愛の在る歌

愛の在る歌

アーティスト・マネジメント・プロジェクト “ai-R” 主催、kimkimの活動記録とその告知。

皆様、年の瀬いかがお過ごしでしょうか。

 

今年は、例年に比べて遥かにイイペースで大掃除を敢行出来まして(当社比)、充足感が高い年末です。

よい年を迎えられそうです。

 

 

ザッとではございますが、

今年も例年通りの、年末総決算ブログを綴っていきたいと思います。

 

2025振り返り

制作ディレクターと、マネジメント兼務になって2年目。

そうは言いながらも、だいぶマネジメントの比重が大きくなって来たなと感じる今年でした。

 

去年に引き続き、各地の帯同も多く、

たくさんの場所に行かせてもらった一年でした。

 

春先からは、安月名莉子初のツアーで、東名阪仙。

大阪からの戻りで、謎の行程でサンライズ乗れたの思い出として強すぎる(笑)

 

 

4月のツアーファイナルで、New Single「Horizon」発表

10月のM3でもNew Singleをリリースしまして、

2枚のシングルCDと、3曲の新曲をリリースさせて頂きました。

 

 

ZAQでは今年も海外渡航が多く、

7月と10月に上海、

8月にマレーシア、

11月にタイに行ったので、

今年は計3ヵ国ですかね。

 

 

国内イベントも、

マチアソビ徳島、

サカエスプリング名古屋、

アニエラ長野、

MINAMI WHEELで大阪…などなど

本当にいろいろな所に行かせて頂きました。

 

 

そして、だいぶ年恒例のようになってきましたが、

11月に安月名莉子ワンマン、

そして今年はクリスマスイブにZAQワンマン「KURUIZAQ」も開催しまして、

年末まで駆け抜けてきたなぁという印象です。

 

 

 

 

 

せっかくなので、それぞれが今年発表したMVで、気に入ってるのを置いておきます。

 

 

 

 

そんなかんなで、2アーティストと活動に従事しながらも、

制作ディレクターとして携わらせて頂いた楽曲も数知れず…

大半が、来年以降に日の目を浴びることかと思いますので、

また気が向いたら、どこかでまとめてお知らせします。

 

 

2025年のテーマ "チーム"

例年ブログで抱負書いてる割には、ぶっちゃけそれを意識して日々過ごすことも特になくて、

年末の総括ブログ書く頃には忘れてるし、

読み直して改めて思い返すレベルなんですが、

それでもいつも、その年を象徴するかのようで、

ちゃんと的を射たキーワードになってるのが驚きです。

 

今年は、年始の抱負で「チームの形成」について書いていたんですよね。

 

 

正直に言って、スゴくイイチームでやれつつある所と、

まだまだウマく行ってなくて、引き続き精査が必要な所とがいろいろあります。

 

特に、そこがまだウマく出来ていない所は、

どうしても自分のマンパワーに任せきりになり、

その分いろんな所に迷惑が掛かってしまうので、

今年の反省としても大きくあります。

 

こればっかりは、どうしても巡り合わせの部分もあるので、

思うようにいかない所も多いのは確かなのですが、

引き続き、イイチームメイトに巡り合えるよう、

いろんな形でトライしていくしかないですね。

 

年始のようなイメージ通りというわけにはいかなかったように思いますが、

一方で、収穫もスゴく多い一年でした。

 

特に、クリエイティブ面でイイカタチでやれそうなチームが作れつつあるのが、

今年の想定にもなかったような意外な副産物だったかもしれません。

 

 

アーティストを取り囲む環境も、刻一刻と移り変わる中で、

自分が理想を持って形成していくチーム、

また、求められて自分を呼んで頂くような新しいチームも、きっと増えてくると思うので、

来年も引き続き、「チーム」への意識を持って、お仕事に取り組んでいきたいなと思います。

 

 

 

余談ですが、もう一つ今年の思い出として、

11月にタイに行った時のイベントの時がスゴく印象に残っていて。

 

海外では割とあるあるなのですが、

現地のイベントの制作自体がなかなかで、

いろいろな所で様々な苦労が絶えない現場だったんですが…

ただその分、そのイベント自体を何とか成功させようという、

各アーティスト担当・マネジメントチームの想いがスゴく強く出てて、

それが「ワンチーム」感あってスゴくイイ現場だったなって(笑)

 

みんなで尽力してイベントが終わった後に、

現地の屋台とかでビールで乾杯したの、

スゴくイイ夜だったなって、今年スゴく思い出になりました。

 

 

来年も、そんな清々しくお酒を飲める夜を、たくさん過ごせるよう、

清々しい仕事をしていきたいものです…。

 

さて、年越しまであとわずかとなって参りました。

皆様、本年も大変お世話になりました。

また2026年も、引き続きのご愛顧を、心よりお願い申し上げます。

 

何卒、よい年をお迎え下さい。

 

 

PS

今年も例年通り、2025年の僕の個人的Best Songプレイリストを置いておきます。

 

 

今年は何か、音楽への向き合い方もまた取り戻ってきたなと感じれた。

何となくバランスが取れてきたのかなと思う。

 

来年もまた、素敵な音楽にたくさん出会えますように。

お祝いのコメントやご連絡等を下さった皆様、ありがとうございました。

遂に、不惑の一歩を踏み出しました。

 

祝日生まれのイイ所でもありますが、

今日は何となく予定入れないようにしていたものの、

結果的に、ただ仕事に始終する日常の一日と化しました。

 

これが不惑…(たぶん違)

 

 

年を取れば取る程、『この年になると誕生日なんて』と言われがちになっていくのは少し寂しいことですが、

どうやら去年も同じように日常を過ごしていたようで、

ちっとも書き進めれてない去年の誕生日ブログの端くれを一年ぶりに発見しました。

そのタイミングで書けないと、一生進まなくなるんだなと思った(笑)

 

せっかくなのだから、せめて誕生日における唯一の年課として、

このブログの書き置きを存在させ続けたいな、と改めて思うなどしました。

 

 

40に想うテーマ: 再現性

昨日のブログにたくさん書かせて頂きましたが、

30代の間で、本当に素晴らしい経験をたくさんさせて頂き、

その中で、“成功体験”と呼べるような感覚も奇跡的に得ることが出来ました。

仕事の経験値の上で、何事にも代えがたいことだと思います。

 

それを経験出来たのであれば、

それを経験出来たからこそ出来る次を、もっともっと実現していかねばと思うのが今です。

 

自分でも、生涯で初めて使うような言葉だなとも思うのですが、

ここからのテーマは、「再現性」が具現化出来るかどうか。

これが出来るか否かで、これからの自分の人としての評価がまた、天と地程変わってくるので、

自分なりの正解・失敗というのを、もっともっと具体的に検証していく必要があるなと感じます。

 

 

ここまで生きてきてようやく、

自分の得意なことと求められることが少しずつマッチしてきたような気がしていて、

これは自分ならではの動きだな、と思える瞬間も増えて来ました。

こういう時が一番冥利を覚えるし、たぶんこれが40代の自分を活かすんでしょう。

 

 

マネジメント面で評価を頂く声もありがたいことに増えて来ましたが、

自分がそれに向いてるとは思ってないとずっと言っていて、

(特にここのブログでは、昔程しょっちゅう書いてあります(笑))

なので今はやっぱり、原盤プロモーションの部分で貢献したい気持ちが一番強いです。

 

ただ、さすがにまだまだトライ&エラーが全然足りないので、

これからもっともっとこの打席数を増やして、

再現性・確率を高めていくというのが、

今の自分にとって何より大事な取り組みなのかなと思います。


 

 

原盤プロモーションだけを切り口っぽく書いてしまいましたが、

まずイイモノを作らなければ絶対に売れない、

は僕がスゴく大事にしてる信念で、

制作もPRも間違いなく一本の柱で繋がっているものです。

だから、今後もイイモノを作り続ける、がまず大前提です。

 

30代の頃も、自分が想うイイモノは、当時なりにちゃんと作れてたというのが少し誇れることで、

その柱を大事に持ってこれたからこそ、

40代、やっと次のステップに進めてるって感じがありますね。


 

ぶっちゃけ今の会社は、本来そこが主業務ではないはずなのですが、

僕が啖呵切って走らせてもらってる部分もありまして、

そこにリソース割かせてもらってる状況に感謝しかないです。

 

その上、今の会社で作らせてもらってる限りは、

まず間違いなくイイモノが作れるという、信頼も大きいです。

 

そんなありがたい環境だということも、真摯に胸に刻みながら、

この一年、一番頑張らなければいけないことだと、強く自負してやっていきたいと思います。

 

40代に想うテーマ

・後世

偉そうなこと言うつもりは全くないんですが、一応業界入って15年とかになりました。

相応に、イイ経験はさせてもらえたなと思います。

ちょっと前までは、ヒットの経験がなかったことがだいぶネックに思っていたんですが、

今いるありがたい環境のおかげで、そこもだいぶ払拭されてきたなとも思います。

経験値のバランスが、だいぶよくなってきたと言いますか…。

 

で。だいぶおこがましい書き方になっちゃうんですが、

このまま死にゆくには少々もったいないのではという気持ちが、そろそろ芽生え始めつつあります…。

 

なので、どういった形になるかは全く想像出来ませんが、

こういった自身の経験をちゃんと後進に伝えて、

後継を育てていきたいという気持ちがまた、大きくなって来てるんですよね。

 

 

まあ実際、本当に昔からその気持ちはあって、母校とかでもアピールしたりしてたのだけど、

経験値の少ない状態でやった所で何の説得力もないから、

己の経験値を積むことにもっと精を出せい、と封じられてきた過去もあります。

常勤講師の座に落ち着くには『もったいない』と。ついこの前も言われました(笑)

 

 

例えばそれぞれの現場の中で、ポテンシャルある若手の誰かに叩き込むぞ、

みたいな熱量もあるにはあるのですが、

実際、自身のワークバランスとの両立が非常に難しいことも理解していて、

40の内にすぐに、というのはなかなか難しいそうだなと。

なので40代の内に縁があれば…位の、長いスパンで見た課題の一つとして思っておきます。

 

 

・いつだって戻りたい場所。永遠にいたい場所。

お仕事で、大きなメジャー作品やアニメのタイアップ曲に関わらせて頂いて、

弊社のアーティストも、あれだけ大きなステージでワンマンライブを行っていて、

本当にスゴい所にいさせてもらってると思う一方で、

やっぱりライブハウス大好きで、新しいインディーズアーティストを知るのは本当にワクワクします。

 

年を取れば取る程、お仕事としての新人発掘に戻るのは難しいんだろうなと自負はしていますが、

心の新人発掘は、永遠にココに在ると思います。

 

だから、40代に限らず、一生レベルの話ですが、

いつかまたどこかで、自分が手に掛けた新しいアーティストをという想いは当然あります。

何より、昔に比べると遥かに、自分がしてあげれることが増えたとは思うので、

昨日書いた、自分がこの年で改めて取り戻した「野望」を、

自分が見つけたアーティストが、ちゃんと体現出来る所まで持っていくというのを、

この10年の内に、実現出来たらなと思います。



 

しかし、昨日改めてスゴいと思ったけど、自分がイイと思うアーティスト、永遠に変わってないんだ!

昔から僕のことを知ってくれてる人ほど、そこが全くブレてないことを褒めてくれる(笑)

15年もそれって、自分でもだいぶキモいなと思うけど、

ここまで来たらそれはきっと一生モンなんだと思う。

 

そういうアーティストをやってこそのkimkim。

kimkimっぽい。分かる分かる。

kimkimがやったら何とかなるんじゃ。

って、もっともっと言わせたいし、知らしめたい。

そこまでなってこその「新人発掘」でいたいよね。

 

 

 

40代の幸せについて考えておく

 

近年、自分の幸せについてぼんやり考える時間が増えた気がします。

それは恐らく、自分のリソース管理の話で、

わーくらいふばらんす…?とか難しい言葉はよく分からないけども、

限りある自分の時間の中で、どういった取捨選択をしたら、

自分における幸せへ近づける道なのかって、よく考えるようになりました。

 

ただありがたいことに、お仕事における環境は、

今の自分における一番をずっとやらせてもらってるので、

本当に何の不満もなくやらせてもらってます。

 

うーん、ちょっと仕事のボリュームがいろいろ多い位!(笑)

 

 

ただまぁ、ここまで独り身でやってきてしまったモノだから、

プライベートにおける幸せの在り方こそ、もっと大事に考えたい時期よね。

じゃあそっちに本気で向き合うんだったら、

ある程度仕事でセーブする部分も作った方がイイのか、とか。

 

 

とか何とか言って、仕事が充実してる現状、

こういうことを漠然としか考えられないウチに、時は過ぎ去っていきそうです。

 

 

去年もそうだったけど、担当アーティストのデビュー日が近い関係で、この近辺にワンマンを組んで。

で、自分の誕生日がだいたいこういう感じになるという流れが、

今年に限らず来年もそうなりそうな予感も(こっちの匙加減次第か…?)

 

しかしまぁ、それが終わればひと段落という所もあるので、

時間が出来れば、一息どっか遠出でもして、

そういうことをもう少しイメージしに行く時間というのも、作ってもイイかもしれないですね。

 

 

 

 

昨日30代の振り返りやったけど、30の頃なんて本当に昔話だなと思ったし、

あっと言う間なんてことは全然なくて、

ずっと濃かったなということを改めて実感する時間になりました。

 

40代の10年は、もっとあっという間に感じてしまうかもしれないけど、

でもきっと、30代よりももっと濃ゆい10年になることは間違いないでしょう。

だからこそこうして、自分と向き合う棚卸作業も、節目節目で大事にしていきたいものです。

 

長々とお付き合い、ありがとうございました。

引き続き、皆様には何かとお世話になることと思います。

不惑のkimkimも、どうぞ宜しくお願い致します。

今日もよき日でしたね。

 

全日本大学駅伝の熱戦にもしびれましたが何より、

メジャーリーグ史に残るようなワールドシリーズ最終決戦。

しかも日本人選手で、しかも元オリックスの選手が、

人間離れした活躍を見せてくれて、MVPを獲得。

そんなこと、未来永劫あるのかとすら思ってしまうような、歴史的な日になりました。

 

日中はそんなスポーツに湧き、

午後から仕事の現場に向かうという日常でしたが、

今日はちょっぴりセンチな、30代最後の夜でした。

 

せっかく、10年に一度の夜なので。

なかなかない機会ですし、この10年をザッと振り返ってみたいと思います。
書いてる内に日付が回る位には長くなってしまったので、書き留めのようなモノ程度に読んで頂ければです。

 

 

■30代の10年

30-31。2015-2016年

この時というのは、S社を辞めてフリーになると息巻いてから3年目。

NHKさんでディレクターとして勤めていた、『stageAce』の音楽サービスがちょうど終わったのがこの年の春のことで、

今思ってみると、自分において一番具体的なビジョンがなかった時期だったようにも思います。

当時、恥ずかしながら誇りに思っていた、『ai-R.』という屋号の信念を柱に、

とにかく様々なインディーズアーティストの、ありとあらゆることをやっていた覚えだけがあります。

いろいろと明るく頑張っていた時期だけど、お世辞にもウマくいってると言える事業もなかったし、

振り返ってみて一番キツかったかもしれません。

 

 

31-32。2017年

この年、まず自分で何か形を作ろうと思い、キッカケがあってレーベルを立ち上げ、初めて全国流通のCDを担当しました。

今聞いても、とてもイイ作品だと思います。 『Gleam』 よかったら聞いて下さい。

ただ当然手探りで、安直にウマくいくこともなく、ちゃんと失敗しましたと言い切れます。
アーティストにも迷惑をかけてしまったので、深い反省が残ってます。

 

それもあって、一回現状を全部手放した方がイイかもしれないと自身で思い始めたのと同時に、

環境での様々も同時に起こって、

当時業務委託で働いていた、映像制作会社と結婚式場の音響のお仕事を同時に辞めることにしました。
この時は、ここで自ら一旦転換期にして、次ウマくいかなかったらこの業界降りるしかないな、とまで思ってました。


今思えば、結果的にこの時の決断がイイように作用したと思います。

 

その後に一瞬働いたのは、当時バブルだった『SHOWROOM』を軸にした事務所での、

SHOWROOMサポートみたいなマネジメントで、

やってることはスクールみたいな段階だなと思ったけど、それはそれで楽しいことも多かったな。

ただ、社長とウマが合わな過ぎて、半年くらいで辞めました。

それでもひっそりとした音楽制作・マネジメント稼働は頑張って自力で続けてて、
その傍らで、お仕事として映像を作ることも増えたりして。
ずっと関わってたシンガーソングライターの復活MVを作ったり、東名阪ツアーしたり、手売りDVD作ったり、
地道ではあったけど、そういう活動に価値があるとまだまだ思えてたのがこの頃の救いだったな。

今見返してみても、自分で作ったMVで過去一気に入ってるのこれなので置いておきます。

 

 

 

 

 

32-33。2018年

そんな矢先、お世話になってた先生から連絡をもらって、マネジメントを探してるアイドルがいるから手伝ってほしいと。

言われて携わったのが、“馬事文化応援”…というとんでもないコンセプトのアイドル。
競馬場でライブしたり、様々な地方に行ったりとマネジメントっぽい活動が増えるのはこの辺りからです。
この前までは、何となくイメージがあって、自分が“マネジメント”に生きるとは思ってもみなかったです。


そんな中、自分のレーベルで、懲りずに2作目を作って。前作よりも圧倒的に売れなかった。
でも今聞いても、作品としてはやっぱり大好きなものを作れた自負がある。
(これはサブスク落ちちゃったので、興味ある人には余ってるCDをあげます)

この点に関しては、何もブレてなくて、今でもそこがよかったんだろうなとは思います(笑)


33-34。2019年
この頃にはレーベル活動もほとんどなかったから、リソース少し空いてるなと思った矢先に、
今度は親しい作曲家から相談(リプ)があって、
「かなまる」というアーティストのマネジメントも。ここから2年程担当することになります。

しかしこの前後位か、いろんなツテをたどって、専門学校の同期だった某T大先生から10年ぶり位に連絡をもらい、
この年の暮れに、TaWaRaという制作会社のディレクターとしても従事することが決まります。
至極分かりやすく、人生の転機というヤツが訪れました。


34-35。2020年
とんでもない肩書と名刺をもらい、徐々に制作ディレクターとしての稼働が増え始め、
緊張とワクワクが止まらない年始でしたが、音楽業界的には、未曽有の1年となりました。
ただまあ、イイ意味でゆったりした年で、逆によかったのかもしれないです。
いろんなことが、急にならなかったというかね。

しかし、会社のディレクター業務としていきなり、
某コスプレイヤーさんのCD制作に携わらせて頂いたのは驚きでした…。
これも結果的に、ディレクターとしての稼働だけじゃなく、インストアやPRの動きもあって、
入社一年でまさかのA&Rの動きするのか…と思ったものでしたが、
この振り返りを見てると、歴務的にそんなに違和感がないからおかしなモノです。


35-36。2021年
世の中が戻りつつある頃。ディレクター業務が忙しくなりはじめ、
約3年程お世話になった、アイドルのマネージャーを卒業しました。よく2年も並行出来たな…
この2年後にグループ自体解散することになりますが、今でも頑張ってる卒業生メンバーもいて、遠巻きに応援してます。

この年とにかく大きかった決断は、ここまでで述べ10年住んだ新百合ヶ丘のマンションを解約して、
渋谷区民になったことですね…。それから4年住んでますが、気に入ってるお部屋です。


36-37。2022年
ディレクターとして入社させてもらったのはTaWaRaという会社だったのですが、
会社自体がF.M.Fに合併することになり、
TaWaRaからスライドして、F.M.Fのディレクターになることになりました。
TaWaRaで担当してた作家だけでなく、F.M.Fの作家ともやり取りが増え、たくさんの制作案件を取り回していました。

そしてこの年、この10年の中でもスゴく貴重な経験が出来たなと思うコトがあったのですが、それは後述します。


37-38。2023年
F.M.Fの方に、当時まず業務提携という形で、ZAQ・安月名莉子というアーティストが入ってくることになり、
縁あって、基本僕が担当にということになりました。
ZAQに関しては、TaWaRa時代から作家とディレクターという立場だったので、その流れで。
安月名莉子に関しては、その前に制作として「BLUE CYALUME」という楽曲で携われた縁が大きかったかなと思います。

というわけでこの年からスッカリ、アーティストマネジメントの稼働が多くなります。
イベント出演は多い。音源制作もやる。ライブ制作もやる。


38-39。2024年
そんなかんなの一年があって、ZAQ・安月名莉子の2アーティストがめでたく正式にCAT entertainmentの所属に。
その流れで僕も、F.M.FだけでなくCAT entertainment・マネジメントの役職が増えることになりました。
働いてる会社は同じなはずなのに3年続けて少しずつ環境が変わっている…!

というわけでこの年はさらに、アーティストマネジメントの稼働が多くなります。
イベント出演は増える。しかも海外も多い。音源制作もやる。ライブ制作もやる。
しかし当然、F.M.Fとしての音源制作のディレクター業務もある。


39-40。2025年今ココ
気づいてみたら誕生日を迎えたもんで、今年の意識があるようなないようなですが、
ありがたくも、自分がやりたいと望んでるお仕事を、一生懸命やらせて頂いている環境です。


某企画で見た、10年の指数グラフを雑に作ったので、何となく置いておきます(笑)




振り返ってみるとなおのこと、よく生き残れたモンだと自分でも想います。

自分の決断と、いろんな人とのご縁がイイタイミングで繋がらなければ、

なかなかこうはならないと思います。

率直に、まだ悪運が残ってた30代だったんだなと。

 

しかし、生かして頂いたからにはの想いも、また自負もあるので、

40代、引き続き大事に生きていきたい所存です。

 

 

■30代 唯一の成功体験

30代前半でビジョンを見失いかけた時期もあったし、
あの頃を思うと、30代の内に何かを掴めるなんて微塵も想像してなかったけど(いや漠然とバカみたいにしてたのかな…)、
でも振り返ってみると、30代の内に奇跡的に、自分の中で成功体験を出来てたんだなと思えるお仕事が一つありました。

前にもここのブログでは書いていたのですが、この曲のヒットがキッカケです。

 

 

 

縁としては、弊社の所属作家のRINZOがプロデュースしていて、リリース前に相談をくれて本人と話して、
異例なんだけど、原盤プロモーションだけを手伝うという座組で協力しました。

様々なプロモーション系の各社さんにご協力をお願いして、条件を折衷してという役回りで、
ヒットの由縁としてはホント微力なものだったとは思いますが、結果的に売れてくれました。
それは、僕自身がというより、本人の頑張りと、他関係各所の皆様のご協力あってこそですし、
いろんな要素が絡み合って、やったこと以外での奇跡的な作用もあってのヒットだったとも思います。

ただ、このケースが何よりの成功例だと僕が思えたのは、
高瀬統也というアーティストが、レーベルに所属せず、自身の会社で原盤を制作し、
そしてそれがヒットしたという点です。
これは、以後目指されるべき一つのモデルケースだと思うんですよね。

このヒットを機に、以後の作品でもチームでプロモーションを頑張り、
第二のヒット・第三のヒットに繋げ、
本人の会社の規模も少しずつ大きくなり、今年は海外でのワールドツアーも成功させました。
今年はこの後国内のツアーも控えていますが、引き続き僕は出来る形で彼のサポートを続けていきます。


そんな高瀬統也の活動を見て僕は、忘れかけてた当時の何かを、一周回ってやっと思い出せたんです。
20代終盤の一番尖ってた頃の僕が、何を目指し、
そして、30代で何故インディーズの地道な活動にわざわざ揺り戻していたのか。


…こうやって自力で食えるようになるアーティストを世の中に増やすためだろうよと。


あの頃理想として思い描いていた、アーティスト自身が自らの力でビジネスをし生計を立てる、
それを今まさに体現出来ているアーティストの、ブレイクスルーに携われたというのは、
一つの成功体験と言ってもイイのではないかなと思えます。


40代の10年間がどうなるかは分からない。
ただ、この野望が20代の頃に湧いて、今もなお自分を支えている。
50になった時の自分も、このブログを読み返して、
どんなことがあったろうが、やっぱり曲がってなかったなって笑っててもらいたいです。


■この10年の音楽

この記事の想いは、時代的な背景がないと意味が半減すると思ったので、
最後にその点も少し書き残しておきます。

過去の自分への反省はつきないのですが、
とは言え10年前に頭抱えてたのは、時代的にどうしようもなかったのではと、今なら思える部分もあります。

時はサブスク黎明期。
でもCDは売れない。ライブにどう集客すればイイか分からない。…人が、グッズ・FCでマネタイズ出来るワケない。
インディーズで頑張るにしても、道と可能性があまりに狭すぎたんですよね。

しかし10年の月日が流れ、時代はサブスク全盛に。
昨今ではそのおかげで、新たな「原盤ドリーム」が生まれ、原盤の価値がまた上がったように思います。

これは、生まれた時から原盤大好きな僕にとってはスゴく恵まれた状況で、
残すべき結果への道筋もスゴく明確になりました。
時代の方から来てくれたといっても過言ではないかもしれない。



実際、そんな単純でもないし、おかげさまで新たな苦労が増えてるのも事実ですが、
どうすればイイか分からない…だった10年前とは飛躍的に状況が変わりました。


じゃあ10年後、同じことを言ってるかと言われたら絶対そうではない気がしますが、
少なくとも、今見えてる自分なりの正解を、引き続き辿る10年になれればと思います。

 

そんな次への想いを、誕生日の本日また、別で書き残しておきたいなと思います。