坂田利夫さん死去 | 女装男子かなこのブログ

女装男子かなこのブログ

あたし、かわいいものが大好きな女装男子です❗
女装に年齢は関係ありません❗

「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑い芸人の坂田利夫(さかた・としお、本名・地神利夫=じがみ・としお)さんが昨年12月29日、老衰のため大阪市内で死去しました。


82歳でした。


2021年10月に亡くなった前田五郎さん(享年79)との漫才コンビ「コメディNo.1」で全国区の人気を誇り、「あ~りが~とさ~ん」「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」など数多くのギャグでも知られました。


吉本興業の発表で「『あっちこっち丁稚』(朝日放送)で共演した後輩の間寛平とは54年間の親交があり、先日は82歳の誕生日を間寛平夫妻にお祝いしてもらい、大変喜んでいました。最期も親族と間寛平夫妻に見守られながら息を引き取りました」と、最期は親族と寛平さん夫妻に見守られながら天国に旅立った坂田さん。


関係者によると、2022年7月30日に大阪市で開かれた「さざなみ寄席」でコントを披露したのが最後の仕事となりました。


以降は表舞台から遠ざかっていました。


独身だった坂田さんは数年前から高齢者施設に入所していました。


エピソードには事欠かず、妹の結婚式で「ふつつかな妹ですが」と言うべきところを「ふしだらな妹ですが…」と言い間違えたこともありました。


生涯独身を貫き、吉本興業内に「結婚させるプロジェクト」が発足したこともあったが、結局実らずに終わりました。


当人は「結婚できないのではなく、しないのだ。子供ができたら“アホの子”と指をさされるのが心配だから」と理由を口にしていました。


晩年を高齢者施設で過ごしていた坂田さん。


施設で面会を重ねるなど家族のように寄り添い、最期をみとった間寛平さん夫妻は悲しみに暮れているというそうです。


坂田利夫さんは1941年(昭和16)10月7日生まれ、大阪市出身。


此花商業高校(現大阪偕星学園高校)を卒業後、運送業や大阪ガスの仕事などを転々とし、1964年に吉本新喜劇研究生のオーディションに合格。


その後、本名である地神は覚えにくいという先輩の指摘により、「坂田利夫」に改名しました。


1972年8月には「コメディーNo.1」名義で、キダ・タローさん作曲の「アホの坂田」をリリースして大ヒットしました。


吉本新喜劇の脚本・演出などを担当し、のちに吉本興業の顧問となった竹本浩三さんが作詞。


メキシコの伝統音楽「メキシカン・ハット・ダンス」の陽気なリズムに乗って「アホ アホ アホの坂田…」の歌詞で始まる同曲は発売後、すぐに6万枚を売り上げました。


しかし、大阪の教育委員会から「サカタ姓の小中学生がいじめに遭っている」と指摘を受け、レコード会社が販売を一時見合わせる騒動になりました。


その後、再び市民権を得て復活しました。


坂田さんが舞台などに登場する際のBGMとして定着し、違う形で愛される楽曲となりました。


お笑い芸人、コメディアンとして息の長い活躍をし、映画「0.5ミリ」(2014年)やドラマ「浦安鉄筋家族」(2020年)など俳優としても存在感を示しました。


「アホ」を一筋に貫いた芸人人生でした。


少年時代から「好きな世界でお金もうけして、親孝行を」と芸能界に憧れ、吉本新喜劇座員募集を知り、入団しました。


実は、オーディションは不合格だったが、名漫才師だった花菱アチャコさん(故人)から「あの子は何か持っている」と推挙され、ギリギリ滑り込んだ逸話があります。


「持っている」センスが前田五郎さんとの「コメディNo.1」の漫才の中で花開いた“アホの坂田”のキャラクター。


その裏では苦悩もありました。


道を歩くと「おい、アホ」と呼ばれることが多く「誰がアホや!」と怒鳴り返したこともありました。


酒場では酔っぱらいに絡まれることもあるため、なじみの店にしか行きませんでした。


「家族の前ではアホを演じることがでけへん」と親や弟、妹を劇場に来場させることは一切しませんでした。


それでも「お年寄りから子供までかわいがってくれる」と感謝。


坂田さんの活躍前から“アホ”が代名詞だった喜劇王・藤山寛美さん(故人)からの「とっつあん(坂田さんの愛称)、アホを演じる時は、いつもかわいく演じなアカンよ」という言葉を胸に舞台に立っていました。


生涯独身も貫きました。


自身は「ほれやすい」が「女性は苦手」。


女性の前では二枚目を気取っていました。


「理想の女性。こういう人がいないから婚期が遅れる」と名を挙げたのは、西川きよしさん夫人の西川ヘレンさん。


新喜劇の駆け出し時代、西川きよしさん夫妻の4畳半のアパートに転がり込み、食事、洗濯と世話になりました。


ヘレンさんと同じく「頭が上がらん」のが、間寛平さんの妻。


一時、ホテル暮らしをしていた坂田さんに「それじゃだめ」と寛平一家と同じマンションの部屋を手配してもらい、家族のように接してもらったというそうです。


2004年のスポーツ報知インタビューでは「家族がいないと誰のために働いているのか分からん。一人もんはやっぱりつらい」とこぼしていた坂田さん。


夢は叶わなかったが、芸人仲間からの愛を受けて天国に旅立ちました。