今週はキャンセルに始まりキャンセルに終わりました。


来月から開業24年目に入る当院ですが、これほどキャンセルが多発したのは週単位では間違いなく初めて、おそらは月単位で見ましても過去最多になるのでは?と思います。


実はブログを書いているいまこの瞬間も、本来は施術の真っ最中のはずでした。


ただ、結果的にこれはこれで良かったと感じております。


今週もしスケジュールどおりに進んでいましたら、私はいま頃『瀕死』に近い状態になっていたことでしょう。


あらためてスケジュール表を見返しますと、今週は非常にハードなオーダーになっております。しかし月曜朝時点の私はその事実に全く無頓着でした。


当院の価格帯レベルの療術施設の利用者には、いわゆるライト層はおりません。重症者か超重症者のみで構成されております。


当たり前のことですが『超』に対しての施術は心身ともに凄まじく消耗します。ですから『超』を連続で施術するようなスケジュールをこなすには覚悟と準備が不可欠です。


今週はじめの私は、その覚悟と準備がありませんでした。


正直なところ、今週の大変さに気がつけないほど、すでに疲労困憊状態ではじまりをむかえておりました。


ですので期せずして起きた「キャンセルキャンセルまたキャンセル…」により休息を入れることが出来てどうにかここまでもちました(この後にまだあと1施術ありますが)。


不思議なもので、覚悟と準備をして臨んだものの、スケジュールをこなして行くうちに「さすがにこれは無理」と感じるぐらいに限界が近くなりますと、ポッと突発的にキャンセルが出て救われる…ということがこれまで何度もありました。その絶妙なタイミングに毎回「単なる偶然を超えた何か」を感じずにはいられません。


今回は気づかぬ内に危険なスケジュールに入りかけていたのですが、誰か分からぬ『管理者』がまたもエマージェンシーブレーキが作動させて救ってくれたようです。


実はこのところものすごく気分が落ち込んでおりました。特にきっかけも原因も心当たりがありません。


ただ、1ヶ月ぶり来院された方に「疲れ過ぎではないか?」と訊かれました。「考え方がネガティブになっている。それはおかしい。たぶん疲れ過ぎているからだ」と指摘されました。


そう言われてハッとしました。


先週は施術が忙しいのに加えて公私にわたって雑用が多く、施術の合間も帰宅後も「あちらに連絡こちらに返信…」という有様で『いきつくひまもない』日々でした。普段はそういうことは割と淡々とこなして行く私ですが、さすがに思わず「いい加減にしてくれ!少しぐらい休ませてくれ!」と、深夜に届いたメールを即レスせずに翌日に持ち越しました。とても珍しいことです。


そのままむかえた今週だったのです。もはや疲労困憊を通り越して、無感覚に迫っていたと思います。


しかし面白いもので、この様な状態での施術は『出来が良い』傾向にあります。それは私が「深い状態」にすぐに入り込めるからです。


施術しながら「ああそうか、なるほどね」と感じることも多い週でした。


明日は休みまして、明後日からもなかなか大変な1週間になりそうです。





弁護士の方にきいた『笑い話だけど本当の話』があります。


あるとき、その方のところに他事務所からの紹介のお客様が来ました。


話をきいてみて「これはちょっと…」と感じ、自分では引き受けず知人の事務所に紹介したそうです。


そんなことはもうすっかり忘れていたある日、「こちらでは受けられないのでそちらで…」という紹介があり、なんとやって来たのは以前に知人に紹介したその方。


結局、数軒の弁護士事務所をたらい回しにされて、2周目に入ったらしい。


「なぜ、どこも引き受けないのですか?」


と訊いてみると


「話が支離滅裂で、全然辻褄が合わないんだよ。自分で言ったことを数分後には自分で否定する感じだし。私は結局2回お話をうかがったけど、同じ案件のはずが前回とほぼ違う内容になっている。というか1回目も2回目も、話し始めと終わりで前提が全然違ってたりするんだよね」


とのこと。


実は鍼灸業でも似たようなことがあります。


当院は最初の電話問い合わせの際に「いまの状態、その症状が出た原因の心当たり、医師の診察の有無」などをザッとうかがいます。


普通にお答えいただければ良いだけなのですが、ここで全く辻褄の合わない話をされる方がおります。


おそらく何か隠したいことがあるのだろうなぁ…と思います。それはこちらも長くこの仕事に携わっておりまして、色々なことに巻き込まれて来ましたので分かります。


ともあれ、そういう案件はスパっとお断りしております。矛盾の指摘や事情の詮索もいたしません。面倒事を持ち込まれるのは迷惑ですので『関わらない』に徹します。


当院は街の普通の小さな鍼灸院です。普通の方に普通にご利用いただければ、という方針です。

SMSがよく分かりません。

当院は初回は『ご本人からの電話予約』以外は受付けておりません。家族の代理も不可です。


以前「来週アメリカから帰国する主人に『近所の鍼灸院を探して予約しておいて欲しい』と言われまして」というお話が来たことがありましたが、「帰国後にご本人が直接お問い合わせください」とお断りしました。


当院は自称『緩やかな会員制』を標榜しており、受け入れの際には少し慎重な態度をとっております。


ただ一度お越しいただいて様子の分かった方にはかなり柔軟な対応になります。


母娘でご利用いただいている方などは毎回「母が来週行きたいそうなので」と連絡が来まして、ごく普通にご予約を受付けております。


そのような中でこのところ始めたのがSMSを使ったやり取りです。


これは大変便利で、特に急用によるキャンセルや時間変更のご依頼と、そのために空いてしまった予約枠をキャンセル待ちの方にご紹介するのに重宝しております。


ただよく分からないのが、メッセージを送っても「✓送信成功」も「☓送信失敗」もつかない方です。


これはどうしたら良いのだろう?


もちろん電話連絡をすれば良いのですが、それほどでもない内容のときには判断しあぐねます。


実はこの症状、ごく最近一部の方(約2名)に出るようになりました。


ほとんどの方は問題なくとても便利に使えております。


機器とシステムに疎いので、いったい何が起こっているのか全く分かりません。


私は自分が『メールします、電話します』と言った場合【必ずその日のうちに、しかも可能な限り早くする】タイプです。せっかちで神経質なところがありますので、そうしないと落ち着かないのです。


ご連絡頂いたことへの返信も同様です。もし即答致しかねることであればとりあえず「少々お時間ください」という旨の返信を必ずすぐに致します。24時間以上無反応…はありえません。ですので私からの返信が24時間以上ない場合はお電話ください。なんらかの送信トラブルによりこちらに届いていないと思われます。あと先に『必ず』と強調しておいて恐縮ですが、ごく稀に忘れてしまうこともあります。先日1件ありました。SMSでのご予約依頼で、すぐに予約枠を抑えたのですが、その旨の連絡を失念しておりました。翌日「どうなってます?」と再度ご連絡いただき事なきを得ました。「いつも必ず連絡くれるのにおかしいな…と思って」とのことでした。


現在、私が「では後ほどSMSで送りますので…」と言ったのにまだ届いておられない方、一度スマホの設定をご確認お願い致します。こちらは即日、複数回の送信を試み済みです。他の方とは問題なくやり取り出来ておりますので、おそらくこちらの問題ではないと思われます。よろしくお願いいたします。





鍼灸関連の本はたくさん持っております。基本的に古本ばかりです。神保町の古書店街を定期的巡回して買い集めていたような時期もありました。


いまは「鍼灸」の本ではなく他のジャンルの本から施術のヒントを得ることが多くなりましたが、それでもすぐ手に取れるところに置き続けている鍼灸本があります。


それは


『鍼灸真髄』医道の日本社


です。

これは鍼灸業界内で大変高名な代田文誌先生が、稀代の名人・沢田健先生から見聞きしたことをまとめたもので、シンプルでどこかあたたかみのある雰囲気の内容です。


まだ鍼灸師として初心者だった頃に新品で購入しました。以来、折に触れてはひもとき、いまでも施術上で何か気になったことがあると「沢田先生はどう言っておられるのかな?」と思って開いてみております。経年劣化で表紙は褪せてしまいましたが中身は問題ないですので、これからも座右の書であり続けると思います。

過去にも書いておりますが、『場所』ということで最も印象深いのは小学生のときにいった筑波での科学万博会場です。東京の板橋区からはるばる筑波まで出掛けました。


どこも混み合っており人気のパビリオンには一つも入れませんでしたが、それでもわたしは楽しくてしかたありませんでした。


日が暮れてきてそろそろ帰ろうか…となったとき、本当に心から名残惜しく感じました。とても悲しかったです。


と同時に「どこにも入れず何も見られず、ただ日がな一日会場内をウロウロしていただけなのに、なんで自分はこんなに幸せな気分なれたのだろう?」という疑問も浮かびました。


後になってその理由が分かりました。


万博会場内には高層の建物がなかったからです。


当時の私の住環境は10階以上の高さの建物が林立しているというものでした。団地、マンション、大きなガスタンクやゴミ処理場の高い煙突もそびえていました。


物心ついたときにはその世界の中にいたので自覚しておりませんでしたが、私は巨大な建物が苦手だったのです。


ですので万博会場で初めて『高い建物がない』という世界を体験し「ただここにいるだけで幸せ」という感覚になったのでした。


また23歳のときに初めて豪徳寺駅(改装前の古い駅)に降り、改札を抜けて街をみたとき「自分の場所はここだ!」と感じたのも、やはり高い建物がなかったからでした。


筑波も豪徳寺も、もしかしたらその土地が持つなんらかの雰囲気、なんらかの力と私の相性がたまたま良い…みたいなこともあったのかも知れません。


因みにですが、実家のある埼玉の某地域は初めて足を踏み入れたときに「うわ、ここはダメだ…」と感じましたし、40年近く経ったいまでも猛烈な相性の悪さを感じ続けています。