私が初めて大阪女装サロン「パレットハウス」に行ったのが2003年6月29日です。
つまり、今年でパレットハウスデビュー20周年となります。
パレットハウスデビュー20周年のイベントとして、10月にも予定されているユニバーサル・スタジオ・ジャパンへの外出イベントに参加しようか、あるいはウエディングドレスを着ようかと思っています。
私が変身体験を本格的に始めたのは、パレットハウスデビューより6年前の1997年になります。
変身写真に嵌り出したきっかけはと言われると、テレビのワイドショーで知った変身写真館になります。
大阪にも「フリーズフレーム」や「グラマーショット」(ともに心斎橋)、「マドンナ」(梅田)といったスタジオがありました。
非日常的な衣装を着てメイクをして写真を撮影して頂くと言う事ですが、最初のうちは「男性ならスーパーヒーローになれる」と思っていました。
しかし、実際は変身感がない、つまらない変身ばかりでした。
料金も男女で異なり、男性は女性に比べて安かったです。
それなら、いっそのこと「女性に変身してしまおう」と思いました。
その頃には、女装サロンの存在は知っていました。
「パレットハウス」がサンケイスポーツに広告をよく載せていたので、それを見ていたのです。
ただ、その頃の女装サロンは行くのに勇気がいる店でした。
というのも、その頃の女装サロンは風俗色が強いものもあり、そういった店舗では女装しない男性の入店が可能だったり、性的サービスがあったりしました。
「パレットハウス」は当初から女装しない男性の入店は不可、性的サービスはなく、現在までそれが続いています。
宝塚花のみち沿いにあった宝塚フォトランドJOIN(現在のSalon de Takarazuka ステージスタジオ)に行きましたが、ただ男性というだけで撮影を断られ、「どうして女性はメイクや衣装で華麗に変身できるのに、男性はテレビの中でしか変身できないんだ!」と思うと、悲しい気持ちになりました。
男性の変身は、テレビの変身ヒーローの世界だけだったのです。
では、初めて受け入れてくれた変身店はどこかというと、「東映太秦映画村の時代劇扮装」でした。
その後は「時代衣裳おかむら」さん(京都・伏見)や大阪・大国町にあった変身スタジオ「ランドMCR」さんによく行っていました。
女装をして、自分に自信を持つ事が出来るようになりました。
「パレットハウス」は2010年11月~2011年9月の長期休業を経て新しい女性スタッフを迎えて営業を再開、2012年12月に彼女が社長になり、彼女がメイクアップアーティストやスタイリスト、カメラマンを兼任しています。
女装や衣装体験、変身体験を通じてメイクアップアーティストやカメラマンの方に自分自身の魅力を引き出して頂く事も嬉しかったです。
もともと私は変身願望が強かったので、いろんな衣裳を着てみたいと言うのもありましたね。
大抵の男性の人は、子供の頃にテレビの変身ヒーローものを見て、そこから変身願望を持ったと思います。
私もそうだったんですが。
しかし、それらの変身ヒーローものはフィクションなので、「スーパーヒーローになりたい」という変身願望は絶対に実現不可能で、空想で満足してあきらめるしかありません。
でも「女性になりたい」という変身願望は女装で実現できます。
それが女装や衣装体験や変身体験の趣味の意義にも感じています。
女装の目的も女装子によって様々です。
自分の理想の女性像と自分を重ね合わせたり、かわいい服にあこがれて着てみたいと思ったりなどです。
女性の服にはフリル、レース、リボン、ちょうちん袖、花柄など男性の服にはないディテールがあります。
お姫様のようなドレス👗や着物👘、女学生のセーラー服、ふだん着でもかわいい服🎀ににあこがれ、どんどんと女装や衣装体験、変身体験の趣味に嵌って行きました。
最近では体操服のブルマー、ナースキャップに白いワンピースの看護婦さん(女性の看護師)のスタイルが少なくなっており、今や絶滅危惧種となっています。
こんな絶滅危惧種となっている女性衣装も積極的に体験したいです。
最近では「ひめべや」(三国)「cotton大阪店」(中崎町)「ラ・ジェマヨ」(西大橋)と大阪の女装サロンや女装スタジオが増えています。
色々な体験をしてその趣味も今年、2023年で26年目になります。