どんな少数意見も反映させるために、全国一区の比例代表制以外は
認めない…と急進的に民主主義を唱える意見がある。
こういった主張は古くからあり、すでに19世紀にJ.S.ミルが大選挙区で
有権者が候補者に順番をつける方式の比例代表制を主張している。
だが、この場合はどういうことが起きるだろうか。
1)オランダ下院は定数150で、全国一区の比例代表制である。
それで確かに多彩な政党が登場する。そのうえオランダではこの他、
政党名簿に順位がついているものの個人への投票も可能で、
一定以上の得票があった場合には優先的に当選となる。
ところが2006年11月の下院総選挙を例にすると、
ほとんどの有権者はその党の筆頭候補(首相候補)に投票するため、
名簿の順位が上がって当選したのは27人のみで、
しかもうち26人はもともと名簿順位が高くそちらで当選しており、
純粋に有権者の投票で順位が繰り上がって当選したのは
たった1人だという。
2)小選挙区比例代表並立制を日本以外で導入している国の例として
タイ下院があるが、ここでは比例代表125議席は全国一区で選ばれる。
すると、どうなるか。名簿の順位を決定するのはその党の党首や
幹事長・書記長はじめ党幹部である。少数意見を反映するはずの
全国一区比例区が、中央の意見を通す場になってしまう。
これはプーチン政権前期まで下院に並立制を導入していたロシアでも
同じことが言われており「小選挙区は地方の意見を代表する」いっぽう、
「比例区は首都モスクワの意見を代表する」といわれていた。
3)日本の参議院比例区も全国区であり、このブログの
読者の多くは投票したことがあると思う。
思い出せるだろうか。党名の横に虫メガネで見るような細かい字で
個人候補者が並んでおり、200人近い候補者のなかから
ひとりを選ばなくてはならない。
しかも有権者の多くは比例区ではなく、
街頭の掲示板にポスターが貼ってある選挙区を意識して
投票所に来る。
比例候補者やその関係者には申し訳ないが、
現実には比例区は付け足しである。
その結果、どうなるか。
前回の参議院選挙では、民主党でも自民党でも候補者の名簿を
「あいうえお」順で並べたため、「あ」で名前が始まる、
名簿の最初に置かれた候補者が当選した。民主党の候補者は
タレントということもあったが、党内トップ当選だった(民主党は
前回の選挙でも名簿の最初に置かれた「あ」で始まる候補者が
当選した)。
自民党の「あ」で始まる先頭に置かれた候補者はトップでは
なかったが組織が弱かったわりに当選を果たし、
しかも前回(6年前)は先頭に置かれ当選したやはり「あ」で
始まる別の現職議員は、名簿の2番目に置かれたとたん、
特に大きなスキャンダルなどなかったにもかかわらず、
票を5分の1以下に激減させて落選した。
これはオーストラリアにも実例があり、
投票用紙にABC順に候補者を掲載して選ぶ制度だったのだが、
先頭から「1,2,3…」と順番をつける有権者が続出し、
その結果として統計で見て、オーストラリア国民の
名前の分布と比べて、当選者議員においては、
明らかに「A,B,C…」に偏る現象が見られた。
4)筆者はある国際NGOの理事選挙に参加したことがある。
そこでの選挙(ネット選挙だった)は候補者名簿が配られ、
好ましい順をつけるものだった
(冒頭でJ.S.ミルが提唱したと紹介したものと同じ)。
しかし政党などはないし、各候補者の短い政見から
判断しなければならない。
なかには「野党」的な立場を強調した候補者もいたが、
全体としては同じような通りいっぺんの政見である。
しかも大半の候補者は
日本語版の政見など用意していないし、
日本人候補者もおらず、
日本語がわかる候補者は中国人1名だけだった。
そこで約20人の候補者に順番をつけるというのは正直、
大変な作業で、票を投じ終えるのに小一時間を要した。
しかも下位の順位付けは正直なところ不真面目に、
適当に判断せざるを得なかった。
以上の例はそれぞれバラバラに見えるかもしれない。
しかし「よい選挙制度、理想の選挙制度」を目指そう
として、上手くいっていないという点では、
一致しているのである。
3)と4)は、
あまりに複雑な制度に有権者が
置いてけぼりにされている例である。
2)は、少数意見の反映をめざそうとして
(政党単位ではそれは実現しているが、当選する候補者
・議員単位では)それが逆になってしまっている例である。
そして1)は、その双方である。
筆者の民社系の先輩である加藤秀治郎先生の
『日本の選挙』(中公新書)に、興味深い記述がある
(p74付近)。新聞の投書欄などによく見られる意見として、
「政党だけでなく候補者も選べる方が良い」というのがある。
だが同時に有権者がみな、そのように考えるのか、
わざわざ新聞に投書をする人は政治熱心な人に偏るのでは、
ということである。
あまりに選択肢が多過ぎる制度は
「情報コスト」の高い制度であり、
それはデタラメな投票を引き起こし
(筆者自身、国際NGO理事選挙の下位の投票は適当に、
デタラメにならざるを得なかった。選挙制度を
もう25年市井で研究した筆者でも、こうせざるを
得なかったのである)、
ひいては民主主義を成り立たせなくするのではないか、
…ということなのである。
個人的には、選挙は日常生活の中の、
あるいは政治全般のひとコマに過ぎないのだから、
多くても15程度の選択肢から1、
もしくは多くても2、3を選ぶ程度が
「情報コスト」の上限ではないかと思う。
かつての衆議院中選挙区制は、これに近い制度だった。
現在の衆議院比例区もこれに近い。
いっぽう衆議院小選挙区では、有権者が選択肢の少なさに
不満を持つことも多いと思われる。そして参議院比例区は、
3)であるが、「情報コスト」があまりに高すぎる。
この「情報コスト」についての議論も、選挙制度を語る際に
充分に意識してもらいたい。さもなければ
そもそも秘密投票である以上、有権者は投票に
責任を負わないのだから、デタラメな投票が横行することに、
歯止めが効かなくなるからである。それは最終的には、
民主主義そのものの空洞化と崩壊を、招き寄せかねないのだ。
以上の点から
「全国一区の比例代表制(しかも非拘束名簿式)」のみが
正しいというような急進的な民主主義論には、筆者は与しない。
「情報コスト」が低く、また投票がシンプルで分かりやすく、
かつ全国から万遍なく代表がされるような選挙制度、統治制度を
(それでも個人的には比例代表制のほうが優れていると考えるが、
目的に合致するならば小選挙区制を採り入れることも排除せずに)、
求めていきたいと思う。