「東京で落ち着ける僕の城をやっと見つけました、もうこのマンションから離れない
ひとり都内の豪華マンション(中野ブロードウェイ)へ引っ越したからだ。
それまで神宮外苑近くに住んでいたジュリーは、
5月5日「ウェスタン・カーニバル」のさなか、そのマンションに引っ越したのだ。
「いやあ、借りているんですよ、家賃7万5千円で、3DKのつくりです。」
本人はそう語っているが買ったのではないか?
という説もある・・・
推定900万円で、渡辺プロの必要経費で買い与えられたものとみられる(週間明星より~)
※前に読んだ小説~三億円事件を描いた「閃光」の中で、
(昭和43年当時の三億円は今のお金に換算すると、三十億円だということなので)
と、いうことは?当時の900万円は、約9000万円で購入したのかな~
中野ブロードウェイは、1966年(昭和41年)に建設されました、4階までは商業施設で
5階から10階までは「コーポ ブロードウェイ」という居住施設となります。
現在でいうところの六本木ヒルズのような感じなのかな~
当時から、中野ブロードウェイに住む事はステータスであった事が伺い知れます。
中野駅北口から徒歩5分、北口から出るとすぐに「中野サンモール」の入り口があります。
中野サンモールを抜けたところが、中野ブロードウェイです。
南側の入口と、北側の入口があり、ジュリーはこの早稲田通りにある北側の入口から
よく仕事に向かいました。
赤いカーペット、ひとつのフロアに42戸ある大きな規模~、屋上にはプールと噴水~
かなりの高級なマンションであることは間違いないですよね
そして、そのあと少ししてから、ジュリーは同じく、
京都の実家を1000万で建てている、(換算すると一億円近い?)
当時の記憶では、敷地がないから~、縦に長くすなわち三階建てにするしかない・・
と、ジュリーは話していました。
やっぱり高額なことは間違いないのかな~
ここからは、当時のセブンティーンの雑誌からです。
ジュリーの兄の沢田暢郎(のぶお)さんは、
大阪の「ホテル阪神」でコックをやっている。
(余談ですが、そのあと都ホテルでソムリエをやっていたというお話しを聞きました)
※っていうか~当時の雑誌は本当に個人情報満載ですね・・有名人のご家族も本当に大変だったと思います
ジュリーが実家を建てるにあたって~その兄のためにお金を出したという当時のお話。
これについてジュリーは言う、
「兄は独立心の強い人ですよ、「俺は自分でやる」といっているんですから、
僕の援助はアテにしてやしません、
え?僕自身?僕自身は店の経営には向いていないなあ」
ジュリー独立説はあるのか?
ジュリーだけが厚遇されることに対して、他のメンバーが不満をもつのも当然だろう
だか、こうしたあわただしい周辺に関係なくジュリーはのびのびとマンション暮らし
東京都中野区中野5-52-15
中野ブロードウェイ10階16号室
沢田研二様
当時~ファンレター書いて出したことがありました
ここからはこぼれ話ですが、当時姉は高校の同級生で、三人ともジュリーファンのお友達と住んでいました。
田舎の高校生であった私は、よくアパートに泊まりに行って、ジュリーの住む中野ブロードウェイを見に行きました。
当時のジュリーのファンの女の子達は、中野に住んでいたというお話しを聞いた事があります。
姉が~、アルバイトをしていたお煎餅屋さんでジュリーに会ったとか、街を歩いていてシローを見かけたとか
私は、夢のような話しを聞くたびに~本当に羨ましく早く東京に行きたいといつも思っていました
ここから、姉の話しです・・
ブロー
ジュリーは仕事
一人で
南口の
「恋は
私がこのクリーニング屋さんに見に行った時は~「胸いっぱいの悲しみ」の白いセーターがウィンドーに掛かっていたのを思い出します。
ここから、中野ブロードウェイに住んでいたジュリーのお友達に聞いたはなしです
中廊下をジュリーが楽しそうにスキップしていた・・とか
彼女のお母さんはよくジュリーとエレベーターで一緒になると、降りる時に
「どうぞ、どうぞ~お先に」と、本当に感じが良かったと聞きました。
ただ、タクシーの運転手さんにはあまりいい評判ではなく~、いつも真っ白い顔をしていて黙って座っていた・・そうです。
当たり前だと思うけど・・
そうそう~斜め前に青島幸夫さんが住んでいて会うたびに
「乱交パーティやっている」と聞かれたとかってジュリー話してますね~(笑)
中野ブロードウェイには、エミさんと結婚するまで住んでいました・・
そのあと、その部屋にサリーが住んでいたと聞いています
次は「ジュリー暴力事件の巻」です、これはガードマンとのお話しです~
あの新幹線の事件ではありません、あの新幹線の暴行事件の時も実は東京駅にいました
このお話しはまた後日書きます・・。