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プレミアム珈琲焙煎士 よもやま話

 

59年前の夜に起こった

奇跡の一つ。

【back number rewriting】

 

 

皆さま、

いつも お世話になっております。

プレミアム珈琲焙煎士 山口耕一です。

 

本日、2/27、わたくし 無事に

(なんと!)62歳の誕生日を迎えることが

できました。 誠にありがとうございます。

 

これで、ようやく、27年前に亡くなった

母と同い年になりました。感慨深いです。

 

よって、ここからが、本当の意味での

後半戦となってまいります。

 

皆さま、これからも

どうか、よろしくお願い申し上げます。

 

以下、こうちゃんと お母さんの物語を

再掲いたします。

よろしければ、ぜひ!ご覧くださいませ。

 

 

 

[ プロローグ ]

野球場ほどもある広大な場所一面に

大量の砂が、敷き詰められている。

 

その砂を 人差し指で すくうと…

ほんのわずかな量の砂粒が乗る。

 

その砂粒の量が、

現世を生きる人々の魂の数である。

 

それ以外の大量の砂粒(魂)は、

 

(現世に)生まれてこれなかった

魂たち。。。 という話を聞いた。

 

つまり、

この世に産んでもらえたこと

生まれてこられたことそのものが

 

もう奇跡の出来事であるということ。

 

 

 

 

[ 本編 ]

今からちょうど、59年前の夜

大阪府堺市の とある産婦人科で、

 

当時、27歳だった女性が

一人の男の子を出産した。

 

その家の直系長男として誕生した

男の子は、

 

いわゆる跡取りとして

一族郎党 皆から祝福を受けた。

 

長男の誕生を喜んだ家族は、

その子を大切に育ててゆくために

 

危ないことをさせてはならないと

考え、三輪車にも乗せなかった。

 

 

 

※画像は、小学5年生の夏休み。

  友だちの森高くんの親戚の家に

  泊まりに行った時のもの。(九州大牟田)

 

 

そのため男の子は、小学2年生まで

自転車にも乗れないままでいた。

 

親の願いを受けてすくすく成長した

男の子は、

 

心根は優しいものの

少し変わった性分を表すことになる。

 

 

中学2年生の頃には、

元来の大人しい性格は、そのままに

 

当時、やんちゃな男子たちが見る

バイク雑誌を 学生カバンに忍ばせ

 

休み時間になると。。。 ずーっと

バイク雑誌を 眺めて過ごしていた。

 

クラスメイトたちは、その子が

バイク雑誌を見ていることを

とても不思議がっていた。

 

 

彼は、高校生になったらすぐに

原付免許を取ろうとしたが、

 

2月生まれであったため高校2年の

春頃ようやく免許を取得した。

 

そして、

祖父や両親から経済援助を受けて

待望の 50ccのバイクを手に入れた。

 

 

 

 

キラキラと輝く美しい車体に見惚れ

今まで行けなかった知らない道を走り

 

街中から、山頂、湖、海岸線など。。。

 

バイクを磨いては走り 走っては磨く、

楽しくて仕方ない日々を過ごした。

 

 

その後、進学 就職を経て

 

250cc、400cc、750cc、850ccの

バイクを乗り継ぎ、

日本中をツーリング(旅)して回った。

 

狭い国土と言われる日本でも

こんなに広いのだと身体で感じた。

 

 

 

※ホンダ CBR400F、初めての空冷四気筒。

  新車で納車された日、カッコよすぎて悶絶した。笑

  角目ライト、フロント16インチ、アルミホイール、

  アルミスイングアーム、オイルクーラー、集合管等

  豪華な装備は満足感MAXであった。

  これで、鈴鹿サーキットも走った。

 

 

 

 

※先輩の原田さんから譲り受けた

  カワサキ Z750FX。(漢カワサキ!)

  とにかく、カワサキのナナハンに乗ってる

  高揚感は、ハンパなかった!!(26歳頃)

 

 

今では

イタリアの至宝と呼ばれる

1200cc のドゥカティを走らせている。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな彼は、あろうことか、

安定した公○員の職を辞めてまで

 

珈琲焙煎士としてデビューすることと

なる。

 

 

 

 

1963年2月27日に生まれた

その男子こそ、

 

満59歳に達した わたくし

プレミアム珈琲焙煎士 山口耕一

なのです。

 

 

[ エピローグ ]

誕生日が来るたび、

23年も前に他界した母のことを

深く思い出します。

 

( マザコンなので… )

( いつも思い出していて 微笑 )

( この時は、特に深く思い出します )

 

母方の祖父は、20歳の頃

旅行カバン一つで単身フィリピンに

渡り、

 

( 母の故郷は山口県です )

( 言葉も分からないのに… )

( 現地で覚えたそうです )

 

向こうで商売を始めて成功した

フロンティアスピリット旺盛な

人でした。

 

 

 

※祖父母、母とともに 新幹線ひかり号で

  山口県に帰るところでしょうか。

  嬉しくてしかたのない ちびっ子こうちゃん。

  母のお腹の中には妹が居たはずです。

 

 

祖父の影響があったのかどうか

不明ですが、

母は、とても珈琲好きな女性でした。

 

時代はインスタントコーヒー全盛期。

でも、母は、レギュラー珈琲を

毎日 美味しそうに飲んでいました。

 

 

 

 

母は、私も妹も 公○員になったことを

とても 喜んでくれていましたが、

 

母が(62歳で)亡くなった後に

私が 珈琲焙煎士になったことも、

 

妹に 2人の子どもが生まれたことも、

母は知りません。

 

私は、もうあと少しで、

当時の母の年齢に達します。

 

お母さんより うんと長生きして…

お母さんの分も 幸せに生きて行こうと

いつも妹と話しています。

 

ありがとうございました。

 

 

 

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今日も 最後までお読みくださり

誠に ありがとうございます。


山口珈琲店

プレミアム珈琲焙煎士 山口耕一

 

山口珈琲店のホームページは、

こちらです。

http://www.yamaguchicoffee.com/  

 

 

 

※本日の、おまけ

 

バースデーメッセージ!
バースデープレゼント!
ありがとうございました!の巻き

 


来年は、いよいよ、60歳を迎えます。


その頃には、山口珈琲店の新たな
オフィススペースも完成する予定です。


新規に スタッフも迎え入れることに
なるかと思います。


いろいろあって大変か…と思うものの
いろいろあるから楽しいなっ! とも
思っています。

 

 

 


さて、10年後(70歳前)、私は
どんなバイクに乗っているでしょう?


その頃にも、まだ、アメブロがあれば
ご紹介します。ね。


メッセージや プレゼントをお送り
くださった皆さま方
本当に ありがとうございました!!