ボン珍2017 巡礼の街 ル・ピュイ | 不思議戦隊★キンザザ

ボン珍2017 巡礼の街 ル・ピュイ

朝食は8時であった。普段のマダムは起床が8時だ。しかし旅行中は別である。なぜなら目を覚ませばフランスだからだ。人生でこれほど素敵なことがあろうか?ルンルン気分で支度する。普段のマダムはルンルン気分どころか、半醒半睡で無表情のまま巧妙にプログラミングされたロボットさながらに支度する。そんで、すぐバグる。でもここはフランス!バグってる暇なんてないの!軽い足取りで1階へ下りる。普段のマダムは朝っぱらから軽い足取りなんてあり得ない。特に夏は毎朝ゾンビである。

 

先輩も早起き出来ました

 

1階へ下りて朝の挨拶をする。「Bonjour!」。っくううううぅぅぅう~~~~!気持ちいいぜ!と心の中でガッツポーズしながら食卓へ着く。テーブルには定番のバゲットとバター、数種のコンフィチュール(ジャム)、カフェオレボウルになみなみと注がれたカフェ!いっただっきまーす!

 

湿度がないので朝が気持ちが良い

 

驚いたことにコンフィチュールは先生のお手製とのことだった。えっ、先生コンフィチュールとか作っちゃうの?スッゲー!これは何?えっ、イチゴとミント?じゃあコレにしよう。あっ、美味し~~~い!ほんのり甘くてミントの風味が良いアクセントになってるね!えーと、次はアプリコットにしよう。わあ、これも美味しい!果物の自然な甘さが詰まってるね!ってな感じでいろいろと感想を述べたかったが、定型文以外のフランス語に不自由なマダムは「トレボン」「トレボン、オッシ」くらいしか言えないのであった。

朝食のあとはレッスン3時間。頭を使うとお腹が空くよね。お昼はオレリアの用意してくれたヘルシーな昼食。食後の一服が終わったら、エルベとオレリアの案内で午後の観光へレッツゴー!わくわく。

 

この細い道を抜けて

 

ル・ピュイの街は高低の差がけっこうある。なぜかというとこのあたり一帯は火山地帯で、特にル・ピュイの中心部は火山の上(玄武岩)に乗っかっている街なのである。といっても火山はとっくに死火山なので街が乗っかってても安心なのだ。

 

古い建物と新しい建物が混在している

 

あちこちが坂道

 

日本と全く違う街並みが面白い

 

広場には噴水が

 

カラフルな窓がカワイイ

 

坂の頂上が大聖堂

 

玄武岩の切り立った岸壁上の頂点には大聖堂がそびえ、岸壁の斜面にル・ピュイの街が広がっている。

 

山裾に広がる街

 

正面の建物がオフィス・ツーリズム

 

昔は地酒工場だったという建物

 

アパルトマンの側面にトロンプ・ルイユ(騙し絵)が

 

こちらは区教会

 

ル・ピュイは手編みレースの産地としても有名らしく、なんとレースの専門学校もある。

 

レース専門学校

 

そしてもうひとつ、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の出発点の街でもある。街の中にホタテマークが目につくが、これが巡礼のシンボルである。ホタテマークのついている場所は何かしら巡礼に関する施設で、例えば宿泊施設であったり食堂であったりする。巡礼手帳を持っていると、安く食べて泊まれるのである。

 

ここからゴールまで1522km

 

で、どんな巡礼をするのかってーと、まあ、歩くよね。一日では無理だから何か月もかかるわけだ。その間に宿泊した街や村で巡礼の証明として公式スタンプを押しながら長い道のりを歩く。目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)にたどり着いたら証明書を発行してもらえる。この証明書が、昔は免罪符的な位置づけとして考えられていたらしい。

似ている。四国八十八ヶ所に似ている。巡礼ってどこにあっても形態は同じようなものなのだろうか。マダムのママも一時期巡礼マニアで、もう3回くらい周ってる。葬式のときには御朱印帳を忘れずに棺に入れてくれ、これされあれば閻魔さまの心証が良くなるから!とママは力説するが、その本心を見抜くのが閻魔さまではなかろうか。巡礼っつったってツアーでバスに乗って周っただけじゃん。衣装は揃えてたけどさあ。

四国八十八ヶ所めぐりは全路バスで周れるが、サン・ジャックの巡礼路は路線や国道をはずれている道も多いので全てをバスで回ることは出来ない。どのような道か知りたいひとは2005年制作の映画「サン・ジャックへの道」をオススメする。

 

旧市街の路地

 

中世の壁が残ってます

 

可愛いおうちの脇の通りを通って

 

坂を上って

 

小さな門に昔の名残が

 

本気でかくれんぼしたら面白そう

 

門の向こうにマリア像が見えます

 

なんかもう全部素敵

 

こちらに到着

 

さて、街を紹介されながらプラプラ歩いて向かったのが「Le Cloitre(回廊)」である。11世紀~12世紀に建てられ、ル・ピュイの宝物庫も併設されている。手入れの行き届いた四角い中庭を回廊が取り囲み、回廊の隣には当時の会議室(?)があり、会議室には壁画が残っている。非常に静かでまるでZEN。どんな場所か見てみたいだろう?

ここで残念なお知らせ。撮影オッケーにも関わらず、暑すぎてデジカメの調子が悪く一枚も撮れてなかったのである!!ショーーーーック!ということで、パンフレットからの画像を無理やり載せよう。

 

ものすごく静かでした

 

柱の装飾がそれぞれ違うんですよ!

 

ゴジラ先輩も気に入ったようです

 

2階の宝物庫には宗教画、司教のマント、小物類などが詳細な説明付きで展示されていた。詳細といっても教会関係の専門用語ばっかりなのでさっぱり分からない。そんなときに便利なのが先生である。「これは何か」と聞くと、途端にガイド顔負けの説明をしてくれる。なんて素晴らしいんだ!フランス語だけど!でも分かりやすいように簡単な単語を使って話してくれるので理解できる!理解できる自分にも自信がつく!ような気がする!ってな感じでモチベーションが上がり非常に好循環なのであった。

 

続いてマリア像に上った。ル・ピュイには高台に作られたモニュマンがいくつかあるがマリア像もそのひとつで、高台に16メートルもある巨大マリア像がそびえているのである。牛久大仏のようなものだと思っていただければだいたい合ってる。

 

岩山の頂点に巨大マリア像

 

参考:牛久大仏とその他の比較

マリア像はガンダムと同じくらいか

 

またまたパンフレットから失礼

 

外観はオレンジ色

 

大きいことはいいことだ

 

クッソ暑い中、ふうふう言いながら頂上に上って見渡すと、高台なので見晴らしが最高。ル・ピュイの街が一望である。「マリア像にも上れるけど、上る?」とエルベが聞いてきたので「モチのロンよ!」と答えると「じゃあ、いってらっしゃい」と言われたので、ひとりでマリア像に上る。あ、ここでもデジカメの調子が悪かったので写真は少ない。

牛久大仏はエレベーターで上れるらしいが、マリア像は螺旋階段であった。この階段が急なうえにめっちゃ狭いので、もしすれ違うことがあれば途中の踊り場(?)のような場所でどちらかが待たなければならない。誰かが降りてきたら面倒だなあ、と考えていたが上って降りるまで誰一人いなかった。猛暑日の午後(40度近かったと思う)、マダム以外にマリア像を上る酔狂者はおらんのか!おらんかった・・・・。

 

螺旋すぎる

 

途中途中で窓があるので写真を撮るが、空しか写らない(このあたりからデジカメ復活)。ってゆーか、狭いし足元悪いしで窓のそばまでいけない。ってゆーか、ちょっと怖くなってきた。

 

写真撮る気力もなし

 

マリア像の首あたりで螺旋階段は終わり、そこからはなんとハシゴであった!!

 

誰が上るんだよ!こんなハシゴ!

 

ちゃんと花が飾ってある

 

こえええよ!危ねえよ!カメラ片手に上れるわけないじゃん!とマダムはハシゴを諦め、もと来た螺旋階段を下りたのであった。降りながら思ったが、螺旋階段って上がるときより降りる方が怖いな。ガクガクしながら降りて地上に足を下したときは心底ほっとした。

 

iphonで撮ったゴジラ先輩

 

ところでこのマリア像だが、正式名称は「Statue N.D de France(フランスの聖母像)」、クリミア戦争でロシアから分捕ってきた大砲を溶かして鋳造されたものである。ってことで、なんと当時のロシアの大砲が無造作に転がっているのであった。

 

マリア像よりこちらの方をウリにしてはどうか

 

いっぱいあるじゃん!

 

ああっ、ちゃんと双頭の鷲の紋章が!!

 

マリア像に向かって祈りをささげる誰か(調べる気力なし)

 

マダム、マリア像より大砲に狂喜。打ち捨てられた大砲を囲むように野草が咲いているのが印象的であった。

 

 

 

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