ボン珍2017 旧き良きモンマルトルにて | 不思議戦隊★キンザザ

ボン珍2017 旧き良きモンマルトルにて

午後はメトロに乗ってモンマルトルへ。モンマルトルにはいくつか駅があるが、メトロ12号線のドアに「アベス駅のエレベーターでトラブル多発!隣のラマルク駅かピガール駅をご利用ください」と注意事項が貼ってある。昔から歓楽街であるモンマルトル一帯は観光客が多く、そういったカモを目当てにスリやら署名詐欺やらイカサマ賭博やらが横行しているのである。
それにしてもエレベーター内のトラブルってなんだよ・・・。強盗かなあ、怖いなあ。エレベーターには乗らないことにしよう。と多少ビクつきながらラマルク・コランクール駅で降りる。階段で地上へ出て、さらに駅出口の階段を上ると・・・

 

この階段を上って

 

わあ!雰囲気違う!

 

可愛いおうちが並んで、なんか雰囲気いい~~~!!なにここ、素敵~~~!

 

緑が多い

 

一体どんなひとが住んでいるんだろう?

 

夜は危険地帯だけど、昼間は超観光地

 

そしてこの坂の途中にあるのが、かの有名なキャバレー「ラパン・アジル」である。

 

19世紀から続くキャバレー

 

パリ名所としての看板も立ってます

 

夜はシャンソニエとして営業、いまでも現役です!

 

ルノワール、モリディアニ、ピカソといった綺羅星のような芸術家たちが集って飲みかつ歌った場所だ。そしてモンマルトルの画家と言えばユトリロ。ユトリロはラパン・アジルを何枚も描いた。

 

21世紀のラパン・アジル

 

ユトリロ描く19世紀のラパン・アジル

 

近くにはこれまた有名なラ・メゾン・ローズ

 

19世紀半ばまで、モンマルトルはブドウ畑の広がる小さな村であった。パリ市に併合されたのは1860年、折しもパリ大改造真っただ中、中心地から引っ越しを余儀なくされた芸術家連中は、家賃も安く酒も安い場末のモンマルトルに集まってきたのである。その面影を求めてマダムはここにやってきた。ブドウ畑を見渡せる高台に建つ「モンマルトル美術館」である。

 

パリ唯一のブドウ畑!

 

美術館のトレードマークは当時の人気役者、アリュスティド・ブリュアンの後姿

 

ブティック兼受付で日本語ガイドを借りて、いざ出陣!!!

 

かなり気合の入った無料パンフレット

 

モンマルトル美術館の歴史とか

 

地図とか

 

なぜか日本のポスターが紹介されてたりとか

 

うわあ、なんじゃこりゃああああああ!!!なんて素敵なお庭なのおおおおおぉぉぉおおぉおお!!

 

お庭が3つある

 

アーチを抜けて向こうのお庭へ

 

バラのアーチが!!もう咲いてないけど!

 

ピアノが!!自由に弾いていいって!

 

キャーー!広い広い!

 

美術館に入る前に、まず驚かされるのがお庭の美しさ!建物自体が丘陵に建っているので、お庭も階段を使って小さなお庭に降りることが出来、まるで秘密の花園みたい!

 

お庭にはオブジェが!

 

階段を下りると

 

秘密の花園みたい!

 

眼下には先ほど通った坂道とブドウ畑が広がり、その向こうにラパン・アジルが見える。夢のようだ。

 

ブドウ畑が素晴らしい

 

右手に見えるコーラル色の壁がラパン・アジル

 

18世紀に建てられたこのアパルトマンでルノワールは「ムーラン・ド・ギャレット」を描き、シュザンヌ・ヴァラドンと
息子のユトリロが長らく生活していた。

 

こちらはブティック兼受付

 

さあ入りましょう!

 

世紀末のモンマルトルは特別な場所であった。キャバレーが次々と開店し、フレンチ・カンカンが流行り、夜の歓楽街にボヘミアンたちが集まった。エリック・サティはバーでピアノを弾き、ロートレックはムーラン・ルージュのポスターを描いた。モンマルトルは不夜城となった。

 

シャノワールに飾られていたポスター

 

ムーラン・ド・ラ・ギャレット(ダンスホール)のポスター

 

当時のバーカウンター

 

バーで使われていたピアノ

 

伝説的なバー「シャ・ノワール」の売りは影絵芝居であった。その影絵芝居に使われた亜鉛版も展示されている。

 

結構デカい

 

影絵芝居の舞台裏

 

これが思ったより分厚くてしっかりしているのでびっくり!そのうえ精巧なのである。全体的にオリエンタルな影絵風景で、平面なので浮世絵的なのである。もっとはっきりジャポニズムを現しているポスターもあって、たぶんゲイシャを描いたのだと思うが、当時はこれがイケてる流行だったのである。

 

こんなポスターが何枚も

 

そして夜のモンマルトルに君臨したのが売れっ子歌手のアリスティッド・ブリュアンであった。ロートレックは彼を描き、そのイメージを永遠とした。ブリュアンについては森茉莉が言及しており、最盛期のジュリーをブリュアンに見立てているところを見ると、大変色気のある男だったと思われる。

 

参考:ロートレック描くブリュアン

 

そしてモンマルトルといえばフレンチ・カンカン!今でもムーラン・ルージュでは欠かせないショウとなっているダンスは、モンマルトルで誕生した。足を高く上げてスカートを蹴り上げ、嬌声を響かせて楽し気に踊るフレンチ・カンカンはモンマルトルを代表する名物である。フレンチ・カンカンだけを扱った部屋もあった。当時の踊り子たちの写真が飾られている横のスクリーンで、映画「フレンチ・カンカン」が流れていて思わず泣きそうになった。なぜ泣きそうになったかというと、大好きな映画だからだ。監督はルノワールの次男ジャン・ルノワール。ジャンは世紀末のモンマルトルをノスタルジックに描いた。

 

あああ~~~、好きなんじゃああああ~~

 

外の景色を見て心を落ち着ける

 

その他、ポスターはもちろん、シャ・ノワールのガイド、食器類、当時のモンマルトルの写真、ボヘミアンたちの写真、シュザンヌとユトリロの写真なども展示され、小さいながらも濃厚な空気感に包まれた美術館であった。モンマルトル美術館に一歩入った時から、マダムの大好きな美術館になった。あまりにも真剣に鑑賞してしまって疲れたため、お庭のカフェで一休みすることにする。

 

空の青さと雲が絵画みたい!(暑い)

 

乾いた喉にレモネード

 

空は晴れ渡って暑いけど影は涼しくて、お庭は綺麗で誰かがピアノを弾いている。この時間が永遠に続けばいいのに、と思った。とはいえ、マダムのスケジュールはパンパンである。適当なところで切り上げて、次の目的地に向かおう。また次回、ここに来よう。

 

バイバイ、ブリュアン!また次回ね

 

さて、次の目的地はボン・マルシェである。セーヴル・バビロンまでメトロで移動し、ボン・マルシェの食料品館で土産を物色。テキトーに土産を買い、サンジェルマンまで歩くことにする。ウィンドウショッピングしているうちにディナーの時間になるだろうから、今回の旅行で絶対行きたいと考えていた「ル・プロコープ」で食事でもしようと目論んでいたのである。ところが。

炎天下を歩いているとまたまた喉が渇き、テキトーなカフェに入ってミントソーダを飲んでしまったのである!!

 

だって喉が渇いたんだもの!!座って一服したかったし!

 

マダム、うっかり水っ腹。炭酸で無駄に腹が膨れて固形物は食えそうにない。もう19時になるのに!仕方がない、一度ホテルへ戻って荷物を置いて、近所のブラッスリーにでも行くか。って昨日も思ったんだよな。で、結局面倒になったんだよな。ホテル戻ったら絶対面倒になるよな。

 

ボン・マルシェで仕入れた食料

 

案の定、ホテルに戻ると何もかも面倒になり、チョコクッキーをかじってディナーとしたのであった。




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