【昨日インカレが閉幕し、競技生活に一つ区切りを迎えました】


 以下の文章はスキー関係者の皆さまを中心に、お世話になってきた方々への感謝のメッセージと、自分の将来のことについて、今の気持ちを綴ったものです。
普段「ナイトウ」の更新をスルーされている方も、3分ほどお時間いただき、読んでいただけると幸いです。

ありがとうでは終われない』

雪の降らない東京で生まれ育った僕がスキージャンプの世界に飛び込むようになったきっかけは98年の長野オリンピック観戦です。原田さんや船木さんの大ジャンプを生で目撃し、人間が体一つで空を飛ぶこの競技に強い憧れを持ちました。
しかし、この時はまさか将来、自分がそのジャンプ台を飛ぶようになるとは夢にも思っていませんでした。

「東京生まれ、東京育ちのスキージャンプ選手」はおそらく僕が初めてです。「道具がない」「練習環境がない」「指導者がいない」そして前例がない 競技を始め、続けていくにはとても厳しい環境でした。しかし翌冬に北海道下川町でジャンプを初めて体験をして以来、14年間ここまで競技を続けてくることができました。

この間、本当に多くの方にお世話になりました。全国すべてのチームと言っても過言ではありません。各地のジュニアチームに混ざって一緒に指導してもらったり、道具を譲っていただいたり、そうやって周りより歩みは遅いものの少しずつ上達することができました。ですからこのメッセージを読んでいるであろう、コーチ、仲間、関係者のすべて、そして両親には本当に心から感謝です。(一人ひとり名前を挙げられず恐縮です。)

当時「夢」に過ぎなかった長野オリンピックの舞台・白馬のラージヒルも飛べるようになりました。「憧れ」だった五輪代表の選手たちと同じ試合で戦うようになりました。
高校2年生のときには、アンオフィシャルですが白馬サマーコンバインド(全日本記録会)で優勝することもできました。

そして先日のインカレでは、チームメートやOBのみならず、東京から多くの友人が僕の応援に駆け付け、誰よりも力強い声援を背に滑ることができました。

そんな内藤和大も間もなく大学を卒業し、14年間の競技生活に一つの区切りを迎えます。

4月からは広告代理店で社会人として新たなスタートを切ることになりました。

この会社は、オリンピックやFIFAワールドカップといったスポーツコンテンツの独占マネジメント権をもっており、努力とチャンスが噛み合えばこうした大きな仕事に携わることができます。
僕は今後、ここにフィールドを移し、じっくりと力をつけていこうと思います。そして、ゆくゆくはそれを日本のスキー界に還元し、そうすることで、お世話になった方々に恩返しをしたいと考えています。

将来の夢は、毎年札幌や白馬で行われているノルディックスキーのW杯を、ヨーロッパジャンプ週間や、長野オリンピックの時ように何万人という観客で埋め尽くすことです。

必ず実現させて見せます。

そのためには自ずと、みなさんに再びお世話になる機会があるかと思います。(違った形ではありますが。)

また、今までのようなスキー漬けの選手生活は困難ではあるものの、スキーを履いて「飛びたい」「走りたい」という情熱は今もなお消えていません。仕事とのバランスを考えつつ、今後も機会を探っていきたいと思います。(なので「引退」という言葉はもう少し後にとっておきます笑)

そういうことですので、
「今までお世話になりました。ありがとうございました。」
でこのメッセージを締めくくるのは少しおかしいですね。
もちろんその気持ちは大前提としてあり、感謝の念で堪えません。

しかし、さらに加えるなら、

「今後ともよろしくお願いいたします」

という言葉でこのメッセージは終わるべきだと思います。どうか、もうしばらく内藤和大をよろしくお願いいたします。

だから『ありがとうでは終われない』のです。

以上、長文となってしまい皆さんの貴重なタイムラインチェック時間をとってしまって恐縮です。
これからもよろしくどうぞ。

2012年3月1日 内藤和大



※facebook近況より転載。