神君、ご神木に救われる | 心のままに

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賀茂神社(豊橋市)・・愛知県豊橋市賀茂町字神山1

 

寿永3年(1560)、源頼朝は征夷大将軍になり天下を治めるにあたって、この地を京都賀茂神社の新領地と認めました。

 

永禄11年(1568)、徳川家康は頼朝 遠祖ゆかりの賀茂大社に参詣、ここに日本一の大旗を奉納、武運長久を祈願し征夷大将軍の道を歩み始め天下人になりました。これは後の「大旗神事」へとつながっていきます。

 

橋の下の花菖蒲園には約300種が植えられ、見頃の時期には多くの参拝者が訪れます。

 

途中には幟や風車が立つ長い参道。

 

 

 

 

 

赤い鳥居が見えてきました。

この鳥居に記してあった文字を見ると随分古いようです。

 

 

上から

手水舎、四脚門(内側には風鈴)、拝殿、神紋の双葉葵

 

 

 

 

 

近くにはご神木の大楠が堂々と・・

家康は根元にある、この大きな穴に隠れて難を逃れたそうです。

 

 

天正元年(1573)に武田信玄が野田城を囲んだ際に、家康がこの城の救援に向かいましたが逆に敗北し、追われた家康はご神木である大楠の空洞に隠れて一命を取りとめたという話が残っており、そのため当神社を厚く崇敬したと言われています。後に天下を平定すると朱印地百石を寄進した。

 

単なる作り話のようにも思えますが、その後は厚く崇敬し、朱印地百石を寄進したという事実があることで、実際にあったことだと分かります。

 

大旗神事を行う場所はこの辺りのようです。

(下の画像はネットから拝借)