「観光する」の本当の意味 | 主体性こそ集大成-Beyond the Borders-

「観光する」の本当の意味

最近つくづく思うのが、人生って本当楽しいですよね。なんでこうも楽しいのですかね。暑さ和らぎ、秋の匂いが漂う時期だからより感じるのでしょうか。これもまた風情があるというか春夏秋冬がある日本のいいところですね。

最近暗いニュースがありますよね。例えば、自殺のニュースとか。僕は若い子に良く言ってることがあるんですよ。

「おまえ自殺なんてしたらぶっ殺すからな。」強い表現ですがこの本意を汲んでほしいです。そしたら、「はい!絶対しません。だって死ぬのイヤなんで。」と回答してもらえるよう努力します。そうじゃない子に対してもいろいろしてあげられることあるので。聞いてあげられる話も微力ながらあるし。君の知らない視点をきっと与えられるよ。何かしらのことはできるよ。できる限りの力で。

さて、GoToキャンペーンのニュースに関してですが、「観光」という言葉がありますね。我々も観光業界に所属しています。この「観光」という言葉は、「光を観る」って書くんですよね。かっこよくないですか?この「光」そして「観る」という言葉の掛け合わせ。

今までの文章で気づいた方いるかもしれませんが、僕は「見る」と「観る」を使い分けてます。SeeとLook,Watchも。

観光では、「光」と「観る」ということが非常に大事です。あなたがどこか旅に出るとします。その時にとらえたいと思う「光」を探してみてください。意識して自分の意思でその光を見つけるんです。そしてその光の本質にせまろうといろいろむちゃむちゃ調べるんです。そしてアンテナを強く張るんです。

「観光」の本来の意味知ってますか?それは「国や地域にまなざしを向ける」という意味です。古代中国の書物『易経』の「観国之光」が元であると言われています。海外であれば、新たなことを発見するという意味でもいいし、国内の地域であれば、今まで見えていなかったものを再発見するという意味でもいいと思います。


つまり観光というのは、できるなら、できるならば、ただ流されるままに無目的に旅をすることではなく、しっかりと光を観ようとするんだ。その場所、その地域の光を意識的に発見しようとすることなんだ。

それが、TravelでもTripでもない観光なんだ。俺は観光が好きなんだよね。「観国之光」が意味するものが。観光することで日本という国の光を観ることにつなげようとしているんだ。

日本という国は、場所もあるけど、季節もあるじゃないか。春夏秋冬、どの時期に行くかでも観る光が変わってくるじゃないか。光は何色にも変化するものなんだ。時間空間が変わればそれに合わせて変化する。それを捉えるのもまた趣深いじゃないか。だから飽きない。だから終わりがない。それは自分というものが変化しているということでもあるんだ。だから自分というものにも終わりがない。絶えず変化してゆけるから。

こういったことを秋の夜長に考え、まだ見ぬ光に思いを馳せてみよう。自分の人生の先にも、自分の住む町、自分のいる国にも一筋の「光」が差してくるじゃないか。何か日々の日常が意味のあるものに見えてくるじゃないか。

毎日暗いニュースが流れても、自分の思い通りに行かないことが起きても、自分の先にある「光」を忘れるな。そしたら絶対人生おもしろいものになってくる。そして、徐々に自分の意思でめちゃめちゃおもしろいものにしてゆけるから。


「観光」


ありふれた言葉だったけど、良い言葉に思えてきたでしょ。


秋といえば、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋...睡眠の秋でもいいね。人それぞれの秋を見つけに行こうじゃないか。



そういう気持ちで、光を見つけにGoToしてみよう!


そして、一歩踏み出しのたら、


いけるところまでどこまでもいこう!


頑張らなくていい


楽しもうぜ、永遠に。