内モンゴルの著名作曲家、ムルジフ氏が死去 研究分野でも功績、幼少期を大阪で過ごし日本文化を評価 | 如月隼人のブログ
2017-05-20 10:26:48

内モンゴルの著名作曲家、ムルジフ氏が死去 研究分野でも功績、幼少期を大阪で過ごし日本文化を評価

テーマ:文化・芸術

内モンゴル音楽家協会主席などを務め、多くの作品やモンゴル音楽史や音楽理論研究に功績のあったムルジフ(漢字表記は莫爾吉胡)氏が19日、亡くなった。85歳だった。ムルジフ氏は幼少期を日本で過ごした。日本語に堪能で、古い日本文化を評価することもあった。

ムルジフ氏は1931年5月、現在の内モンゴル自治区シリンゴル盟で生まれた。ムルジフ氏の父親が現大阪外国語大学で蒙古語を教授することになった関係でムルジフ氏も幼少時を日本で過ごし、日本語が堪能だった。ちなみに作家の司馬遼太郎氏はムルジフ氏の父親の教え子だったという。

ムルジフ氏は日本について政治面ではあまり多くを語らなかったが、日本での生活を懐かしみ、伝統的な日本の文化を評価することがあった。その反面、改革開放政策が始まって再び日本人や日本社会と接触する機会が増えてからは、日本語を含め日本文化の乱れを嘆くことがあった。

帰国後の1946年に作曲を本格的に学びはじめ、1954年からは上海音楽学院で作曲を学んだ。上海音楽学院は中国でもトップクラスの音楽大学で、モンゴル族など少数民族が入学する例は珍しかった。

1960年には内モンゴルに戻り、内モンゴル芸術学院院長、内モンゴル映画製作所所長、内モンゴル音楽家協会主席などを歴任した。作曲家としては合唱曲や合唱付交響詩、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲、歌曲など幅広いジャンルで多くの作品を残した。映画製作所所長としても高く評価され、映画音楽17本の作曲を手掛けるなど専門分野を通じても作品の質向上に貢献した。

民族音楽研究者としては、内モンゴル以外にもモンゴル族が居住する多くの地方を調査して、それまで各地に個別に存在していた音楽事象を系統づけるなどの功績を挙げた。特に重要なのが「チョール」という事象に対する考察だった。

「チョール」は広い地域にわたり、「ホーロイン・チョール(喉のチョール。1人の唱者が同時に2つの音声を発する、ホーミーと同じ技法)、「モッドン・チョール(木のチョール)」、「チョーリン・ドー(合唱のチョール)」、「弦楽器のチョール」など形態のことなる伝統として存在していた。

権威的な辞書でも、編纂者が自分の出身地の「チョール」だけの知識にもとづいて記載したので混乱が生じる場合があった。

ムルジフ氏は各地の「チョール」を分析した結果、本来の概念を「低音のドローンと高音の旋律部の組み合わせ」と結論づけ、発展の過程を説明することにも成功した。ムルジフ氏の理論は他の研究者が提唱したモンゴル音楽の発展史と整合性があるなどで信頼性が高い。

モリン・ホール(馬頭琴)の形態についても日本の木工工芸品との比較によりヒントを得て「木板文化」、「木板文化以前」に分類して歴史的変化の過程を考察した。(編集担当:如月隼人)


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