昭和の少女漫画のおもしろ笑えるシーン | 女装男子かなこのブログ

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ゴージャスな巻き髪に大きなリボン、そしてきらめく瞳に長いまつげ、フリフリのドレス……。


昭和の時代の少女漫画はそういった美しい描写が多く、ロマンチックな展開にも目が離せませんでした。


しかし、令和になった今、あらためて昔の少女漫画を読んでみると「これはありえないでしょ」と、思わず吹き出してしまうようなシーンも多いです。


当時は真面目な描写だと思って読んでいたのに、時代が変わるとともに読者が受ける印象も変わっていくものなのでしょう。


昔の人気少女漫画から、今読むとちょっと笑えるシーンをいくつか紹介しましょう。


■ その姿はまさにブラックデビル…!? 「ガラスの仮面」姫川亜弓のちょい役


美内すずえさんによる演劇を舞台にした名作「ガラスの仮面」は、今でも連載が続いている不朽の名作です。


連載がはじまったのは1975年だったため、作品からも昭和の風景が垣間見えます。


そんな本作でちょっと面白かったのが、主役の北島マヤの永遠のライバル・姫川亜弓の“ちょい役”です。


舞台「たけくらべ」が終わり、マヤに激しい闘争心を燃やした亜弓は、勉強がてらこれまで経験してこなかった脇役も積極的に演じるようになりました。


そのひとつが三枚目の脇役といえる“使い魔”の役です。


写真に掲載された亜弓は黒いレオタードのようなものを身に着け、尖った耳のコスプレをして槍を持っています。


頬はおてもやんのように赤く、目の周りのメイクもかなりインパクトがあります。


これは昭和の時代に爆笑をさらったバラエティ番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)で、明石家さんまさんが演じた“ブラックデビル”にそっくりです。


しかし、亜弓の写ったその写真を見て顔面蒼白になり震えるマヤ。


マヤは“亜弓さんこんな役までこなしてすごい!”と思っているのだろうが、読者の多くは“亜弓さんどうしちゃったの?”と思ったのではないでしょうか。


ちなみに亜弓はこのほかにもパントマイムで変顔を披露したり、水を理解する演技のために洗濯機を観察し、電気コードに触れて派手に感電するなど、微妙に読者を笑わせてくれるシーンも多いです。


普段は完璧で優等生な彼女だからこそ、そのギャップにくすりとさせられるのでしょう。


姫川亜弓の蒼白白目は読んでたら共感できるでしょう。


昔から女優の娘ということで親の七光のような目で見られていたけど、それが嫌だから人より努力して完璧な女性になったのです。(恋愛以外) 


■ 「花のあすか組!」ヘンテコマスクをかぶりカラスで攻撃する紅


「花のあすか組!」は、高口里純さんによって1985年から連載された少女漫画です。


新宿歌舞伎町を舞台に、中学生の九楽あすかがさまざまな抗争に巻き込まれつつ、強く生きる姿を描いています。


そんな本作にはあすかの敵がたくさん登場するのだが、なかでも「十人衆」の一人「紅(くれない)」はかなりインパクトが強いです。


彼女はあすかによって顔に傷を付けられた過去があり、そのせいで仮面で顔を隠しています。


しかしそのマスクはプロレスラーが被るようなヘンテコな仮面であり、イメージで言うとスーパー・ササダンゴ・マシン(マッスル坂井)さんが被っている覆面のようにも見えます。


しかも紅の武器はカラスであり、狙った相手に向かってカラスを飛ばす攻撃方法を得意としています。


若い女性が変な仮面を被り、周りにカアカア鳴くカラスが飛んでいる姿はなんともシュールです。


思えば80年代は「スケバン刑事」が一世風靡をした時代。


二代目の南野陽子さんが演じた役も、幼少期から鉄仮面を被って過ごしていたという、今では信じられないような演出がありました。


当時は独特の仮面を被るのがクールでカッコいいといった雰囲気があったのかもしれません。


■ ひろみを偵察するお蝶夫人「エースをねらえ!」夜の電話確認


「エースをねらえ!」は、山本鈴美香さんによるテニスを題材とした人気漫画です。


本作で話題をさらった人気キャラクターといえば、主人公の岡ひろみより“お蝶夫人”こと竜崎麗香が有名ではないでしょうか。


お蝶夫人はひろみの先輩であり、西高テニス部のエース。


口元に手を当て「おほほほ…」と笑う姿は、少女漫画界に大きなインパクトを残しました。


そんなお蝶夫人は心身ともにひろみを守ってくれる存在であったが、登場初期のころにはやや迷走しているシーンも多かったです。


その一つが、ひろみを偵察するシーンです。


ひろみは宗方コーチのもと実力を付け、男子テニス部のプリンスである藤堂貴之ともイイ感じになることから、お蝶夫人は気が気ではありません。


そこで、お蝶夫人は自分を慕う後輩たちに、ひろみの日頃の行動を偵察するように命じます。


ひろみを尾行し「あ、蝶ねえさま、じつはいま…」と、お蝶夫人に電話をかける後輩。


電話を受け取ったお蝶夫人は、家の中なのになぜか豪華絢爛なドレス姿。


頭には大きなリボン、そして首元にはオシャレなチョーカーを巻き、ナポレオンが座るような煌びやかな椅子に腰かけています。


そして暖炉のパチパチ燃える炎の前で、ひろみに対しさらなる闘志を燃やすのでありました。


そもそも「よろしくてよ」「あたくしは…」といったセリフを口にするお蝶夫人は、とても高校生には見えません。


くつろぐはずの自宅で、全身完璧なドレスコーデで過ごしているのもかなり面白いです。


しかし、そんな豪華絢爛なお蝶夫人は、当時漫画やアニメを見ていた多くの少女にとって憧れの存在でもありました。 


こういうネタ視点でよく取り上げられる漫画家さんに谷ゆき子さん(故人)がいるけど、彼女は当時絶大な人気があって、「かあさん星」は日本テレビが「ドラえもん」をアニメ化したときに最終選考を争った作品でした。


それだけ当時真剣に読んでいた人達がいた、ということです。


まず、すごいのは主人公の超絶な不幸ぶり。


「バレエ星」ではライバルのあざみの執拗な嫌がらせから主人公のかすみのゆく手を阻止。


なかなか会えない母とわざわざ行き違いにさせるというのは序の口。


かすみの妹を山奥に置き去りにしたり、かすみに石を投げつけ、あわや岩の下敷きにさせるような事態までを引き起こしてしまいました。


こうした点は、学年の小さな読者たちに続きを気にさせる「引き」だったことは間違いありません。


「あざみさんはもっとひどい意地悪をします」「次号はもっと悲しいお話になります」という次号予告のあおり文句からもそれが伺えます。


「さよなら星」では、足にハンデを追うことになった主人公が片足で縄跳び2000回に挑戦したり、バレエ漫画なのになぜか主人公がバレエではなくバレーボールに打ち込むというところもあります。


こうしたストーリー展開は滑稽に感じられるが、学年誌という特殊な場でいかに継続して読者に呼んでもらえるかを追求した結果でもあります。


藤子不二雄先生と同様「小学一年生」から「小学六年生」までの学習雑誌の膨大な連載を持っていました。


今回紹介した“ちょっと笑えるシーン”は、漫画だけでなくテレビドラマなどでも多く見られました。


当時はそうは思わなかったが、今では「ありえない!」と、思わず吹き出してしまうような場面も多いです。


しかし、そんな笑えるシーンがあるのも、昔の作品の良さでしょう。


ちょっと笑える場面は今回紹介したコマ以外にもたくさんあります。


ぜひ昔の作品を手に取り、その時代ならではの面白いシーンを確認してほしいものです。


ところで、昭和の少女漫画の定番だった、「ゴージャスな巻き髪」「きらめく瞳」「長いまつげ」。


日本で初めて、瞳の中にキラキラを描いた漫画家と言われるのが高橋真琴さんです。


高橋真琴さんはクラシックバレエや宝塚歌劇が好きで、華やかなバレリーナや役者たちのライトを浴びた瞳の輝きを絵で表したら星になったと語っていました。


高橋真琴さんは中学生の頃、学校の図書室で中原淳一の「ひまわり」を見て、絵の道に進むことを決意しました。


日本画や洋画ではなく、挿絵の仕事をしたかったので、図案の勉強ができるということで高校は工業高校の色染科に進みました。


卒業後、サラリーマン生活をしながら絵を描いていました。


だから、最初から1枚絵を描きたいと意識はしていたが、コマを割った漫画も描いていました。


そこでたまたま紹介してくれる人がいて、少女漫画を描き始めると人気が出て次々と作品を発表しました。


その頃の少女漫画は高橋真琴さんをはじめ、松本零士さん(故人)、ちばてつやさん、石ノ森章太郎さん(故人)、赤塚不二夫さん(故人)など男性の漫画家が多く描いていました。


中でも高橋真琴さんの人気は絶大で、大阪に住んでいた頃(高橋真琴さんは大阪市出身)は出版社が飛行機代まで出して東京へ呼んだという伝説があります。


また、当時の少女漫画は、少年漫画の登場人物を女の子に置き換えただけのもので、服装や髪型はあまり重視されていなかったが、高橋真琴さんはおしゃれなファッションや暮らしなど少年漫画にはない女の子の世界があるのではないかと思い、それを漫画の中に表現していました。


女の子のファッションについては「VOGUE」「ELLE」などの海外のファッション雑誌を参考にしていました。


だが、水野英子さんや牧美也子さん、わたなべまさこさん、細川知恵子さんら少女漫画に女性の漫画家が台頭してきたのに加え、少女雑誌が月刊から週刊に移行する流れの中で漫画の連載をやめ、1枚絵を描くようになりました。


高橋真琴さんが漫画家として活動した期間は短かったが、瞳の中のキラキラや3段ぶち抜きのスタイル画など、その後の少女漫画に大きな影響を与えました。