ピカピカになった床と玄関から差し込む西日が醸し出す光と影のコントラストが雰囲気があっていいななんて思い、
そのアゲアゲな気分で草刈り機をブイブイいわせて庭の草刈りをしたら、思っていた以上に疲れていたようで、朝が起きれなかった木曜日の暑い午後です。
実は今日も休み。
明日から鬼の5連勤突入なんですよね
‟この2連休は要らなかった。この1日を5連勤の間に回してくれてたら”なんて思っていたのだけれど、そのお陰で久々に母と休みが被り、6月頭の健康診断以来、行きたいなと考えていた尼崎の商店街に行って来たんですよ。
今日は娘ちゃんが午後からの授業だったので、買い物をしてから学校に送り届けるという事で女3人旅。
母方の祖母が住んでいたから学校の長期休みには遊びに行き、市バスを使って買い物に出かけていた商店街なんですよね。両親共に尼崎で育ったものだから、懐かしさもあってか父が時々「尼行こうか」と言い出し、買い物に出かけるなんてこともあった場所。
父が亡くなり、尼崎に行くことも無くなっていたのだけれど、健康診断で近くに立ち寄った事きっかけで、母が懐かしさを感じ、寂しさを紛らわせたらいいなと「行きませんか」的な提案をしたんですよね。
それを言った時には、私が思っているほどの関心もなく塩対応だったのだけれど、数日前にテレビでその商店街が取り上げられていたことから、「今度休みが一緒やったら行く?」と今度は母からのアプローチがあり、一緒に出掛けて来たという訳です。
いつも運転手は父だったもので、いざ自分が運転してとなると道も不安。一応Googleナビを設定して出発したのだけれど、途中から「こっちが早いよ!」のルートを表示し始め、素直な私は何の疑いも抱かずにその指示通りに車を進めていたの。
尼崎に向かっているはずが西宮に向かわされており、「これでホンマに三和行けるんかちょっと心配になるなぁ」と私が言った一言がきっかけで、母のスイッチがON
我が庭のように思っているから、あっちに戻れだのこっちに行けだのと言い出した。
父の方向音痴もなかなかな物だったけれど、母も負けず劣らずなのは知っている私。いくら母の庭だとは言え、絶大なる信頼を置いているナビには勝てまいと、ナビの指示通りに車を走らせていたの。
「ここ西宮やん。全く逆、逆方向やって。とにかく2号線まで出て!そしたら道分かるから」と言い張っていた母だったけれど、国道2号線に入ってもそこかどこかは分からず。
結局、「尼崎市」に入り、昔っから変わらずあるお店や建物を見つけたことで、位置を把握してました。
でも、自分は自信があった道なのに分からない事、そして、どこを走っているのかは分かっているけれど見慣れた風景が変わっている様子にちょっとしょんぼりしておりました
なんとかコインパーキングを見つけて車を停め、商店街の看板を見るとちょっとテンションを取り戻した母。
私達は「三和商店街」と言っているのだけれど、正式には『尼崎駅前商店街』と呼ばれるようで、「尼崎中央・三和・出屋敷」の3つの商店街群の総称だそう。
その「中央商店街」からアーケードの中へ。
この側には、私が小学生の頃、祖母が良く食べに連れて来てくれていた回転寿司屋さんが今もありましてね。地元に回転寿司屋なんてない時代だったもので、すごいご馳走だとわくわくしながら回るお寿司を見ていた記憶がある。(間違ってなければ笑)
そんな話をしたことで、よりテンションが上がり「そうそう」と昔のことを懐かしく思い出しながら商店街内に足を踏み入れたのだけれど、母にとってももはやそこは未知の場所と化していたようで、右も左も、南も西も何にも分からない状態に。
10年ほど前だったか、私が訪れた時にも随分と様変わりしているなと思っていたのだけれど、かつての賑わいもなく閑散とした状態。シャッターが下りている店舗も多くて、えっ?となっていたら、「木曜 定休日」の案内があっちにもこっちにも。
それでも見慣れた商店があれば、どっちに進めば何のお店があるか母も思い出すかと思っていたのだけれど、とある場所で、「あれ?ここ長崎屋があったのに潰れてるわ」と言い始めましてね。
私が子どもの頃に解体されて無くなっていたのに、そんなことを突如言い出すもので色々心配にもなるってもので。
「あっちの通りに行ってみる?」と歩みを進めるも、
味わいのあるこの「市場」の独特の雰囲気も、
母にとっては魔界・迷宮の様で、めっちゃ不安気な顔をして私たちの後をついて回ってました。
「この雰囲気、何かのドラマで見た事があるなぁ。なんやったっけ」と考えていたら、
こんなサインとポスターが。母の事は言えず、私も記憶力が弱いからと思っていたが、案外覚えているもんだなと。
時折吹き抜ける風は心地よい物の、シャッターが閉まっているアーケードの中は、蒸し風呂状態。でも、こういう粋な風物詩が涼を運んできてくれ、日本人の感覚って素敵だなと思いましたよ。
こういうアートに出会えるのも、商店街の味わいかも
アーケードの天井にはこんな七福神のイラストが
スピリチュアル好きは私は思わずスマホを手にパシャっと撮ったのだけれど、よくよく見れば絵を描いた作者名があり、
すかさず「忍たま乱太郎な」と突っ込まれた笑
知らなかったのだけれど、作者の『尼子騒兵衛』さんは尼崎出身らしく、ファンは聖地巡りにこの尼崎を訪れるのだとか。意外と調べてみれば県内各地にそんな場所があるのでしょうね。
この夏っぽい路地裏の風景も素敵でしょ。この後、猫が来て日陰で毛づくろいしていて、その姿もまた「夏だな」と思わせるシーンでした。ベンチでホルモン焼きを食べている親子がいたから、それは撮れなかった
30年前はすたすたと母が前を歩き、祖母が体を左右に振りながらついて歩いていたけれど(O脚だった)、今は母が顔に汗をにじませ体を左右に振りながら私たちの後をついて回り(O脚)、最後には「もう無理、しんどい」と音を上げるほど。
‟ばーちゃんが買い物していてそんな事を言ったことは無かったけれど、あの時のばーちゃんより若いはずなのに、こんなことを言うなんて、いかに日々歩かずに生活しているかってことだな”と心の中でそっと思い、
「普段歩かへんからや。商店街往復しただけでしんどい言うやなんて、運動し」と優しく伝えておきました。(←絶対に優しくない笑)
と言いながらも、私も人の事を言えないのだけれど・・・。
娘ちゃんを学校まで送り届けた後の車内では、何もしゃべらず静かにしていた母。
歩き疲れ、暑さ疲れ、そして覚えていたはずの道や商店街の事を忘れてしまっている、分からない事に神経や気分を消失しつつあったのだろうと。気分が晴れるような何かをと思い、飛んでくる飛行機の話や子ども達が小さかった頃の話等を持ち出したら、嬉しそうに「あの時、お父さんがな」と饒舌に話していました。
特に何も感じていないかの様に日々過ごしているけれど、同じ記憶を持ち同じように話が共有できる人が居ないと言う事が、一番堪えるんだろうなと。
「あんな店があった」「こんな店になった」「あそこが」「ここが」「あの頃は」と、本当は父と話したいだろうけど、今はそれもできずでしょ。
もう一つ気晴らしにとサービスエリアに立ち寄り、お土産物を見たりたこ焼きを買ったりして帰ってきました。昔の何かを懐かしむより、今からの楽しい思い出が作れたら、そんな気持ちも解消されるのかもしれませんよね。
と思っていたら、家に帰り着くと回覧板が入っており、✔した後ご近所さんに届けに行ってルンルンで帰ってきましたよ。
1年ほど前に単身で引っ越してこられた方がいるんです。何軒か新しく入って来られた家族がいるもので、先週だったか歓迎会が開催になり母が出席したんですよね。
近所付き合いも避けているかのような感じの方だったのだけれど、そこで実は尼崎出身だと聞き途端に親近感がわいたようで、今日もそちらに回覧板を届けに行き、今日見て来た「尼話」をして帰ってきたと言ってました。
「あそこ、だいぶん前に壊されたらしいわ。ボーリング場ももうないねんんて」と楽し気に報告してきましたよ。
他所の男性とそんな話をしてきたと、嫁大好きな超ヤキモチ妬き父が聞いたら、ムムッとなり怒り狂っているだろうけど、遺影の中ではにこやかに仏の微笑みでおられる。
外面だけがいいのか。
って、そんな事を言っていたら、後でどんな事を仕掛けてくるか分からないからゴマすりならぬホルモンすりで、「お父さん、今日三和で買って来たホルモン焼きやで」と夕飯時にビールと一緒にお供えしよう。
暑い日のビールは最高ですからね