あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。

夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。

すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、

マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心党と呼ばれたシモン、

ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。
このユダが裏切者となったのである。

そして、イエスは彼らと一緒に山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などからの大群衆が、

教を聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。
そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。

また群衆はイエスにさわろうと努めた。
それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。

そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、
「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。
神の国はあなたがたのものである。

あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。
飽き足りるようになるからである。
あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。
笑うようになるからである。

人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。

その日には喜びおどれ。
見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。
彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。
慰めを受けてしまっているからである。

あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。
飢えるようになるからである。
あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。
悲しみ泣くようになるからである。

人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。
彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。

しかし、聞いているあなたがたに言う。
敵を愛し、憎む者に親切にせよ。

のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。

あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。

あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者から取りもどそうとするな。

人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。

自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。
罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。

自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。
罪人でさえ、それくらいの事はしている。

また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。
罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。

しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。
そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。
いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。

あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

人をさばくな。
そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。
また人を罪に定めるな。
そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。
ゆるしてやれ。
そうすれば、自分もゆるされるであろう。

与えよ。
そうすれば、自分にも与えられるであろう。
人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。
あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。













今、貧しい人、飢えている人、泣いている人、イエス様のために憎まれている人は、イエス様から憐れみを受けるので、幸いなのです。

この世の報いではなく、イエス様の報いを受けます。

貧しくて苦しんで死んだラザロは、慰められるのです。

今、富んでいる人、満腹している人、笑っている人、人に褒められている人は、憐れみを行わなかったので、苦しみを受けることになります。

富んでいる人が憐れみを行い、満腹している人が食べ物を分け合い、笑っている人が不幸な人を思い、褒められている人が自分の過ちを自覚するなら、今後来る苦しみから逃れることができます。

そのために、私たちは、敵を愛する必要があります。

イエス様に敵対するなら、必ず苦しみを受けることになるからです。

イエス様が来たのは、罪人を招いて悔い改めさせるためです。

罪人というのは、イエス様に従わない人です。

貧しくて救いを求める人たちは私たちと一緒に居ますが、富んでいて悔い改めない人たちを放って置いて良いとは、イエス様は言いません。

悪人が悪人だからという理由で滅びることをイエス様は望んでいません。

イエス様は誰でも救えるからです。

裁くならイエス様に裁かれ、罪に定めるならイエス様に罪に定められます。

許すならイエス様に許され、与えるならイエス様に与えられます。

間違っていて罪深い私たちにできることは、憐れんで許し合うこと、与え合うことです。

人はどうやっても正しくならないので、自分を正しいとする人は必ず間違いとなります。

自分を高くする人はイエス様から見て低く、自分を偉くする人はイエス様から見て価値がありません。