当院は2ヶ月に3回ぐらいのペースで鍼やその他の『施術用の消耗品』を専門業者から購入しております。ネット通販です。


サイトには以前からちゃんとアナウンスが出ていたのに私が見落としていたのですが、4月から当院がメインで使用している鍼が大幅値上げになりました。


発注書を最終確認して「えッ!?」となりました。


製造メーカーが値上げしたようです。


これはたぶん奇妙なことでしょうが、当院はクライアント側から値上げを要求されております。値下げではなく。


『もう少し料金を上げてもいいのでは?いや、上げろ!』


と。


このこと自体はもう何年か前から言われ続けているのですが、最近ことに激化していて結構な人数の方に言われますので、私もはぐらかすのが大変になって来ております。


私的には『いまそれなりに安定している状態だから、これを崩したくない』と感じているため、値上げには後ろ向きです。ビジネス、商売、儲け…という観点から見たら間違った考え方かも知れませんが、開業以来ずっと『あまり損得を考えない』でやって来たからこそ今月から24年目をスタート出来たわけだし、コロナ禍でも廃業せずに生き残れた…とも思っています。


とは言え、私なりの大きな意味での損得勘定はあります(そうでなくてはそもそも成立しません)し、大きな意味でのバランス取りはしております。


その中で『値上げは、まだそのタイミングではない』と感じております。


ただ、今回の鍼の値上げはいわゆる『潮目が変わった』というやつか?と感じる出来事ではありました。


昨日から鍼の打ち方を少し改変してみて(メインで使う鍼の種類を変更してみました)、値上げによるダメージを抑えられる目処はつきましたが、だんだんと当院も次のステージに進まなくてはいけなくなるのかな…と感じております。

「なんば」と聞くとルーツが関西の私は地名の「難波」か「とうもろこし」を連想いたします。


なんば歩き、という言葉はおそらく90年代半ば以降に甲野善紀先生の雑誌連載で知ったかと思います。


なんば歩きは地名やとうもろこしとは無関係の、日本古来からある身体操法の話でした。


先日、ある施術系の本をパラパラと眺めていたところ、この意味での「なんば」が登場しました。


けっこう古い本なので、アレ?もしかしたら甲野先生より前から「なんば」についてフューチャーしていた人がいたのか??と興味がわき、本の出版年を見てみましたところ『1990年』でした。


う〜〜ん、微妙です。甲野先生より少し前のような気もしますし、そうでないような気もします。


私が甲野先生を知ったのは1992年の大学入学後すぐでした。養老孟司先生との共著は面白くて何度も読み返しました。


あの時点ではまだ「なんば」とは仰ってなかったような…しかしそこに繋がる考えはすでにかなり明確に出ており『面白いなぁ』と思ったことはよく記憶しております。


因みに今回見つけた「なんば」は『避けるべき動作』の意味で登場しており、甲野先生のお話とは別物です。「なんば」というワードは出て来ませんが、療術界では有名な操体法の本でもやはり『避けるべき』の意味で同じ注意が出ております。

以前にも書きましたが、どういうわけか私の周囲では植物がよく育ちます。巨大化します。


埼玉時代にはいただいた観葉植物をなんとなく院内に置いておりましたが、すくすくすくすくすく育ち…特に玄関に置いてあったものは天井に当たってさらに横に伸び続けておりました。


現住まいのベランダの外にはお隣のマンションの植木がありまして入居当初は見下ろす状態でしたが、あれよあれよと成長し、ついにはベランダとほぼ同じ高さになり気味悪がった(!?)マンション管理者側が全部伐採してしまいました。


現在の院の裏には、入居時には何もなかった印象でしたが、いつの間にか何かの木が生え、枝を伸ばし、いまや軒先に葉が当たるところまで来ておりました。木の種類は分かりませんが、かなり大きな葉です。私の手より大きい。外来種かな?と感じております。


当院は施術ごとに使用したものは全取り換えしておりますので毎日膨大な洗濯物が発生しますが、この軒先の葉達は小雨程度でしたら雨よけになってくれるので助かっておりました(洗濯物干し場の上にはちゃんと屋根があります。これは風が吹いていて斜めに降り込んでくる雨、に対してのお話です)


特に酷暑の夏場は、この葉達が木陰を作ってくれるため当院はかなり涼しい環境になっておりました。2024年の夏は、実はエアコンはほぼドライ運転のみで涼しく過ごせてしまい、大いに電気代の節約になりました。ウソみたいな話ですが事実です。


しかし当院にとってはありがたいことばかりですが、上の階の方達にとってはかなり邪魔な存在だろうな…とも思いました。マンション全体として見た場合、これはどうにかしなければならない問題だろうな、と。


先日ついに手が入りました。


植木屋さんがやって来て、当院裏の巨木のみならず敷地内すべての余計な木を伐採しました。


「スッキリした」と言えばそうですし、「寂しい」と言えばまたそれもそう。


今年の夏は暑くなるなぁ…と思いました。

タイトルは大袈裟ですが、大した内容の話ではございません。


私はこれまで①会社を辞める②接骨院を辞める③埼玉から世田谷に移転する、という3回の大きな転機を経て来ております。


この3回とも、大きな摩擦が起きました。つまり『辞めないで、行かないで』と強く引き止められました。


私は頭のキレるタイプではないので、意志決定には非常に時間を要します。


ですがひとたび決定しますと、そこからは電光石火で動きます。物理的な処理速度も速いですし、気持ちのブレも全く起きません。最短最速にして淡々と…になります。


なので引き止めに応じたことはありません。


ただ、引き止められるということは


「自分はここで役に立てていたのだな」


という証明になると捉えており、そのことは嬉しく感じます。


私は「やる」と決めたこと、「やります」と引き受けたこと、は真面目に全力で取り組みます。


ですからそれが失敗や徒労に終わって欲しくないし、願わくば良い評価をいただきたい、と思っています。


会社や組織や職場に対して、自分がどう思ったかどう感じたかも大事ですが、どう思われていたか?どう評価されていたか?も忘れてはいけないな…と思います。

前述のように私は会社を1年で退職いたしました。


いまと違って「転職」という言葉が一般的ではなかった時代のことですから、これはもうほぼ「自殺行為」でした。


それに踏み切った理由は色々とあるのですが、「よし、辞めよう」と考え始めるきっかけになった出来事がありました。


私の部署は盲腸の様なところで、私がいた1年の間に3度も所属や部署名が変更される有様でした。


最終的には『総務のおまけ』に落ち着き、総務部長が兼任部長となりました。


その部長の親が亡くなり、お通夜を私達(社員達)が手伝ったのですが、これが私的には「?」でした。


私は基本的に従順な性格です。


ですから会社のみなさんの、さも当然とばかりの「部長の家族のお通夜だ。さあみんなで手伝うゾ!」「おー!」という雰囲気に異を唱えることもなく、定時後に自宅とは正反対の方向のお寺まで電車を乗り継いで赴き、道案内役を割り振られましたので灯りを持って長時間にわたって道端に立ちました。そして2時間近くかけて遅くに帰宅しました。


この道端に立ち尽くしていたとき「俺は何をやっているんだろう?」と強烈に感じました。


暑くも寒くもなかったのでたぶん10月ぐらいだったと思うのですが、4月に入社してからここに至るまで、会社に対してもはや破裂しそうなぐらいに不満や不信感を溜めており、やりきれなさは限界に達しておりました。


解散になったとき、営業部の一団から「おい、ちょっと飲んで帰るぞ」と誘っていただきましたが、大酒飲みで意地汚い私にしてはあり得ないことですが「スミマセン、家が遠いので…」と断りました。


そしてその帰りの電車の中で窓の外を眺めながら、


「よし、とにかくこの会社は辞めよう!」


と心の舵を切りました。普段は地下鉄通勤でしたので、高架を走るJRから外を眺めていたことは印象深く覚えております。


そこからは「辞める」ことは決定事項とした上で、その後の方向性の決定と調査に入りました。割と早期に以前から興味のあった療術業へ転じることを決め、カイロプラクティック、鍼灸、柔道整復などの学校へ見学を申し込んだり、実際に仕事に従事している方に話を聞きに行ったりしました。もともと興味があって多少調べてもいたのでこのあたりの動きは早かったです。そして今日に至ります。


平成、令和と時が流れたいま、あのあらゆる面で強烈に昭和感溢れていた会社を懐かしく感じます。


私個人にとっては最悪な経験しかしなかった場所でしたが、その記憶も遠くなりいまや「昭和の会社カルチャーを垣間見るという面白い体験ができたな」と思えるようになっております。