【起業物語 第1話】 ぽっちゃりで、ファッションとは縁遠い、パッとしない私

 

 

 

今でこそ私は、

和装イメージコンサルタントとして

ファッションや美容と同じく

 

女性を輝かせる仕事

をしています。

 

 

 

が、もともとは

だいぶ違いました…苦笑

 

 

 

 

私、上杉惠理子という人間を
知っていただき

 

自分らしい
自分だけの人生を送りたい
と願う女性に

 

何かヒントになればと

私の起業物語をお届けします。

 

 

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私の家族は
両親と弟と妹の5人家族。

 

東京の下町にある
町工場の次男坊で
英語教師だった父親と

 

茨城県の山村の出身で
高校を出てから
某百貨店直営の仕立て所の
和裁士として働いていた母

 

 

二人の間に、1980年に
私は東京で生まれました。

 

 

 

 

私が4歳まで
杉並のアパートに住んでいましたが
物心ついたときには
東京の西側 八王子に引っ越し
学生を終えるまでずっと
八王子で育ちました。


なので、「出身は?」と聞かれると
八王子出身と伝えています。

 

 

 

とてものどかな地域で
田んぼの脇の道を歩きながら
小学校に通っていました。

 

 

 

稲がすくすく育つのを
見ながら通い、


冬はしゃりしゃりと
霜を踏んで遊び、


春には、田んぼが
一面ピンクのレンゲ畑になるのが
とても楽しみでした。

 

 

 

 

小学生時代、好きだったことは

学校の休み時間に
男の子たちと遊ぶ
ドッジボールや手打ち野球。


一方で、
仲良しの女の子友達3人で
誰かの家でする
人形遊びも好きでした。
リカちゃんとか、
バービーちゃんみたいな。
布を買ってきて
服も作ろうとしていましたね。


あとは本が大好きでした。
上杉家は雷親父の父の元、
マンガ禁止だったので
ひたすらライトノベル。
または、怪盗ルパン。

 

 

 

勉強も好きでした。
両親に「勉強しろ、宿題やれ」と
言われたことがありません。

 


父親は教師という職業柄
勉強熱心でしたし、父の書斎には
ずらりと全集が並んでいました。

 

「新しいことを知るのは
 楽しいことだ」
とよく父は言っていました。

 

おかげさまで
勉強が嫌いと思ったことは
生まれてこのかた
思ったことがありません。

 

 

これは両親に
本当に感謝していることです。

 

 

 

 

ほどほどに色々できた子だった
と思いますが
ずば抜けて得意なものは
ありませんでした。

 

 


抜群に走るのが早くて
運動会でヒーローになる男の子

 

TV番組にも詳しくて
いつも笑わせてくれる女の子

 

学期末のお楽しみ会で
特技を披露してくれる男の子

 

顔も服もいつも可愛くて
一目置かれる女の子


そんなクラスメイトたちを
羨ましいと思っていました。

 

 

 

本当は目立ちたがりで
「すごいね」と言って欲しい、
子どもだったのだと思います。

 

 

 

そして
私にとても大きな影響を与えた人が
父の姉の娘、
従姉妹の洋子姉ちゃんでした。


私より一回り年上の洋子姉ちゃんは
宝塚歌劇団 月組の男役でした。

 

 

私は小学校5年生のときに
お姉ちゃんが出た
『ベルサイユのばら
 〜オスカルとアンドレ編〜』
(涼風真世さん主演)
を東京の宝塚劇場で観て
宝塚と出会います。


ストーリーよりも
舞台からくる圧倒的なパワーに
魅了されました。


誰かが私とお姉ちゃんを
比較をして何か言うことは
1度もありませんでしたが

 

私の両親も叔父叔母も
「洋子ちゃんはすごい」
「宝塚に入っちゃうんだから」
とよく褒めていました。

 

親戚が集まるイベントで
お姉ちゃんが来ると
その場の主役はパッと
お姉ちゃんになるのがわかりました。

 


華がある
場の主役になる


とはどういうことか
私はお姉ちゃんを見て学びました。

 

 


私は小学4年生からなぜか
ミニバスケットボールチームに
入ってしまい、
中学は先輩の誘いを断れず
超体育会系の
女子バスケットボール部へ…。

 

バスケは正直好きではなく
練習は恐ろしく厳しいし
補欠のまた補欠。


しかも辞める勇気もなく
部活引退まで続けていました。

 

 

 

部活漬けの中学生活の中
半年に1回、部活をサボり
宝塚の舞台を観に行くのは
私にとって特別な時間でした。

 

 

 

小さい頃からバレエを習い
背も高く、綺麗で
どこに行っても人に囲まれる
華があるお姉ちゃん。

 

 

小さい頃から習っていたのは習字で
メガネをかけて
背も小さく、ぽっちゃり体型で
パッとしない私。

 

 

中学時代の私にとって
洋子姉ちゃんは
近くて憧れの人なのに
雲の上のような存在でした。

 

 

舞台を観に行くと
楽屋に会いに行ったのですが、
会いたくて行ったのに
何を話せばいいのかわからず
もじもじしていました。

 

 

 

そんな私のターニングポイント
一つ目が高校受験でした。
 

 

次回に続きます。

 

 


きものは日本性の最強の負服!
ジャパネスク・ビューティ・クリエイター
上杉惠理子(うえすぎ えりこ)

 

 

 

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