落語家の桂ざこばさんが12日、喘息のためお亡くなりになりました、76歳でした。


私の中では、「桂ざこば」さんというより、「桂朝丸」さんの方が印象に残っています。

 

今から40年以上前に、「テレビ三面記事ウィークエンダー」で活躍していました。



あの臨場感あふれる軽妙な語り口…ちょっと衝撃的でしたね。

さて、ジュリーと桂ざこばさんの関係ですが、ざこばさんの娘さんがジュリーの音楽劇に出たことから始まります。

 



そこから親しくなり、

 

「ざこBar」 ざこばさんが書いた本から引用させて頂きました。

 

キッカケとなったのは、平成19年6月の舞台『桂 春団治』(大阪・松竹座)なんです。
 



それ以来、沢田夫人の田中裕子さんも含めて、家族ぐるみのつきあいをするようになって、僕たちも互いの携帯電話番号を交換し合うて、より親しくなりました。
 

 

そして親友の決定打となったのが、翌平成20年の2月にタマタマ休みが取れたのと、

 

酔うた勢いもあって、ジュリーの携帯に、「明日、明後日休みなんですけど、遊びにいってもヨロシおまっしゃろか?」

と。

 

幸いなことに、沢田夫妻も休みやったそうで「どうぞきてください。大歓迎ですョ」言うてくれたんですわ。次の日、厚かましくも僕の友だちを誘うて、ジュリーの待つ横浜へ向かいました。
 

 

新幹線に乗ったらすぐに、ジュリーから電話があって、「新横浜に何時着で、何号車に乗られましたか?」

と言うから、チケットを確認して伝えました。

 

それはね、誠にジュリーらしい配慮でしたワ。

 

新横浜駅に着いたら――な、な、なんと、あの天下のおしどり沢田研二・田中裕子夫婦が直々にやね、
ホームまでわれわれを出迎えてくれはったんでっせ! 

 

それだけでも、僕らジュウブン感激やったのに・・・

 

 

その晩は、ジュリーが行きつけの(小粋な)寿司屋で腹ごしらえしてから、その後二軒ハシゴしました。
 

 

三軒目はギターなんかも置いてあって、歌えるような雰囲気のエエ店やったんですけど、すっかり話が盛り上がって、まったく歌いもせんと喋りまくりましたヨ。

 

話の中心は、僕が落語のまくらで喋ってるような爆笑ネタのオンパレードや。ジュリー夫妻は聞き役に回ってくれて大爆笑してくれました。
 

 

結局、なんか別れ辛くて・・・その日は深夜まで僕らの泊まってたホテルのラウンジで。
 

 

そして次の日もまた、会うことになって、食って、飲んで、笑って・・・
 

徹底的に親交を深めることができたんですワ。
 

その証拠が、三ヵ月後に届いた「TOMO=DACHI」ということなんですョ(大感激しましたで)。
 

 

それ以来、僕らは歌詞通り最高のダチつきあいですワ。

 

 

そやからジュリーも大阪へきたら、必ず僕に電話してきてくれますよ。

 
Nasiaさんのブログからお借りしました。

 


私の中では、若い頃の桂朝丸さんのイメージが大きいです。

 

2008年のジュリーのアルバム「ロックンロール・マーチ」の中に、

 

ジュリーが作詞した、「TOMO=DACHI」という曲があります。

 

この曲はジュリーがざこばさんに、友であり、ダチと呼べる仲で、心から親愛を込めて作詞した曲だったんです。

 

それと、ジュリーも嬉しかったんだろうな~、


畑違いな場所にいた二人なんだけど、


6O歳になってから仲のいい友達になれたんだろうから…。

 

桂ざこばさんはその後、2017年に脳梗塞を発症し、一時入院をしていましたが、


その後は回復して「そこまで言って委員会」の番組にも出演してましたよね。

 



突然の訃報に驚くばかりです、ジュリーもショックを受けたろうな~😢

 


今週末、明日15日の福島、16日の仙台とライブは続きますが、悲しみに負けないで一生懸命に歌うジュリーがいることを願うばかりです。

 

最後に桂ざこばさんのご冥福をお祈り致したいと思います。

 

 

 

この曲はジュリーが桂ざこばさんに贈った歌「TOMO=DACHI」です。