日蓮仏法に於ける一大秘法 16

 

 

大聖人の「妙法蓮華経の五字」の記述文書 14

(弘安元年「御義口伝巻下」後篇)

 

 

「妙法蓮華経の五字」「妙法の五字」「題目の五字」なる語句を含む大聖人の御文を年代順に紹介しています。

 

 

「陀羅尼とは南無妙法蓮華経なり、其の故は陀羅尼は・諸仏の密語なり題目の五字・三世の諸仏の秘密の密語なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは陀羅尼を弘通するなり捨悪持善の故なり」(御義口伝巻下777頁)弘安元年正月57歳御作

 

「五番神呪とは我等が一身なり、とは十羅刹女なりとは持国天王なりとは増長天王なりとは広目天王なりとは毘沙門天王なり、此の妙法の五字は五番神呪なり、五番神呪は我等が一身なり、十羅刹女の呪はの一字を十九句に並べたり経文には寧上我頭上の文是れなり、持国天はの一字を九句に並べたり経文には四十二億と云えり、四とは生老病死・十とは十界・二とは迷悟なり、持国は依報の名なり法は十界なり、増長天はの一字を十三句に並べたり経文には『亦皆随喜』と云えり随喜の言は仏界に約せり、広目天はの一字を四十三句に並べたり経文には『於諸衆生多所饒益』と云えり、毘沙門天はの一字を六句に並べたり経文には『持是経者』等の文是なり」(御義口伝巻下7789頁)

 

「念仏とは唯我一人の導師なり、念法とは滅後は題目の五字なり念僧とは末法にては凡夫僧なり、念戒とは是名持戒なり、念施とは一切衆生に題目を授与するなり、念天とは諸天昼夜常為法故而衛護之の意なり、末法当今の行者の上なり之を思う可きなり」(御義口伝巻下786頁)

 

「十種の神力を現じて上行菩薩に妙法蓮華経の五字を付属し給う此の神力とは十界三千の衆生の神力なり、凡夫は体の神力・三世の諸仏は用の神力なり神とは心法力とは色法なり力は法神は妙なり妙法の神力なれば十界悉く神力なり、蓮華の神力なれば十界清浄の神力なり、惣じて三世の諸仏の神力は此の品に尽くせり釈尊出世の神力の本意も此の品の神力なり、所謂妙法蓮華経の神力なり十界皆成と談ずるより外の諸仏の神力は之れ有る可からず、一切の法門神力に非ずと云う事なし云云。」(御義口伝巻下800頁)

 

「一経とは本迹二十八品なり唯四とは名用体宗の四なり枢柄とは唯題目の五字なり授与とは上行菩薩に授与するなり之とは妙法蓮華経なり」(御義口伝巻下794頁)

 

「此の品には十如是を説く此の十如是とは十界なり此の方便とは十界三千なり、既に妙法蓮華経を頂く故に十方仏土中唯有一乗法なり妙法の方便蓮華の方便なれば秘妙なり・清浄なり妙法の五字は九識・方便は八識已下なり九識は悟なり八識已下は迷なり、妙法蓮華経方便品と題したれば迷悟不二なり森羅三千の諸法此の妙法蓮華経方便に非ずと云う事無きなり」(御義口伝巻下794頁)

 

 

※日興上人が口述筆記されたとされる「御義口伝」ですが、此処でも妙法・題目の五字の重要さを述べておられますが、「楠板本尊」を連想させる記述はおろか「三大秘法在」なる記述など全く存在しないのです。

 

 

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