1971年(昭和46年)1月24日、日曜日~
ついに解散の日が来た。快晴、気温13度、小春日和の日本武道館で「ザ・タイガース・ビューティフル・コンサート」が行われた。
「この武道館には僕たちにとっても、懐かしい思い出がいっぱいです…
五年前、ビートルズが来たときに、僕たちはまだ東京に出ていなくて、二階席のちょうどそのへんで、五人揃いの服装で見ていました。それがこんな立派なところで最後を飾れるなんて…、ボ、ボクたち…」サリーは涙で絶句した。
「この舞台が、1月24日に決まった時、僕たちはずっと先の事だと思ってました、それなのに、あっというまにお別れの時が来てしまって…」
3時45分~悲しい「タイガースショー」は始まった。
二部が始まる前にトッポが発見され、少女たちが殺到、場内は大混乱。
「最後ですから、気になって」メンバーとも会わずに裏口から消えたトッポ。
ショーケンも「見学です、やはり素晴らしい…」と瞳をうるませていました。
これはジュリーの最後の挨拶です。
「皆様、本当に最後までご声援ありがとうございました。
今、僕たちの頭の中、また皆さんの胸の中で、僕たちと皆さんとの色んな思い出が、駆け巡っているのではないかと思います。
今、僕たちは本当に幸せです。
色んな思い出がありますけども、今、僕たちが思い出しているのは嬉しい思い出、楽しい思い出ばっかりです。
皆さんも僕たちも、この武道館のこのフロアの上に、悲しい思い出は皆んな捨ててください。
僕たちも楽しい、素晴らしい思い出だけを持って、再出発したいと思います。
どうぞ、このタイガースの一人一人に、最後に暖かいご声援をお願いします。
岸部シロー、森本タロー、瞳みのる、岸部おさみ、そして、沢田研二。
本当に僕たちは、この1月24日の日を決して忘れません
どうぞ皆さんも、良き思い出として、取っておいてください。
それでは、最後に皆さんと僕たちの賛歌、「ラヴ・ラヴ・ラヴ」を歌って、
お別れにしたいと思います。
こうして1960年代日本No.1のグループ、ザ・タイガースはその活動に終止符を打ったのであった…。
さて、私達姉妹には大変悔しい思い出があります。なんとチケットがありながら~、
ついにタイガースのビュティフル、コンサートを観に行く事ができなかったのです。
姉が高校受験を控えていた為だったのか~父がすごい反対をして行かせてくれなかったのです。母も一生懸命頼んでくれたり、私達も泣いて頼んでもついに行かせてもらえませんでした…。
もう~あの時ほど父を恨んだことはありません、なんであれほどかたくなに反対したのだろうか?と今でも思う時があります。
あの次の日、1月25日月曜日に確か全校集会の朝礼がありました。
昨日コンサートを観に行った姉の友人が生徒会の役員で確か挨拶をしました、
彼女は声がしわがれて~まったく出ない記憶があります。
本当は三人で観に行くはずでした、観に行けなくなった私達に彼女はせめてものパンフレットを買って来てくれました。
当時の彼女の話しによると、
メンバーの中では、今日で引退するピーに一番声援が飛んでいた、そしてピーはふっ切れたようにニコニコ笑っていたと…。
サリーの話しにみんなが泣き、最後のジュリーの言葉では~これ以上泣けないという位~泣いたと…話しを聞きました。
私達はこの悔しい思いをバネにして姉が無事~希望の高校に合格してからは二人で怒涛の追っかけ人生が始まったのです。
次は、「伝説のバンドPYGを観に行くの巻」です
