ひさびさに・・・
ひさびさにブログをのぞいてみたら、止める宣言をしてから、ちょうど1年が経っている。
なにかの縁であるし、少し書いてみる。
なにをしているかというと、体調を崩してしまい、現在リハビリ中です。
ま、最近、仕事に復帰しましたが、仕事は半分以下、給料も半分以下。
まあ、同級生にはとても顔向けできないくらい、ひどい状態になっていますが(笑)
ボロボロでも、なんとか生きていかないといけない、無常な世の中と。
でも、人生で大事なことが起きました。
2010年7月16日に母が他界しました。
まあ、守るべき人もいなくなり、ほんとに家族一人になってしまった。
でも、母はもう1年間会話がほぼできていない状態だったので、難しい心境でしたけどもね。
もともと自分すらも信じれない状態でしたが、もう何も信じれなくなり、
母がなくなる1ヶ月前から、ドクターストップがかかり、自宅療養していました。
父と母を失ったこの5年間の激動は幕を閉じました。
まあ、現在は生きる気力がまったく湧かない状態で、少しずつ芽生えてきてくれるといいんだけど。
同級生はもう一人前の医者になったかな??
医者になりたてから、父が亡くなって、ずっこけてしまいましたが、まだ命はありますよ。
またどこかでお会いできるといいですね。
見せる顔なんて、まったくないけど(笑)
ブログ閉鎖
いろんなプラスの感情も、マイナスの感情もぶつけてきた「どんとこい!なすび王国」ですが、
閉鎖することにしました。
理由は感情をここにぶつけても、本当の自分に出会えないからです。
どうしても、誰かがみているかもという気持ちがあって、
本当の自分の気持ちが出ない。
誰かにわかってほしい気持ちしか出てこない。
いわば、僕は他人に感情の共有を求めていたのです。
でも、他人に期待するという人生よりも、
孤独に自分の好きなように進む人生のほうが実は気持ちいいことが受け入れることができてきました。
このブログは若い自分の足跡としてもとてもとても大切な宝物です。
今の自分に至ることができたのも、
過去の自分が孤独にもがき苦しんで、一生懸命まっすぐに生きてきたでしょう。
そんな過去の自分を抱きしめてあげたいです。
過去の自分も大好きです。感謝したいです。
こういう誰かが目を通すブログは自分を表現できる場としてはかなり便利なのは確かですので、
だいぶ前から新しいブログを開始しています。
それは自分の感情は抜きにした、エッセイ集です。
文章を作るという趣味はこれからも続けたいと思うし、自分の人生の証として、
本も出版したいなと思ったりしています。
(ここでは紹介しません)
今、見てくださる方がいるかはわかりませんが、本当に本当にありがとうございました。
現世から消えてしまおうとしたことが何回かありましたが、
それを乗り越えてきたのもこのブログと見てくれていた方がいたからでしょう。
ある意味、命の恩人です。
御縁があれば、現世でも来世でもお会いしましょう。
さようなら。
PRIDE
悲しみの顔で 駆けぬけてく
心の鍵を壊されても
失くせないものがある プライド
誰も知らない 涙の跡
抱きしめそこねた 恋や夢や
やさしい気持ちで 目を細めたとき
夢にのり込んで 傷ついて知ること
思い上がりと 笑われでも
譲れないものがある プライド
生き方
まあ、そういうゆとりが少し生まれてきた見方もあれば、
感情の行き場所に困って、ここに帰ってくるという見方もあれば・・・
もう8月31日になるんだね。
自分を解放する。
自分を信じて生きる。
どうやったら、できる?
自分の生き方って分からないから、できない。
他人の生き方を見て、いろいろ考えるのは簡単なんだけど。
母の命
正直なところ、母の命はそうは長くない気がしている。
最近、グラフト閉塞が起きたり、PEGの交換をしたりと、
キーパーソンが僕しかいないので、病院をいったりきたりしている。
まあ、幸い別に命に異状があるような大きなことではない。
でも、明らかに母は弱ってきている。
食事はとれないため、ほぼ経管栄養状態。
最近では「仕事と私とどっちが大事なの?」とまで言われるようになってきた。
前の病院とは違い、今の病院では週に1~2回は会えるようになっている。
それでも、寂しいのだろう。
それはしゃーない。
会いにいくオレも健康じゃないし、余裕もない。
最近、不謹慎なことにこんなことを思うのだ。
母はよくここまで生きていれるな。
別に悪い意味はなくて・・・
だって、ずっと入院生活して、寝た切り。
月に2・3回しか会いに来れなかった息子。
こんな生活を3年間もできるかな。
オレだったら、ここまでできないだろう。
オレはこの謎はヘルペス脳炎後遺症による健忘だと思っている。
つまり、父が死んでからの記憶はまったくインプットされず、
覚えては忘れてはのサイクルをくるくると繰り返しているのではないか?
それだったら、精神的にある程度はもつのかもしれない。
オレは毎回、「父は元気にしている」とウソをつく役をするけど。
しかし、今の全身状態はそう長くはもたないだろう。
今年はなんとかなるかな。
母を早く安心させたい気持ちと、
このまま一人じゃ体がもたないことを考え、
なんかお見合い結婚とかを考えたりするんだけどね~~(笑)
ゆとり
新人の研修医と看護婦さんにも修羅場の季節がやってきた。
歓迎モードだった4月とは違い、
一人前の責任と仕事量が問われてくる。
と思っていた。
しかし、最近は事情が全然違うようだ。
新人の看護婦さんに異常にやさしい・・・(^-^;
まるで腫れ物に触るように。
むしろスタッフは新参者のオレにやたら強くあたってくる。
あれ?オレってこれでも一応医者4年目なんですが?
そして、新人看護婦さんに注意して、少しでも強く言うと、
婦長にオレが怒られる・・・_| ̄|○
なんでじゃ!?
ゴ━━━━(# ゚Д゚)━━━━ルァ!!
これには新人に辞められたら困る事情があるらしい。
(これは最近はどこの病院でも同じらしいが・・・)
せっかく確保した新人看護婦さんがすぐに辞めてしまうのは
どこでも問題になっているらしく、
辞められてしまうと、病院がかなりの赤字を背負うらしい。
だから、新人に仏のように優しく接するわけだ。
いつもむかうはずの新人への罵声がオレに飛んでくるわけだ。
くう、おかしいでしょ。
ゆとり過ぎるでしょ。
そんなんで一流の看護婦さんになるの?
研修医はどこまで下っぱなんや。
多忙な日々
今週がやっと終わり、また来週が1時間で始まろうとしている。
うれしいのやら、悲しいのやら。
今週は宅直が4回、救急当番が1回、他病院当直が1回。
この救急当番というのがクセモノで、
今のとこ、週1回でTotalで2回入ったが、両方とも徹夜になった。
月2回限定で、もう今月分終わったからよいけど。
次の日も日常業務が待っているというMADレース。
もうね、たまらんよ。
医師サイドから見たら、みんな同じ思いをしているのにへばっているへたれ医師。
看護師サイドから見たら、病棟になかなか顔を出さず、指示の遅い医者。
そりゃね、鉄人のような体力をもっていて、賢くて、性格もしっかりしていて、
自分と真逆のような人間やったら、平気やし、いいだろうよ。
もう倒れない限り、SOSサインは出せないのかね。参った。
今日も宅直中で寝れないので、こうやって悶々とブログを書いている。
患者さんの家族背景をみていると複雑な気持ちになるね。
奥さんやら旦那さんやら息子さんがしっかりサポートする人。
それに反し、キーパーソンになる人すらもおらず、周りから避けられている人。
ほんと不平等だよね。そりゃ、その人の人生が作り上げた結果なのかもしれないけど。
オレもマジな病気になったら、今のところ誰も助けてくれる人はいないやろうけどさ。
でも、親が早く死んだ人、病気になって介護している人はそんなときどうやってるんだ。
たくさんもがき苦しんで、一生懸命がんばってきたのに、その仕打ちはないんじゃないの。
ドラマみたいに救世主はでてこないだろうに。
このまま、使われるだけ使われて、倒れたら、はいさようならだよ。
なんとかしなきゃ。
倒れてもかまってくれるのはほんの数ヶ月。あとは過去の汚点扱い。
倒れたほうが負けなんだ。倒れる前に何かアクションをしないとただの負け犬。
ささいな楽しみ
なんてサークル的なことは考えるのは嫌いだが、
それでも仕事にささいな楽しみがあると、仕事中の精神的な余裕はだいぶ違う。
まあ、それは人それぞれであり、
今日は職員食堂でちゃんとしたごはんが食べれたとか、
エレベーターの待ちが今日は短かったとか、
新患が今日はなかったとか、
ささいなことは探そうと思えば、いくらでもあるもんだ。
なすびの場合、男であるので、
それぞれの病棟に看護婦さんであれ、なんであれ、
かわいいとか、話してて楽しいとか、なんでもいいから気に入った女の子をみつけるとだいぶ楽になる。
それは口には出さないが、ほんとにささいな幸せ。
でも、いい人が働いていれば、それだけその日はラッキーということになる。
とてもとても単純なことなのだ。
病棟にいったときに、その人がいたらラッキー。
自分の受け持ちの人の担当がその人やったらラッキー。
要は見るだけでとても心が癒される。
あるいはいろいろやかましく言われようが、話すのが楽しい人やったら、いやしの時間に変わる。
それは女の子特有のオーラなんやろうなぁ・・・
ま、そういう人がいないところは戦場。
プライベートまで関わらないが、いるいないは大きな違い。
看護婦さんもみてれば、イケメンの初期研修医には怒ることなく、
ニコニコと報告してるし、逆もしかりなんでしょな。