喜寿までの人生の歩み

 

 

 私は、昨年11月末に、民生・児童委員を定年退任しました。この時点で、泉大津市の民生委員児童委員協議会では、退任者全員に対して記念文集を募り、本市の民生・児童委員の広報誌である「民児協だより かけはし101号」に掲載することになりました。恥ずかしながら私は、350文字程度との制約の中で「私の人生の歩み」とのタイトルで下記の文章を提出したのです。

 

「私の人生の歩み

 

 父の事業が破綻し夜逃げ同様に大阪に来たのは小学校入学直前、借地にバラック小屋を建て他人に見られる羞恥を我慢して高校2年まで住み続けた。仕事嫌いになった父に代わり母が働くが、貧乏が続き家計を助ける為に工業高校に進学した。

高校3年時、就職準備の為、戸籍謄本を取り寄せ、自身が養子である事を知り、暫くの間全てに反抗的になった。製薬会社への就職で研究所に配属され、X線作業主任の資格取得を機に大阪工業大学Ⅱ部に進み、仕事と学業を両立させた。我が家が欲しくて貯蓄し、小さいながらも此の地、泉大津に建売住宅を購入でき引っ越して来た。

地元出身の気が優しい女性に巡り会い、晩婚ながら4人の子供と10人の孫にも恵まれる。民生・児童委員は退任になるが、自治会等のボランティア活動をさせて頂き、年金生活ながら、後年になって人生の充実を感じている。」

 

 

 以上ですが、これまでに発表した私の体験談のダイジェスト版の様になってしまいました。

民生委員の退任に伴い、高齢者介護施設を訪問し被介護者や親族介護者の手助けをしていた介護相談員の業務や福祉協議会内部に設置され悩みを抱えている市民と共に考える心配事相談員の業務も同時に無くなりましたが、地域自治会、本市の学園協議会および介護者家族の会の役員は引き続き仰せつかりました。何もする事が無くなると認知症になり易いと言われているので、少しでもボランティア活動をさせて頂くことは、日蓮仏法の功徳の証明にもなり、大変ありがたい事だと感謝しています。

さらに喜寿を向かえた私ですが、今回祝いは遠慮し、3年後の傘寿で祝って頂くと子供と約束しました。昨年12月に11人目の孫が生まれ、今後一層賑やかになりそうです。

 

 

  表紙                  該当頁

 

  私の文章

 

 

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