神君の娘が眠る・大善寺 | 心のままに

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宝乘山・大善寺・・愛知県新城市西入船22

 

天文元年(1532)田峯城主・菅沼定継が新城市片山に大膳庵を建てたのが始まりとされ、徳川家康の長女・亀姫の発願で大膳庵を現在地に移して、大善寺に改めたといわれる。

天正18年(1590)に家康の関東国替えに伴って、上野国(群馬県)宮崎に移るまでの14年間、今の新城の基礎を作り上げたが、その中の1つが大善寺の建立でした。

 

上から、

山門、本堂、庫裡、鐘楼。

 

 

 

 

本堂横の墓地にある、亀姫のお墓。(父は家康、母は築山殿)

亀姫没後、信昌と亀姫の子である、四男の松平忠明が、母所縁の寺である大善寺に、供養のために建立した。

亀姫は長篠の戦いで武功があった奥平信昌に嫁ぎ、側室を置くことを許さず、4男1女の子宝に恵まれた。

家康が父親だと、娘も立場上強くなるね・・

 

周囲にある古いお墓はお付きの人達のもの?

 

※二村山・法蔵寺・・岡崎市本宿町寺町

にもある亀姫のお墓(過去記事から)

 

ブラシの木の横に、大きな観音像と古い小さな石仏。

 

 

この大善寺は亀姫が開基だったため、江戸時代から葵の紋の使用が許され、現在でも山門や土塀などに多く見られる。

 

 

 

 

睡蓮が咲き始めていました。(6月2日)

 

紫陽花の見頃はもう終わったことでしょう。

 

この日(6月2日)、近くで栗の花が咲き始めていました。

※幕末の安政7年(1860)に、新城の街中で発生した大火が大善寺にも燃え広がり、多くの記録類を焼失し、残念なことに信昌や亀姫所縁の古文書も焼失してしまったそうです。

 

この後も6月に訪ねた所をゆっくり記事にしていきます。