42年の実績(日本初)民族音楽センターのブログ

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1972年スタート、42年の経験と実績を自負する、民族音楽センターと代表:若林忠宏のブログです。音楽のこと。音楽と人間のこと。活動報告を綴ります。宜しくお願いします。

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 先日、この民族音楽センターのBlogでは、、

 12月5日に神戸に呼んでいただいて行った

 「シルクロードの楽器の東西への伝播」についてご紹介しましたレクチャーコンサートの

 お客様のアンケートを送って下さったのをご紹介しました。

 

 沢山の方々に読んで頂き、ありがとうございました。


 と、その後で「はっ!」と気づいたのですが、

 実は、7月の東京都教職員研修センター様に呼んでいただいたワークショップの

 先生方からのご感想も、センタースタッフさまからお送りいただいていたのでした。


 何かでご紹介したつもりになっていました。申し訳ございません、

 大変遅くなりましたが、後日追ってご紹介させてください。宜しくお願いします、




 本日は、

 12月5日のアンケートの中の、

 ちょっと分かりにくかったのでは?という

 「民族楽器と動物園」のことを少し補足させてください。




 いただきましたアンケートは、


 「楽器がそんなに敏感で傷つきやすいものだとは知りませんでした。楽器を動物園の動物に例えられた話は分かりやすかったです」(兵庫60代・女性)

 

 というもので、 

 これは、下のアンケートのご回答ともつながります。



「“楽器は生き物のようだ”という深いお話を聞いて感銘しました。いつかシタールの演奏を聴いてみたいです」(京都・60代・女性)







 レクチャーコンサートの後半は、会場を埋め尽くした数百人のお客様との

 質疑応答があったのですが、


 そのご質問の中に、


 「世界の様々な国の楽器だと、気温湿度も違うのでは?

 その管理も大変でしょうけれどどうしているのですか?

 また、場所が違ったら音も違って聞こえるのでは?」


 という大変すばらしいご質問でした。



 そこで、

 日本の湿気に合わせて、皮を張り替えたり、

 緩んだニカワで剥がれたりすれば、自分で修理して


 とお話しつつ、

 学芸員さんが白手袋で運んで下さる楽器をご紹介していたので、


 私や、この博物館の学芸員さんたちは、

 正に「動物園のスタッフの様な感じです」

 とお話したのでした。





 確かに、自然保護、種の保護の価値観では、


 悪く言ってある日突然人間が来て、動物たちの家族を拉致して行ってしまう、


 そんなものだ!と言われても反論しにくいのが動物園ではないでしょうか。

 (博物館も私の資料も同じという意味で)


 動物園が世界で初めて出来て200年近い今日、

 そのことの是非や価値や意味、これからのあり方などを考え直す時が来ている筈です、


 ならば、

 「楽器も生きている、魂がある」と言っている私も

 その意味でも、

 「同じことを考えねばならない筈だ」というお話もいたしました;


 



 最近の多くの人々は、

 何の衒いもなく「知的好奇心で」「知的好奇心旺盛だね!」

 とおっしゃいます。

 後者に至っては、まるで褒め言葉の様ですが



 私はこの言葉が嫌いなだけでなく、

 不気味で下品な言葉であると思います。





 「好奇」の心理は、文字通り、

 

 集団に於ける「異端、異形」を面白がって見る意識です。


 彼の「エレファントマン」もしかり、

 昔の見世物小屋では、

 私たち音楽家の先祖である大道芸人や、曲芸師と共に、

 

 奇異な生き物や人間が喜ばれて見世物になっていたのです。


 



 一見関係ないような話ですが、


 父親が文学座俳優だったので

 小学校二三年の頃、


 クラス中から

 「やーい役者の子」「河原乞食!」と石を投げられた時期があります。


 

 私は、その頃も今も、その事を被害者意識で全く捕らえていません、

 ある種のプライド(自尊ではありません)すら抱いているかも知れません。


 なので、

 大阪の橋○さんが、一時「キレていた」のは、とても残念、もったいない

 むしろ堂々と,誇らしげになさっていたら、どれほど成長なさったか?



 とさえ思いました。




 故に、「いじめはなくならない」という持論に繋がるのですが。


 

 奇異な人間だからこそ、社会を別な視座で見て気づくことがある。



 それを伝えることで、自己存在を認識したいのではありません。

 何しろ、ただでさえ排斥されがちなところに、偉そうに意見をするなんぞ、

 恰好の餌食覚悟のことですから。


 



 私のほかにも楽器コレクターさんは結構居ます。

 中には私に張り合っているらしき人もちらほらいます。


 が、私はコレクターの意識は全くないのですが、

 コレクター感覚から見れば「コレクターとしか思えない」「違うのならば何だ!}

 としか思われない。


 




 引き戸を押して開けようとする人間は、

 引き戸を引くことに気づくまで、下手すると一生押し続けることになります。


 しかし、引き戸を引いて開けることに気づけば、 

 押し続ける人間の考えていることや、その苛苛や被害者意識は良く見えます。


 しかし、引き戸を押し続けている人間には、

 引き戸を引くことに気づいた人間の思いや考えは分かりません。


 「何見てんだ!何で手伝わないんだ!」


 そんな人間はまた。

 引き戸を引いて開けることに気づいた途端、

 相変わらず引き戸を押してる人間より自分が勝ったと自尊し、

 いまだ気づかない人間をあざける目で見ます。



 どちらも、引き戸を作った人間の想いは理解しようとしません。

 扉の向こうに物が在る時や人とぶつかるかも知れない時には引き戸が有効です。

 引き戸は人を苛苛させるために作られたものではなく、

 自分の出入りのため以外のことを考えて作られた筈です。



 そして、世界で最初に出来た引き戸を最初に、難なく引くことに気づいた人間は、

 おそらく

 「扉は押して開けるものだ」という観念に捕らわれていない

 

 ある意味、異端な感覚の人間だったのかも知れません。



 楽器コレクターさんや

 愛玩動物ファンの方にとっての動物園や博物館は、


 他人の金で沢山集めて

 毎日眺め、触れられてうらやましい


 いつか俺様も作ってやるぞ!


 なのでしょうか?


 


 

 



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