御書にみる「本門の本尊」  

  日蓮大聖人は、御書の中で、「一機一縁の御本尊」と「一閻浮提総与の御本尊」の区別は無く、大聖人御真筆の御本尊は全て「本門の本尊」であり、強いて申し上げれば、全て「一閻浮提総与の御本尊」であるという事が、下記以外の他の御書の文面からも示唆されるのです。

観心本尊抄 文永10年 弘安2年の6年前、52歳御述作
「但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊末だ広く之を行ぜず所詮円機有って円時無き故なり」(観心本尊抄253頁)
通解:ただ、衆生に元々具わっている理の一念三千について説いただけであり、事行の南無妙法蓮華経の五字(文底下種の妙法)や本門の本尊について、未だに、広く行じられる事はなかった。 所詮、像法時代一千年間には、地涌の菩薩が御出現される為の『円機』はあったものの、『円時』には至っていなかった故なのです。
※像法時代一千年間には、時至らぬ為、事行の南無妙法蓮華経の五字や本門の本尊は広く行ぜず。

顕仏未来記 文永10年5月11日 弘安2年の6年前、52歳御述作
「仏の滅後に於て四味・三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」(顕仏未来記507頁) 
通解:如来滅後五五百歳において、四味・三教等への邪まな執着を捨てて 実大乗教たる(末法の)法華経に帰依するならば、諸天善神並びに地涌千界を中心とする一切の菩薩は必ず法華の行者を守護するであろう。 そしてこの人は、この諸天善神や地涌の菩薩等の守護の力を得て、本門の本尊・南無妙法蓮華経を以て一閻浮堤に広宣流布させていくであろう。
※妙法の帰依した法華の行者を、諸天善神や地涌の菩薩等が守護し、本門の本尊・南無妙法蓮華経を世界広布させるだろう。

法華行者逢難事 文永11年正月 弘安2年の5年前、53歳御述作
「竜樹・天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず、此に口伝有り。天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう」(法華行者逢難事965頁) 
通解:竜樹・天親は共に千部の論師であるが、ただ権大乗教の義を述べただけで、法華経については心では知っていても口には説かれなかった。 これには口伝がある。 天台大師や伝教大師は法華経の義を宣べたのだが、本門の本尊と上行等の四菩薩と本門の戒壇と南無妙法蓮華経の五字とについては説かれずに残されたのだ。
※竜樹・天親は法華経法理を知るも口に出さず、天台・伝教は法華経の義を宣べ本門の本尊・戒壇・題目を説かず。

法華取要抄 文永11年5月 弘安2年の5年前、53歳御述作
「問うて云く如来滅後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(法華取要抄336頁) 
通解:質問します。釈尊御入滅されてから二千年余りの間に、正法時代の竜樹菩薩や天親菩薩も、次の像法時代の天台大師や伝教大師も、弘められなかった秘法とは、一体何物でしょうか。お答えします。 それは、『本門の本尊』『本門の戒壇』『本門の題目の五字』なのです。
※釈迦滅後二千余年で、竜樹・天親・天台・伝教の残された秘法とは『本門の本尊』『本門の戒壇』『本門の題目』の三大秘法である。

日女御前御返事 建治3年8月 弘安2年の2年前、56歳御述作
「さて滅後には正法・像法・末法の中には正像二千年には・いまだ本門の本尊と申す名だにもなし」(日女御前御返事1243頁) 
通解:さて釈尊滅後には正法・像法・末法の三時代に分類されるが、その中の正像二千年間には・いまだ本門の本尊と申す名もすら無かったのです。 ※正像二千年間には「本門の本尊」の名無し。

教行証御書 文永12年3月 弘安2年の4年前
「但此の本門の戒を弘まらせ給はんには必ず前代未聞の大瑞あるべし、所謂正嘉の地動・長星是なるべし、仰当世の人人何の宗宗にか本門の本尊戒壇を弘通せる」(教行証御書 1282頁)
通解:この本門の戒が弘まる時には必ず前代未聞の大瑞あります。 いわゆる正嘉の大地震、文永の大彗星がこれです。 一体、今の世の人々で、また何れの宗派で、本門の本尊・本門の戒壇等を弘通しているだろうか。
※過去の人、宗派で何れが「本門の本尊」「本門の戒壇」を弘通しただろうか。   

弘通すべきは、「本門の本尊」であり、「一機一縁の本尊」「一閻浮提総与の本尊」と区別されていない事は明らかなのです。

 



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