ちょっと紛らわしい質問だと思います。もう少し詳しくいえば月の動きや、太陽の動きと関係ないように見える、今の一月一日をなんで年の初めの「1月1日」としたのかということです。

 

さらに言えば、もっとふさわしい日があるのではないか、ということです。江戸時代の暦は月の動きをもとに作られた太陰暦で、今の暦は太陽の動きをもとにつくられた太陽暦だとみたいなことを学校で習ったように記憶しています。それなら、例えば昼の時間が一番短い冬至を12月31日として、昼の時間が長くなり始める翌日を「1月1日」とするほうがわかりやすいように思うのですが。衰え切った太陽がまた復活し始めるまことにおめでたい日ではないでしょうか。

 

いくつか調べると単純に西暦だとか太陽暦だとか言っても現在の暦は1582年にローマ教皇グレゴリオ13世により定められた「グレゴリオ暦」といい、その前には「ユリウス暦」さらに前には「ヌマ暦」「ロムルス暦」などがあったそうです。日々の変化がわかりやすい月の周期29.5日と、季節を把握し、農作業に欠かせない太陽の公転周期365日を何とか調整しようとした歴史でもあるようです。

 

天文学上の知見を基にしたすり合わせのほかに、宗教上の要請もあったようです。キリスト教の公会議で決定した「3月21日を春分の日と定める」とも整合を考えなければならなかったようです。それはそうでしょうね、ローマ教皇はカトリックのトップです。その代表者が世界中の司教が集まって決定した「公会議」の結論を無視するわけにはいかないでしょうから。

 

ただ、当然のようにプロテスタントの人はそんな暦ワシャ知らぬとユリウス暦を使い続けたとか。細かい計算はよくわかりませんが、月と太陽と、神様と生活のせめぎあいの歴史によって1月1日は現在の形に落ち着いているらしいことがなんとなく理解出来ました。

 

ここでまた疑問。キリスト教はそれでいいけど、間もなく人口がキリスト教より多くなるといわれているイスラム教の人たちはどうしているのか。

 

イスラム暦はヒジュラ暦とも呼ばれ、預言者ムハンマドが神の啓示を受けて宗教活動を始めたマッカから新天地マディーナに移住した年を元年とする太陰暦だそうで、ヒジュラ暦元年は西暦622年にあたるとのことです。

 

 イスラム暦は太陽暦と調整することのない完全な太陰暦なんだそうで、月の満ち欠けに合わせて1か月が29日の小の月と30日の大の月という大小月をおおむね交互に繰り返し、29.5×12か月で1年は354日となります。

 

したがって、1年ごとに11日ほど太陽暦とずれてゆくそうで、毎年の行事は我々の暦と比べ、毎年ずれてゆき、33年ほどで一巡するのだそうです。断食月のラマダンなども当然この暦によるようです。季節感の乏しい地域では太陽暦との差もさほど苦にならないのかもしれません。 

 

動いている船の針路は急には変わらないように、大勢の人間が生活している社会の基本的な座標軸である暦も、絶対的な権力者といえども簡単には動かせないことがわかりました。現在の「1月1日」は妥協の結果とは言えほぼいいところに落とし込まれているように思えてきました。