最高裁判決が下った後、再審請求が出されることが多くなった。現在死刑が確定した死刑囚が100人以上いるらしい。日本の裁判制度は三審制ということは中学生でも知っていることであろう。しかし現状がどう運用されているか、それはほとんどの人がわからない。検察官も裁判官も弁護士も同じ試験を受けて合格して、司法修習生として研修を積み、それぞれの道を歩むわけである。かなり優秀な人間が真面目に仕事をしているということが前提になっている。死刑確定から6ヶ月以内に死刑は執行されることになっている。しかし死刑が確定しても数年更に数十年と死刑が執行されないことがある。主に法務大臣のせいであろうと思われるが、死刑執行を先延ばしにする一番の原因は「再審請求」である。死刑制度廃止が国際的には求められているというが、馬鹿げた話である。それぞれのお国の事情があると思われる。裁判制度そのものに信用を置いていなければ、取り返しのつかない死刑執行に二の足を踏むのはわかる。冤罪そのものもあるかもしれないし、本当にそれは死刑に値するの、というものもあるであろう。中華人民共和国の死刑は、日本では考えられない程度の罪で死刑執行されているようだ。政治犯ならば尚更である。

 人間は他人に裁かれたくないと思う者である。それでも私刑を防止して、法治国家足らしめるには、きちんとした裁判制度が必要である。国民が納得する裁判制度でなければ法治国家にはなりにくいであろう。裁判が公明正大で誤りのないものであって初めて国民は納得するのではないだろうか。

 私は憲法と民法の改正は急ぐ必要があると思っていたが、刑法はそれほどではなかった。じっくりと腰を落ち着けて改正に取り組めばいいと考えていた。しかし最近は刑法も急いだほうがいいのではないかと思うようになった。最大の理由は死刑執行の停止と言うか延期が甚だしいことにある。法務大臣も馬鹿ではないだろうから、死刑執行の判子を押さないのにはそれなりの理由があるのだろう。再審請求が出ているからと言って一律に死刑執行を停止してはいないだろう。恐らく確信が持てないのであろう。裁判ですべてが明らかになって、判決が出ていないことに気が付くのかもしれない。明るみになっている証拠に基づいて死刑判決が出されているものと思うが、どうも他にもありそうだとか、どう辻褄が合わないなとか思うのであろうか。法務大臣の考えを聞きたいが、守秘義務の関係で、法務大臣の地位を離れてからも、死刑執行のことに関して話すことはあまりないようだ。

 大人になって、どうも弁護士はとんでもない奴がいるようだと感じるようになった。いくら依頼人の利益を守るためと言っても、あったことを隠して、被害者の利益を損ねることを平気でするようだ。「依頼人の利益を守る」というのは、商売人の考えである。公明正大なきちんとした裁判が行われるように検察官、弁護士、裁判官は努力すべきではないのか。有罪を無罪にすることではないと思うのだが。青臭いかな。私は有罪ならば適切な刑罰になるように努力すべきだと思う。懲役10年の求刑を7年にするとかではないのだろうかと考えていた。無罪が駄目ならば執行猶予付きを獲得するというのは、別に商売上手なビジネスマンに見えてしまう。日弁連の幹部連中などは左翼の巣窟のように見えていた。ところが最近になって検察官もおかしいなと思うようになった。木村拓哉主演の「HERO」では、被害者の味方に成れるのは検察官しかいないだろ、というセリフがあった。加害者の人権ばかり振りかざす弁護士に対して、亡くなった被害者の為に全力で真実を追求する姿は、まさにヒーローであった。最近のニュースを見ると、検察おかしいのではと思ってしまう。広島地検しかり、東京地検特捜部しかりである。特に最近の東京地検特捜部はマスコミと癒着して、手柄を立てたくて仕方がないという感じである。手柄を立てるためには手段を択ばないという感じである。別に自民党を支持しているわけでもなく、擁護しているつもりもない。しかし検察本来の仕事をきちんとしないと、国民は困ってしまうのである。刑事犯も多くなり、商法違反も多くなった。検察も裁判所も抱える件数は膨大なものになっているそうだ。適切に裁判が行われているのだろうか。警察も「民事不介入」などと言わないで、国民が困っていることには相談に乗ってもらいたい。ともかく本来の業務に励むべきである。そこで足りないものがあるとしたら、本気の対策が必要になってくる。目の前の出来事を誤魔化していたら、いつまでも問題の本質が見えてこない。

 「再審請求」は必要であればするべきであろうが、死刑執行の先延ばしを図っているだけだったら、税金の無駄使いである。法務大臣が「死刑執行」をためらうのであれば、その理由を明らかにすべきである。三審制度の崩壊につながるようなことはやめよう。そしてマスコミは「再審請求」が出ると「冤罪」だと騒ぎ立てるのはやめよう。現行の法律では100%の有罪が立証できないと、有罪にはならない。無罪を立証する必要はないのである。「再審請求」が通って「再審開始」になったとたん、マスコミは「冤罪」だったと言って裁判所や検察を批判する。左翼の弁護士の肩を持つのである。100%の立証が怪しくなると「無罪判決」が出る。有罪を立証できなかっただけであるのに、「冤罪」だったのだ、無罪を勝ち取ったというようになっていく。人を殺しても罪なしになることはある。例えば「正当防衛」である。戦闘中の殺人も「無罪」である。後は精神障害によるものがある。死刑になるかどうかは、精神科医の診断書に委ねられるのである。これも精神科医に過度な負担を強いている。そんなに精神科医の診断が適切かどうかは、患者として精神科にかかってみればいい。なるほど精神科医は正しい診断をしてくれると思うだろうか。責任能力の有無も怪しいものである。刑法の改正が待たれる。