最近、一青窈のベストアルバム「BESTYO」を買い直した(正確には、後に収録曲のインストバージョンと「BESTYO」後にリリースしたシングル表題曲4曲を追加して再発された「BESTYO + INSTYO」ってCD)。

 もう20年ほど前、あの「もらい泣き」のヒットを目の当たりにして、「なんかスゲー新感覚の人が出てきた!」と感動した小学6年生の自分(まーあの当時デビューしていきなり売れる人って、大概新感覚な人だらけでしたが)。

最初は懐かしく聴いていたのですが、特にデビュー1年目のシングル曲について思ったのが

 

 「一青窈って元々、和製R&Bシンガーだったんだな」

 

 という事。

 

 たとえば、「ええいああ」旋風を巻き起こした、かの「もらい泣き」※勝手に命名

 パーカッションの用い方やブレイク、所々に挿入したヒップホップのスクラッチ等、R&Bのスタイルを押さえた音作り。

所々ビートを切りつつ滑らかに音の上を泳いでいく、ソウルやゴスペルのエッセンスを感じるボーカル。

(ちなみに一青窈はリアルにゴスペル経験者である。あのゴスペラーズのメンバーとも大学時代顔見知りだった)

 

 

もらい泣き 2002.10.30

 

 

 続く2nd「大家(ダージャー)」は、「もらい泣き」で提示したオリエンタルでR&Bな音楽世界に、泣きの要素を注入。
 

 

大家 2003.3.19

 

ちなみに「大家」は台湾語で「父親」の意。一青窈が幼少の頃に亡くしたお父さんのことを思って書いた歌詞が、深く訴えかけてきます。

 個人的には「もらい泣き」よりも好きな曲で、一青窈でもトップ3に入るくらいお気に入りの名曲です。

 

 

 そして3rd「金魚すくい」。

 凄いっす。これもまた名作。

   普通にUS仕様のR&B(マスタリングにブライアン・ガードナーを起用。エミネムやジャネット・ジャクソンを手がけていた人物です)。

  それでもどこかアジアの霧のようなエロチックさというか、適度な湿っぽさと猥雑なムードを感じさせるのが、一青窈ワールドだなと言う感じ。 

 

 金魚すくい 2003.7.9 

 

 ある意味、一青窈の一番の本領なんじゃないかな?と思ったり。

 

 

 一青窈が登場する少し前、2000年前後のJ-POPは空前のR&Bブームでした。しかし当時のR&Bの旗手達と決定的に違ったのが、一青窈は「日本」「アジア」ぽかったという事。

 それは何といっても、初期の一青窈の歌詞には英語が一切使われていなかったというのが大きい(「大家」をはじめとして、母国語である台湾語をフィーチャーする事は多かったけど)。

 

 例えば、R&Bブームを激化させた宇多田ヒカルは、日本語と英語が混ざった作詞スタイルであるとか、リアルにネイティブな発音や文法が、表現の妙に繋がった部分があると思う。時々奇妙な日本語のアクセントなども含め、聴き手にユニークに響いたり、刺激的でカッコよく感じられる、っていう。

 

  英語がベースの宇多田ヒカルに対して、日本語(時々台湾語)がベースの一青窈は日本語。

 「ええいああ」とか「しゅるり」とか「あっちら こっちら」といった擬声語や、日常会話でも歌詞でも決して多用しない語彙、センテンス。

  更に付け加えると、一青窈は日本語、台湾語、英語のトライリンガル。複数の言語を操る歌手特有のドライな発音、発声は立ち上がりが早く、何より質感が軽いので、リズム命な音楽にもスムーズに乗りやすい。言葉もはっきり立っているから、時には奇抜なフレーズも何と歌っているのか、はっきり聴きとりやすい。

 デビュー当時から、一青窈の歌には独自の様式美と、圧倒的な個性、強靭さがあったんだなーと、改めて感慨深く思いました。

 

 とはいえ、「もらい泣き」以降シングルは出すごとにチャートアクションも売り上げも下降していて(メディアでの扱いがかなり良かったのでそういう印象がなかったけど)、「オリエンタルでユニークなR&Bの一青窈」がどれだけ定着するかは不安な部分があった模様。

 

 もっとはっきり言うと、「一発屋」の懸念が残った。

 

 この懸念は、レコ大最優秀新人賞や紅白歌合戦初出場を経た2004年、新たな代表曲「ハナミズキ」の爆誕で一気に払拭。

 以降「ハナミズキ」のイメージを大事にしようとなったのか、一青窈のシングルはバラードをメインにリリースを重ね、ヒットを連発。一流歌手として着実にキャリアを重ねていったのでした。 

 

 (終わりっ)