お正月休み、ちょっと遠出をして熱海の「起雲閣」に行ってきました。

ちょっと前までは寂れた温泉街のイメージがあった熱海ですが、最近は団体おじさんたちの宴会場ではなく、子供や家族連れでも楽しめるところになっているようです。

 

そうした中、古くからの別荘が多く、その中でも三本の指に数えられ、現在一般にも公開されているのが、「起雲閣」です。

これはある時建てられた一つの建物ではなく、3代の所有者によって創建され、拡充され、磨かれてきた建物の集合体でした。

 

 全体の配置を見てもわかる通り中央の池泉回遊式(眺めても、散策をしてもグッドなという意味らしいです)の庭園を取り囲むように九つの建物が並んでいます。

 

まず大正8年に海運王と呼ばれた内田信也が、実母のために作った別荘が基になっています。これは、日本の伝統的な建築様式で作られています。2階建てで1階が「麒麟」2階が「大鳳」と呼ばれています。初代オーナーの内田信也には,にわかの富豪ゆえのエピソードがいくつもあり、有名なエピソードが、別荘が完成した年、列車事故に遭い、めちゃくちゃに壊れた客車の中から、「神戸の内田だ。金はいくらでも出す。助けてくれ」といったとか言わないとか。

 

開放的な造りのため、ガラス戸が多く、そのガラスは当時のもの。微妙な歪みがあり、建物が過ごしてきた時の長さを感じます。

 

次の所有者は、鉄道王根津嘉一郎。昭和に入ってから庭園を今のように拡充整備し、洋館の増築などを行いました。

 建てられた洋館はガラス葺きの屋根にステンドグラスの天井のサンルームを持つ「玉姫」と、中世英国のチューダー様式を使った「玉渓」、格調高い「金剛」「ローマ風浴室」などです。

 

昭和22年になると、旅館業の桜井兵五郎が3代目オーナーとして高級旅館「起雲閣」を開業。この時、「麒麟」「大鳳」の特徴的な青漆喰の壁は、彼が石川県出身だったため、金沢の由緒ある建物につかわれていた青色を壁の色にしたようです。

 この旅館が多くの小説家、文人に愛されてきたことが、建物自体としてのハード面に加え、文化的な価値に磨きがかけられています。

ただ、いかに高級旅館とは言え、3000坪以上の敷地を維持するのは難しかったようで、平成12年競売物件となったそうです。それを「起雲閣」を残そうとする、市民運動の後押しを受けた熱海市が土地建物を買い取り、現在は女性だけのNPO が管理運営しているそうです。

 

所有者管理者が海運、鉄道、観光、の成功者から公共団体、NPOと移り替わってきたことが時代の流れを映しています。

 

環状に配置された建物の見学の最後、旅館時代のバーラウンジを生かした喫茶店で紅茶をいただきました。カウンターの正面には優雅な曲線で縁取られた巨大な鏡がありました。ここに泊まった、太宰治や、三島由紀夫、谷崎潤一郎などがこれに姿を映していたのかと想像するとちょっとしたタイムスリップ感覚が起こります。

 

熱海が生産量日本一だという橙のマーマレードを口に入れ、紅茶を含むと、橙とお茶の香りが溶け合い、大正、昭和の時を感じた「起雲閣」巡りの仕上げにふさわしい味わいでした。