
モーニング、エイトオクロック!
OK?」なんて言っている

モンゴル人の面々は「エイトオクロック」は分かったみたいでした
中国語の日程表は渡してあるので
次の日は8時出発とうことはご存じでしたしね

でも
「ロビー」は通じませんでした
チェン・バイラーという馬頭琴弾きが私に
「ロビーって何だ?」と聞きました

私は「このホテルの大庁(ダーティン)ですよ」
と教えました

するとたしか
ブフナスンという別のモンゴル人の馬頭弾きが
「妙な言葉だなあ。まるでラオビーだ」と言い出しました
ラオビーという中国語の意味は敢えて書きません
とてもお下品な言葉
とだけご紹介いたします
ちなみに「ラオ」は3声と呼ばれるイントネーションで
声を低く押し込めるように発音し
「ビー」は高い音を上下しないように発音します

さてさて
ブフナスンに続き
あれはだれだったかなあ
私に「あの男の子にちょっと通訳してほしい」と言い出した
何のことかと思えば
「あなたの『ロビー』という発音は、モンゴル語とは違うので分かりにくい
こういう風に発音してほしい」
といって
先ほどの3声+1声の「ラオビー」を発音して
その男の子に繰り返し練習させるのですよ
しかも大声で

もとより真面目な子ですから
大勢の人が出入りするホテルのロビーで
遠くからも聞こえるぐらいの音量で
とんでもない言葉を繰り返しました

短い言葉ひとつですから完全に覚えてしまいました
愛知県内にはそれから数日滞在しましたが
その男の子は毎日のように
ホテルのロビーでの解散時には
「ラオビー、ラオビー!
モーニング、エイトオクロック
モーニング、エイトオクロック!」
と叫びまくったのでした

その馬頭琴のアンサンブルのメンバーはね
たしかすでに
大半が30代とか40代でした
実績のある「演奏家」だったのですけどね

やることがまるで悪ガキ

【2】
これは別の演奏団体の話です

馬頭琴のアンサンブルではなくて
それぞれ別の楽器を専門とする数人の演奏団でした

そのなかにマンダホという
割と若手のヨーチン奏者がいました
ヨーチンとは中国でいう揚琴(ヤンチン)のことで
同系統の楽器が東欧なんかではツィンバロン
と呼ばれています

このマンダホがホテルに到着した際に
ドルジリンチンという弾き語りの名手の先生に
妙なものを渡した
携帯電話が普及してからなくなりましたけど
一時は公衆電話にベタベタ貼られていた
ピンクチラシです

ドルジリンチン先生はそれなりに年配でね
とてもまじめな人でした
いや
ユーモアは大好きなのですけど
人の言うことをそのまま素直に信じてしまう性格
(モンゴル人にはそういう性格の人がけっこう多いです)

でもって
渡されたピンクチラシを見てビックリ
「なんじゃこりゃ?」
するとマンダホは
「明日の朝食の食事券です」てなことを言い出した
いくらなんでも
食事券に露出度が高い女性の写真が使われるとは思えない
ドルジリンチン先生もそう言った

するとマンダホは
「ここは日本なんです。日本ではこういう風にしないと客が喜びませんから」
てなことを言い出した

中国では1980年ごろから
外国から「エロビデオ」が大量に流入しましてね
特に日本のものが多かった(そうです)

でもって
そういうものに初めて触れた多くの中国人は
「架空のお話」てなことを知らないので
「日本というのはエロにあふれた国なのか」
と思ってしまった

ということでマンダホの
「日本ではこういう風にしないと客が喜びません」という説明は
かなりの説得力があったみたいです

ということで
ドルジリンチン先生は「おかしいなあ」と思いつつも
信じてしまった

それでもって翌朝のことです
私とマンダホはすでに食堂に来て
朝食を食べておりました
遅れてやってきたドルジリンチン先生は
食堂入口で朝食の受け付けをしていた若い女性に
その「食事券」を見せた
女性の顔が引きつった
上司らしい中年の男性のところに行って
ドルジリンチン先生を横目でちらちら見ながら
何か話しています

するとマンダホは私に「本物の食事券」を取り出して
それがドルジリンチン先生の分の券と言い
「あの女性に説明して渡してほしい」
てなことを言い出した

いやな役まわりだなあ
ただ私としてはトラブルを大きくすることもできないので
女性接客員の所にその食事券を持って行って
「慣れないので勘違いをしたみたいです これがあの人の分の券です」
と言って渡した

まあ女性接客員も面倒はいやだったのでようね
「はああ」てな感じの曖昧な返事をして
ドルジリンチン先生に「どうぞ」と言って
外国人なので言葉が通じないことは分かっているので
身振り手振りで食堂内に入るように指示したのでした

でもなあ
マンダホはどうやって
あのピンクチラシを手に入れたのだろう

注:
品格の問題もあり 「刺激が極小」の写真を使いました