イット・ケイム・フロム・アウタースペース | Museo Kircheriano

イット・ケイム・フロム・アウタースペース

その昔、キューブリックが「2001年 宇宙の旅」で宇宙人の見た目をどうすれば良いのかと悩んだという話をふと思い出した。
あの映画に出てくるというよりは、存在が暗示される宇宙人は、神々しくそして神秘的な存在と思えるような描き方だった。
それこそ、ヤーウェや約束の土地に連れて行く救世主とも言えるかもしれない、シナリオを考えれば。


しかし、ビジュアルはさっぱりない。
そう宇宙人として画面に出てくるものはないのです。
かつて、誰も想像し得ない神のような知性を持った存在を描こうと考えたとき、
「誰も想像し得ないのだから、それは描けない」という結論に達し、あのように暗示のような描写になったと聞く。
多分、どれだけ凝ったビジュアルを用意したところで単なる怪物にしかならないのであろうから、あの映画での選択は間違っていなかったのだろう。
人間は自分が見たモノの延長でしかものを判断できないし、それでしか想像をできないってことだ。
それは仕方の無いことだ。
まったく、想像を超えたものは違和感でしかありえないんだから。
これが差別の根源にもあるんだろうということは容易に想像できる。


何も先入観無しで考えるってことの難しい。


この映画はレイ・ブラッドベリの「何かが道をやって来る」の映画化である。
この映画が出てくる宇宙人は、見た目はチープな作りもあってか、ストレートに醜悪な一つ目の霧のような見た目である。
声も無く、これが近づいて来たら恐くて逃げ出してしまうかもしれない。
しかし、この宇宙人は自分らの宇宙船を直したいだけで、誰にも危害を与えるつもりは無かった。
高い知性を持ったこの宇宙人は、非常に平和的である。
だが、人間は宇宙人の姿を見て悲鳴を上げ、恐がり、時として攻撃さえされる。
友好的でさえあった宇宙人も仕方なく、宇宙船を直して地球を離れていく。


ここで宇宙人と人間の間にあった問題は「見た目」だけだ。
しかし、これが決定的だった。


人は見た目ではない とか、人は収入じゃないとか、 人は学歴ではないとか、 人は人種ではないとか言っている人が非常に多いが本当に、そう考えているのか甚だ疑問だ。


勘繰りやすい性格かもしれないけど、人は自分のことを正しく理解出来ているとは限らない以上、いつもどこかで冷めた観方をする。


これだけ化粧品が売れていて、ダイエットサプリメントが売れていて、美容整形で財を作れるのが現実だ。


差別というものが消えるのは遠そうだ、残念ながら。