耐えることしかできなかった | 『 自死の明日 』~夫を亡くして、どう生きていったらいいのか探している自死遺族のブログ

『 自死の明日 』~夫を亡くして、どう生きていったらいいのか探している自死遺族のブログ

2016年6月に夫が自死。
私たちは高校の同級生でした。
深い悲しみと自責の思いは消えることはありません。
いまは何とか生きてるだけの日々です。
混沌としたいろいろな思いの中から少しずつ書くことで
どう生きていくのか探して行ければと思います。

ブログというところで、自分の気持ちが揺れるままに書いていいのだろうかと悩みましたが、暖かいコメントといいね!をたくさんありがとうございました
また思うまま綴って行きたいと思います


と、気持ちが少し上がったのですが、去年の年末のことを思い出すと、どうしても夫のことを考えてしまいます


1年前の12月30日
たまにつける日記に残っていました


とにかくその日は忙しくて疲れていました
朝から緊急の仕事、実家の用事、お墓参り、母の病院…


夫は心配してくれていました
そういうとき、自分は何もできずに気ぜわしそうに私を見て、落ち着きなく心配していました


でも私は、仕事が緊急処置が続いて疲れがたまっていたのと、その当時の母と姉の仲違いもあって嫌だったし、姉の方が病院に近いのに何で私が行かなければならないのかと、とにかく不機嫌でした


タクシーが年末はなくて、母の病院から歩いて駅まで戻り、遅くに家に帰ったときは、疲れきっていました
その日の歩数、21000歩


お帰り、ご苦労さん、と夫は言って、ごはんを用意してくれました


めまいと耳鳴りがひどくなりだした頃だから表情は良くなかったけど、そのうちにまた良くなると思っていました


来年になれば、
あと何週間かすれば


それまでの辛抱…


そう
私は期待するよりも『辛抱』していたのです


夫のほかにも
実家のこと、仕事のこと、いろいろと抱えて、辛抱することしか考えていませんでした
泣く前に身体を動かすしかないと思っていました


期待してまた落胆することを恐れたし、
期待することで、夫のプレッシャーになるのも怖かったのです
とにかく良くなって欲しい、生き生きとした元の夫に戻って欲しいと、心の中では激しく切望しながら、
表面上はだんだん期待を見せないようになりました



いま思うと、期待されてないような態度は
もっと淋しかったのかな
それとも反対に無言のプレッシャーを感じていたかもしれない
前に失恋したのかなの記事で書いたように、
やっぱり私が手を離したのです
寄り添えていませんでした


辛抱するより、期待して
そのうちよくなるよと、励ましていたら
絶望へ進むことはなかったかもしれない



考え出したらキリがないのは分かっている
誰のせいでもないことも分かっている
それでも、
自分の理由
夫の理由
気がつけばずっと探してしまいます



あの、心療内科の先生からも、
感謝しかなかったと聞かされても、なお、
考えてしまいます




もし、
うつ病の患者さん、もしくは家族さんが
読んで頂いてたら、
いま先が見えなくてつらいですね
不安でたまらないと思います
でも、
お互いに心配していること、
大切に思っていること、
かけがえのない人だということを
ちゃんと言葉で伝えあって下さいね


いまこんな治療をしているところ、とか
こういうとき実は心配してたよとか
あのとき言ってもらって安心したとか


夫は何を話しかけても「ああ」とか「おお」とか「大丈夫」「頑張る」しか言いませんでした
会話にならなくて、詰問したい訳じゃないのにと悲しくなりました
言葉で伝えることは大切です
それがうまく行かなかった私が言うのは説得力ないですが
ぜひお試しください


それから
寒いですから
私のように風邪をひかれませんよう
みなさん、よく食べ、よく寝て
手洗いうがいをしましょうね





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