なかなかUPできていなかった。3月議会の内容です。

(申し訳ありません。順次上げていきます)



この件については

■そもそも、予算が執行されるのかという点と、
(何年間も予算として計上されても使われていません)

■伝統産業に対しての市の関与のあり方が曖昧だ


という点から質疑をしました。

正直なところ
額としては非常に小さいもので、
もっと大きいところから見るべきだ、と言われると
ごもっともの部分はあります。


ただ、このように、実際使ってもいない予算を
毎年毎年計上するって額の多い少ないに関わらず問題なのでは?
組織として見直しが行われてないのでは?
という問題意識からの質疑です。

その点ご理解いただけば嬉しいです。



前置きが長くなりましたが、
まず前者の点について

この予算は平成20年から長らく執行されていません。

予算書には計上されているのですが、
実際は使われていません。

ですので、
使うなら使い方を改める。
もしくは使わないなら予算にしなくていいのでは?
という点から質問しました。


また、後者については、
伝統産業を保存するかどうかについても、
一定の説明責任が出てくると思います。


(儲からないものを全て廃止しろというわけではありません)


この伝統産業は残して、
この伝統産業は残さない。

ということになるのであれば、
そこに多少なりとも基準が必要だと思っております。

税金を投入するので。

その点から、
市として残すとしている河内そうめんと

最近廃業してしまった
他の伝統産業も踏まえつつ、
伝統産業へのかかわり方についても
今後は考えて欲しいと伝えました。



【質問】
伝統産業育成事業経費についてお尋ねします。
まず、この事業の目的、実績及び来年度の交付見込みについてお尋ねいたします。



【答弁】
本事業は、河内そうめんづくりにおける後継者不足の解消や、
伝統産業の振興及び活性化を目的とし、
河内そうめんづくりの技術伝承者及び
技術継承者に対し奨励金を交付するものであり、
平成21年度以降交付実績はありません。

来年度について、現在のところ、
河内そうめんづくりの技術伝承を希望されている方は聞いておりません



【再質問】

平成20年度を最後に、
河内そうめんづくりの技術伝承を希望されている方はいない状況であり、
来年度についても、現在のところ、この制度を活用は不明とのことです。


事務事業実績測定調書を見てみますと、
交付目標は2件とされておりますが、目標の達成は困難のようですし、
事務事業総点検のチェックリストにおいても、
終期の設定が可能と書いておりますが、
終期の説明欄に「伝統産業後継者の作るそうめんが
「河内そうめん」として位置づけられたとき」という
非常に曖昧でわかりづらい記載であり、方向性がよく理解できません。


今後、この事業も含め、
伝統産業への支援のあり方を見直す時期に
来ているのではないでしょうか。
お考えをお聞かせください。
 



【再答弁】

河内そうめんのほかにも、
本市には伝統産業として酒造業がありましたが、
平成24年3月に廃業されました。


河内そうめんづくりについては、
本奨励金制度を活用され平成20年度に巣立たれた方が、
現在、そうめんづくりを行っておられ、
独自に販売もされるなど一定の効果もあったものと考えております。


しかしながら、
河内そうめんづくり技術伝承者の方の高齢化等の状況もあることから、
今後、伝統産業に携わってこられた方の御意見をお聞きするとともに、
そうめんづくりに取り組んでおられる方の状況も見極めながら、
支援のあり方等について検討を行っていきたいと考えております。


【意見/要望】
伝統産業については、
どのように位置づけるかは難しい面もあるかと思います。

最近報道等にも取り上げられてもいた、
「河内そうめん」自体を否定するつもりはありません。

しかし、この事業に関しては、
予算を積んでも数年間執行されていないことを鑑みますと、
もはや実態がなくなっていると思われます。

今回、新産業創出支援事業の拡充にも取り組まれるとのことですので、
残すもの、残さないものについての線引きについて、
伝統産業への市の関わり方などについて、
今後、整理を行っていただくよう要望といたします。




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ちなみに、

河内そうめんの記事がこの時期(2~3月)に掲載されておりました。


大阪)「河内そうめん」の味、守る 米穀店の夫婦が奮闘



江戸時代から枚方市で続いてきた「河内そうめん」。農家の副業として受け継がれてきた味を絶やすまいと奮闘する夫婦がいる。同市津田西町で米穀店を営む藤井繁雄さん(45)と妻春乃さん(43)。同地区で長年作っていた家に弟子入りし、昔ながらの製法を習得した。製造者は夫婦だけとなったが、伝統の味をしっかりと守っている。
 「河内そうめん」は、江戸時代に誕生したとされ、同市東部の津田、穂谷地区などで農閑期の副業として始まった。大規模な機械は使わず、2日かけて仕上げる。天候を読みながら作業を進める熟練の技が必要で、技術は、個々の農家が代々受け継いできた。手作りならではのコシと天日干し100%の手延べが売りで、京都の料亭料理や贈答用として愛されてきた。
 市などによると、戦前までは、50軒ほどが製造していたが、戦後は都市化による専業農家の減少で急速に衰えた。農家の副業として製造していた軒数は、1991年には、8軒、06年には3軒、6~7年前からは1軒のみに。その1軒の穂谷地区の農家男性(77)も、腰を悪くして、昨春、製造を辞めた。




同じく江戸時代から続いていた
地酒は3月末で廃業しております。

昔は枚方市のサイトのフォトニュースというコーナーで掲載されておりました。



江戸時代から続く枚方市内唯一の造り酒屋「重村酒造醸」(穂谷3丁目)で、今年も新酒の仕込みが始まり、11月2日には早朝から三段仕込み(さんだんじこみ)と呼ばれる仕込みの2回目の作業が行われました。今回仕込まれた新酒は、銘柄「穂谷」の「一番しぼり原酒」「しぼりたて原酒」「にごり原酒」として、12月上旬からお歳暮や正月用の酒として重村酒造醸で直売されるほか、市内の酒販店・百貨店などに出荷されます。

酒米を放冷機の上に移す

蒸した酒米の香りが漂い水蒸気が立ちこめる蔵の中で、午前8時15分から作業がスタート。4代目の重村隆男さんが、直径約1.5m・深さ約1mの蒸し器で50分蒸し上げた酒米をスコップで放冷機の上にすくい上げると、親戚や近所の人など4人が丁寧に揉みほぐしながら熱を冷まし、酒母と水、麹が入っているタンクに仕込んでいきました。重村さんは「酒造りは米の出来や気候などの条件に左右されるため、毎年1年生のつもりでやっています。今年は米の出来が良く、気温も昨年より低いため、いい仕上がりになるのではないか」と期待を寄せます。

熱を冷ますため酒米を丁寧に揉みほぐす

重村酒造醸では、江戸時代から伝わる昔ながらの手作業で丁寧な醸造を行い、仕込み水には生駒山系地下水の良質な井戸水を使用しています。かつては、年間5万本の日本酒を出荷していましたが、ビールや焼酎、ワインなどの人気に押されて日本酒の消費量が減ったため、今では約1万本以下となっています。最盛期には、枚方・交野地域には48軒の造り酒屋が存在しましたが、現在、枚方市内の造り酒屋は重村酒造醸だけとなっています。