私はメディア出演してポリアモリーについて語ることも多いのですが、いつもたくさんの反響があります。

今回は、そのうちの一つの意見について、私なりの考えを書いてみたいと思います。

 

以前、こちらの記事「もう“不倫”は時代遅れ?! 複数人と性愛関係を築く「ポリアモリー」とは」でポリアモリーを取り上げていただきました。

この記事でポリアモリーを知ったとあるブロガーのMさんは、「気持ち悪い」と感じたといいます。

なぜそう思ったのでしょうか。

Mさんは、ポリアモリーは「良心」だけに依る最も危険な関係だと指摘します。

つまり、良心を欠いた人が入り込めば容易に崩壊するために危険だ、ということです。

たとえば、パートナー関係にあるAさんとBさんを想定しましょう。

ある日、AさんはBさんが他の人とデートしているところを見てしまいます。

それを問いただしたところ、Bさんは「実は僕はポリアモリーなんだ」と言いだしました。

Bさんは「ポリアモリーだから、複数の人を同時に好きになるのは仕方ないだろう」と開きなおり、Aさんが怒っても泣いても、話しあおうとしません。

「ポリアモリーとさえ言えば、いろんな人と関係をもっても構わないんだ!」とばかり、自分のしたいことや自分の考え方を一方的に押しつけます。

このように、Bさんに良心(Aさんと合意を得ようとする誠実さ)がなければ、この関係は簡単に崩れてしまう、だからポリアモリーは危険だというわけです。

そして、この「良心」の問題は「男女平等」という不確かな大原則に則っているが、この状態が今の社会で完全に実現されているとは思えない、とMさんはいいます。

たとえば今の日本社会には、男性は恋愛的・性愛的にアクティブであることが当然とされ、一方で女性のアクティブさは「はしたない」「ビッチ」などと疎んじられる風潮があるのが現状です。

不倫などのスキャンダルでは、女性側がより激しくバッシングされる様子もたびたび目にします。

Mさんは、このように恋愛・性愛に関して男女が平等でない社会におけるポリアモリーは、男性にとって都合のよいものとなり、それによって傷つく女性が増える、と危惧しているのではないでしょうか。
 

では、ここからは私なりの考えをまとめてみましょう。

「良心」に依る関係が崩壊する危険性をもつことは事実です。

ただ、良心のみを根拠として関係を構築することが「気持ち悪い」ならば、私たちは何を根拠として関係を構築するべきなのでしょうか。

法律でしょうか? 

文化規範でしょうか?

むしろ、良心以外のものを根拠として構築された関係は、そこに良心がないとき、悲惨なものになりかねないと私は思います。

良心を欠いた人が関係者に入り込んでいるのに、あるいは関係者から良心が抜け落ちてしまったのに、それでも形ばかりの関係性が維持されるとしたら……。

形骸化した「仮面夫婦」「名ばかり恋人」こそ、悲劇ではないでしょうか。

つまり、先のAさんとBさんの例でいえば、BさんがAさんを抑圧するばかりで「二人の意見の違いに向き合って合意を目指そう」という気持ちがなく、Aさんの我慢のうえに形だけの(たとえば法律上の)パートナーシップを維持しても、健全とはいえないということです。

そしてこれはポリアモリーという関係性それ自体の問題ではなく、そもそも相手に自分の価値観を押しつけて「良心のない関係を築く」ということの問題なのです。

さらにMさんは、依存関係のあるパートナーシップでは、依存している方が嫌でも相手のポリアモリーを認めざるを得ない場合も出てくるといいます。

たとえば、Aさんが専業主婦で、Bさんが会社員だった場合などが考えられるでしょう。

これは全くその通りで、経済的、精神的、社会的に対等でない関係者のあいだでポリアモリーを始めたとしても、「嫌なことを嫌だと言えない」状況が誰かに発生している限り、その関係が健全に維持されることは難しいと思います

(関係者間に上下関係があること自体が不健全だといっているのではありません。そのことによって一方的な抑圧や不満が発生し続けることが不健全なのです)。
 

現代社会がまだ十分に成熟しておらず、男女平等が成立していないから、ポリアモリーの実践は難しい、という理屈は分かります。

しかし、それはポリアモリーの側ではなく現代社会の側の問題のはず。

「だからポリアモリーをするべきではない」という論の展開には違和感があります。

もちろん、「現代社会では難しいから自分はポリアモリーの実践はやめておこう」と考える人がいても、それは個人の自由です。

ただ、誰かにそう言われなければならない理由はないということです。

今回は、ポリアモリーに対する意見の一つについて、考えてみました。

ポリアモリーについてずっといろいろな発言をしてきていますが、数年前と比べると、否定するにせよ肯定するにせよ、議論が成熟してきたな……と感じます。

結論として言えるのは、ポリアモリーが正しいとか、モノガミーが間違っているとかいうことではなく、どんな関係性でも「関係者を傷つけるパートナーシップのあり方は健全でない。傷つけないためには、合意を目指してコミュニケーションをとることが重要」ということに尽きるのではないかと思います。