『復活』は多分作家自身の贖罪のために書かれたのだろうと思います。

貴族地主階級の者の持つ者と持たざる者のこの物語は現在の格差社会を表している
とも言われますが、日本に限ってはキリスト教的教義も他人への喜捨や持たざる喜び
というのが希薄で施すとか寄付するというのが得意ではないようです。



先の大震災では多くの人が募金やボランティアをしてそんなことはないと思う方も
いると思いますが、この小説を読めば宗教的な考えのない日本人の考え方と
隣人愛が教義のキリスト教と出発点が異なることが意識されます。

この本のテーマである、自分の罪を認めて愛に目覚めてキリスト教的に生きることに
喜びを見出すというのも、所詮自分の罪を告白し、その罪から逃れたいという自分
本位な考えにより出発するものであり、カチューシャを助けるための行動やその女の
移り変わりなど体験する政治犯とのかかわりや当時のロシア社会など伝わるものは
あるものの、結局、福音の言葉に救われるという辺りに当時の世界観としての限界を
見るのです。

先日、地元音楽家のリサイタルで彼が語ったのは、科学的発展により社会から芸術まで
その視点が広がり、絵画や音楽まで変化したという説を説明してくれました。

概観すればそれはその通りなのでしょうが、こと美術史や絵画上の視点というのは
そんな簡単なことかなあという疑問をその時には思いました。

それは投影画法のように立体を奥行あるように平面上において表現する場合の変化と
世の中の中心が神から人間になり個人になり、ものの見方が相対的な史観にまで
広がり、変化したというのはやはり彼がピアニストでの見方なのだと思います。


『ピアニスト』の中の論争のように西洋文化の中で
成り立つ史観ではないかと思うのです。

日本のように八百万の神がいて物にも自然物にも神がいるとする文化で人そのものも
神であり、それを戦後否定され新たな神を必要にする人により色々なものが信じられている
現状に気持ち良くすんなりとはなじまないのです。

それに神がすべてキリスト教の前にひれ伏すと感じで展開されていることについて、神は
幸福の地から抜け出した人々により作り出されたことを知るべきだと思います。

今でも神とか宗教を持たない民族もいるのです。

今でも採取狩猟生活を送る人はより神やまじないなどを信じているという考えは
誤りです。

権力や支配を必要とした人々のみが神を必要とし、宗教でそれを広めたのです。

それでも、科学技術の発展で社会そのものが変わるということは今後も続くでしょう。

つい先日、宇宙の年齢が訂正される事件がありました。

今世紀に入り、宇宙が加速して膨張していることが解りました。

ダークマターやダークエネルギーの解明がより進み、宇宙の成り立ちや物理法則に
進展も期待されます。

そして、新たな視点が加わることもあるでしょうが、それはただ物の中心がぶれているだけ
のようにも感じられるのです。