イエス・キリスト / Jesus Christ

 

キリスト教の新約聖書で伝えられている救世主。
実在していたかについて否定説もあるが、ほぼ同時代の史料に記述があることなどから、実在はほぼ確定とされている。
(「ほぼ」がついている分、今後、新たな史料や研究結果で否定される可能性はゼロではない)

イエスというのは名前。
イエスス(ギリシア語)
イエズス(ロマンス語)~教科書などに出てくるイエズス会はここから~
ヨシュア(ヘブライ語)
イエス/イエジュ/イエスス(ラテン語)

キリストとは、救世主のこと。
したがって、イエス・キリストとは、救世主イエスということ。
クリストス(ギリシア語)
メシア(ヘブライ語のマシアハ~油を注がれた者~に由来した言葉)

ナザレのイエス
当時は姓の風習が無かった。ナザレ(土地名)のイエス(名前)は、日本でいうところの霞が関(土地名)の太郎(名前)みたいなもの。


美術作品などの多くで、イエスの肌の色は白人の肌色と同等に描かれていることが多い。
しかし、生まれ育ちがエルサレム周辺であることから、現在のアラブに住む人々と同じ褐色の肌色だった可能性が高い。
だが、神の子なので、神の肌の色に近いのかもしれない。神の肌の色は(私は)見たことが無いので分からないのだけれど。

 

 

旧約聖書で書かれているイエス降誕までの歴史

神の創造でアダムが創られ、アダムの肋骨からイヴが創られ、アダムとイヴが蛇(悪魔)に騙されエデンの園から追放(失楽園)される。
その後、アダムとイヴの子孫であるノアが大洪水を生き延びる。

ノアの子孫アブラハム(イスラエルの始祖)の孫ヤコブ(イスラエル)の息子たちがユダヤ12部族の祖となる。
ヤコブ(イスラエル)の息子のヨセフが、兄たちによってエジプトに売り飛ばされる。
エジプトで高官にまで出世したヨセフは、飢餓に困っていた父ヤコブと自分の兄弟たちをエジプトに呼び寄せる。
ヤコブの子孫のモーセがイスラエル人を率いてエジプトを脱出する。
ホレブ(シナイ)山でモーセが神から十戒(契約の石板)を授かる。
モーセの死後、弟子のヨシュアが指導者となりカナンの地(約束の地)を奪還する。

ヨシュアの死後、12士師が統治する。
アブラハムの兄弟ハランの孫モアブがモアブ人の祖となり、モアブ人のルツがボアズと結婚。その子孫からダビデ王が生れる。
ダビデがエルサレムに首都を構え、契約の箱(契約の石板が入った箱)を運び込む。
ダビデの子ソロモンがエルサレムに神殿を築き「契約の箱」を安置。
ソロモン王の死後、イスラエル王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂。

アッシリアの侵攻により北イスラエル王国が滅亡。イスラエル10部族が消滅(失われた10部族)。
南ユダ王国はアッシリアの属国になる。
アッシリアから独立した新バビロニアがアッシリアを滅亡させる。次いで、南ユダ王国も滅亡。
新バビロニア王国はアケメネス朝ペルシアに滅ぼされる。
マケドニア(アレキサンダー大王)がアケメネス朝ペルシアを征服。

プトレマイオス朝エジプトなどによる支配を経て、ローマ帝国によってイスラエル人が支配されているころ、
ソロモンの子孫でナザレ村に住む大工のヨセフの婚約者マリアが、天使から受胎告知を受け処女懐胎。
紀元前4年にイエス降誕。


12月25日がイエス降誕日とされていた(後世のキリスト教徒が定めたと思われる)ことから、降誕祭としてクリスマスが12月25日に行われているが、聖書などの記述を読み解くと「冬の時期ではない」というのが現在の見解である。
よって、降誕した月日は不明。5月頃だとする説が有力。

イエス降誕を境に BC(before Christ/救世主の生まれる前) AD(ano Do-mini/主の年) と西暦であらわされる。
西暦紀元は、西暦525年に考案され、西暦800年頃に採用されるようになったらしい。

その後、様々な考証によってイエス降誕は紀元前4年頃と考えられるようになったが、西暦紀元は変更されていない。
イエス降誕年については、ヘロデ王の治世末期に生まれたとされていることから、紀元前4年(~紀元前7年)ごろではないかと近年の研究では言われている。

 

 

 アダムとイヴからイエス・キリスト、12使徒までの系譜図を見たい人はこちらをクリック

 注意:サイズが1800×3790(1.02MB)とかなり大きいです

 

 

イエスの生涯

ヨセフと身重のマリアは、ベツレヘムに来ていました。
というのも、ローマ政府のお達しで
「ユダヤ人は自分の故郷で人口調査のための登録をしなさい」
というものがあったからです。

ベツレヘムの宿屋は満杯で、やむなく二人は家畜小屋(馬小屋)に宿泊することにします。
そこでマリアは出産し、イエスが降誕します。
羊飼いたちが天使のお告げを受け祝福に駆け付けます。
東方の博士(占星術の学者)三人(三賢者)も贈り物を持って駆け付けました。

ヨセフ一家は、ベツレヘムからナザレへ戻り生活します。
イエス降誕から二十数年経ったころ、イエスはヨハネから洗礼を受けます。
そして、ガラリヤ湖周辺で宣教し、数々の奇跡を行います。

イエスがだんだんと有名になってくると、パリサイ(ファリサイ)派の人々(学者や裕福なユダヤ人層)から目を付けられるようになってきます。
弟子たちとエルサレムで(最後の)晩餐を終え、ゲッセマネという地で祈りを捧げたイエスは捕えられてしまいます。
裁判が行われ、イエスに死刑が下されます。
ゴルゴダの丘にある刑場へ、自分で背負って運んだ十字架に磔にされます。
磔にされたイエスは、絶叫の後、息を引き取ります。
ルカによる福音書では、
「父よ、私の霊を御手に委ねます」
マルコによる福音書、マタイによる福音書では、
「我が神よ、我が神よ、なぜ私をお見捨てになられたのですか(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)」
と、イエスの最後の絶叫を記しています。

 ちなみに 福音書 は エヴァンゲリオン といいます。

三日後、イエスは予言していた通り復活し弟子たちの前に姿を現します。
復活してから40日後、イエスは弟子たちと離れ、オリーブ山で昇天します。

その後、弟子たちの手でキリスト教会が創られ、布教のため各地へ散らばっていきます。

 

イエスが実在したのかどうかも含めて、イエス・キリストの話は、その人の宗教観、思想によってさまざまだと思います。
信じる者しか救われないのであれば、イエスは間違いなく神の子で、救世主として降誕したのでしょう。そして、神の導きの通りに宣教を行ったのだと思います。
ただ、無神論者がこの話に触れたとき、かなり現実離れした内容にいちゃもんをつけたくもなるだろうとは思います。
アダムとイヴからの系図といい、様々な奇跡といい、弟子たちやそのほかの人々の行動といい、あれ?と・・・。
救われないかもしれませんが・・・。


イエス? ノウ?
キリスト教に初めて触れたのは、幼稚園がカトリックだったので、そこで12月の催しでイエス生誕の劇をやったからでした。
幼稚園の頃のことはあまり覚えていないんですが、それほど宗教(宣教)に力を入れていなかったカトリック幼稚園だったんじゃないかなぁ?
礼拝した記憶がないんですよね。ただただ、劇で3博士の一人の役をやらされた記憶だけですね。
幼稚園の記憶は、ふつーにお遊戯して、ふつーにご飯食べて、ふつーになんか美味しい茶色の四角い物体を食べさせられて、ふつーに遠足に行って、フツーにバザーとかやった感じです。
うちの家族自体、キリスト教徒ではなく、家から近い幼稚園がカトリックな幼稚園だっただけってことです。
小中は普通校。
高校が一応は普通校なんだけど、プロテスタントのミッション校でもあった?礼拝堂とか聖書の授業があったんだからミッション校なのは確かだ。でも普通校と謳っていた。そんな高校でした。
入学時に買わされた聖書がまた、授業中の枕にちょうど良かった。(罰あたりますなw)
んで、枕にしてばっかりではなく、つまらない授業の暇つぶしに読みましたよ。旧約と新約。
読んで一番に思ったのが、「翻訳間違ってないか?」でした。つじつまが合わない所とか、繰り返し書かれているような部分で内容が違ってたりするんですよね。「あれ?前にこう書いてなかったっけ?」で、戻って読んでみるとやっぱ違う。同じことについて書かれているのではないのかな?という疑問を持ってしまう部分がちょこちょこあったんですな。

 

イエス イエス イエス

初めて聖書を読んだ時にも感じましたが、今回、系図を作ってみて、やっぱり思ってしまった。
かなりのこじつけ・捏造感、それがあふれてます。
誰かが想像した人類の起源話+それをイスラエル(ユダヤ)アイデンティティーのため&イエス・キリスト賛美のため っていう匂いがプンプン。
科学が発達した現在の感覚では、神話の類であって、事実ではない部分も多い!と言い切れますね。

そんでもって、似たような名前、同じ名前が割と多い。
最初は伝聞、そして写し書き、時には翻訳もしたでしょう。そりゃあ、誤字・脱字、間違い、改ざん、いくらでもあって当たり前。そのわりにはよくできてますよ。聖書や古書物類に記されたイスラエル神話(伝記)てやつは。

そこから何を読み解くか、やはり、ニュートラルな感覚は不可欠ですね。

 

 

イエス・キリストはその生涯を日本の地で終えた

現在の青森県三戸郡新郷村大字戸来にイエス・キリストの墓がある。

イエスは21歳の時に日本に訪れて修業し、
31歳の時にエルサレムに帰って、後にゴルゴダの丘で処刑された。
しかし、十字架に磔にされたのは身代わりになった弟のイスキリで、
処刑を回避したイエスは日本に戻ると
 十来太郎大天空/とらいたろうだいてんくう 
と名を変え、戸来村(現在の新郷村)で106歳まで生きた。
イエスとその従者たちの子孫が日本人と同化し、その文化、思想は日本に溶け込んでいる。

現在、新郷村にある二つの墓は、イエスとイスキリの墓だとされている。

ことは、1934年(昭和9年)に戸来村村長が村の紹介のため鳥谷幡山(日本画家)に視察を依頼したことから始まる。
視察時に見つけた大石神のピラミッドの確認のため、鳥谷は翌年(19355年/昭和10年)、戸来村を再訪。
その時に一緒にいた竹内巨麿(新興宗教団体“天津教”教祖/開祖)が盛り土(村では古くから 偉い侍の墓 と語り継がれていた)を見つける。
竹内は、ひとりで古文献を調べた後に、「統来訪神」と書いた目標を置くこと、塚に「十来塚」と書くように村長に告げた。
その後、竹内は1928年(昭和3年3月29日)に自らが公開した古文書「竹内文書」の中に、「イスキリス・クリスマス」「戸来塚」についての記述があることを発表した。
それから、
古代史書研究会というところが 戸来村 は ヘブライ を由来にしている。と言ってみたり
川守田英二(アメリカ在住の日本人教会の牧師)が、戸来村の伝承歌「ナニャドヤラ」はハヤウェを讃えるヘブライ語の歌である。と言ってきたり、
鳥谷が小松周海(日蓮行者・降霊術師)に降霊依頼し「イエスの妻はユミ子。娘が3人いた。その子孫が村の旧家である沢口家である」(沢口家の家紋の桔梗紋は、ダビデの星と酷似している)「戸来村では子供の額に墨で十字を書く風習があった」とか言ってみたり、
といった追従する説があげられ、
そんなこんなで
戸来村にキリストの墓がある 
となったらしい。

まずまず法螺話。
どういう経緯なのかはわからんが、
村に観光名所を設けたいがために動いた結果(村民の意思とは関係なく)こうなっちゃった。
というものではないでしょうか?

たしかに、古代、ユダヤ人(もしくはその子孫)が日本に渡来したことはあるでしょう。

その人たちが新たな文化、技術、風習を日本に浸透させたりもしたでしょう。
でもさ。
イエスが日本に修行に来たとか、その生涯を終えたとか、
それはやりすぎではないのかね。

イエスの弟に イスキリ
聖書に載ってもいない名前だけど、まあ、聖書も記載されてないことは多いだろうし、完全否定はできないけど、ユダヤ人の名前として「イスキリ」というのはありえるんでしょうかね?

「イスキリス・クリスマス」
って、ユダヤ人にも通じる言葉なんでしょうかね?
イスラエル と イエス・キリスト と クリスマス を混ぜたような感じですけど。
ちなみにラテン語で クリスマス は クリスティー・ナーターレス だとか。

「統来訪神」「十来塚」
読んで字の意味が分かるものだけど、もしかしたら「戸来(へらい)」を「とらい」と呼んでしまってそこから思いついたとか。ないですかね?

戸来村では、古来からキリスト教信者はいないらしい。
キリストが生涯を終えた地で、その子孫もいた地ともなれば、「キリスト教」ではなくても、なんらかの宗教的思想が残されていてもおかしくはないと思うんだけど、そういうのもないんでしょうかね?

「戸来村にキリストの墓がある」
とされてから、そこそこの観光客が来るようになっているとかで、ある意味、鳥谷幡山に視察を依頼した戸来村村長さんの思いは叶ったといえるでしょうね。


それにしても 青森

・キリストの墓
・恐山
・釈迦の墓
・東日流外三郡誌

すごいと思います!

(キリストの話からちょっとずれちゃった感もありますが・・・お許しください)

 

 

 ↓参考資料など