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19歳の時、専門学校の2年目に一人暮らしを始めた。
理由はそれまで一緒に暮らしていた母トミコ(仮名)が
急に引っ越すと言い出したからだ。
母の新居からは通学もアルバイトも夜遊びも不便だ。
それに彼氏も一緒に住むというのだから絶対に嫌だった。
そんなわけで、学生の間は家賃の一部と学費は出すというので
花の(?)一人暮らしが始まった。
けれど、時代はバブル真っ盛り。
下手すりゃ今よりも家賃は高かった。
何も知らないわたしは、使い慣れた東急沿線で部屋をさがしたものの、
希望する【バス・トイレ別】がなかなか無い。
あと、キッチンが2口以上のガスコンロもなかなか無かった。
そんな中でどうにか見つかったのが自由が丘の古いマンションだった。
なので自由が丘に憧れて住んだわけでは決してなかった。
このマンションには結局3年程住んだのだけど、
家賃は近所の大家さん宅まで直接渡しに行き、
その度に30分以上も話を聞かなくちゃいけなくて、なかなかしんどかった。
最初の1年は母親からの援助とバイトでそこそこ潤った生活をしていたけれど、
いざ就職をしたら毎月手にするお金はそれまでよりずっと少なく、
どうにかボーナスで補てんして生活をしていたようなものだ。
時代はバブル。
でも、デザインだとか企画だとかの新入社員の給料はとても低かった。
残業も多く、へとへとになって駅に着く。
もう自炊なんて嫌、そんな時に月に1~2回通っていたのがこの店だ。
ピッティ
駅から家に帰る途中にあって、遅くまでやっている店だった。
自由が丘デパート、ひかり街に沿って歩き、熊野神社より手前
途中左手の路地にある。
かつて、このつきあたりの階段を上がったところは、自由が丘ミュー武蔵野館という映画館とスポーツジムの
エグザスが入る建物だった。
営業時間は昔よりも閉店時間が早くなったようだ。
以前は確か深夜1時くらいまでやっていたように記憶している。
扉を開けると階段があって、お店のフロアは半地下にある。
この雰囲気がなんだか好きだった。
それにしても思い出というのは不思議なもので、
もう何十年かぶりに訪れるお店は、「あれ?もっと広くなかったっけ?」
そう感じることが多い。
それが子供の頃のことなら納得なのだけど、大人になってからの記憶は
自分のサイズは変わっていないので、なんでそう感じるのだろう?
メニューを眺める。ここはもちろんアルコホルも置いている。
あの頃いつも頼んでいたものがまだあるのか確認する。
ここはお店の看板にもある通りスパゲッティのお店なのだけど、
わたしはなぜかスパゲッティではないものを頼んでいた。
果たして懐かしい料理と対面できるのだろうか?
(メニューは残っていた)
ドキドキしながら、当時はたしかお水を飲んでいたと思うけれど
アイスコーヒーを頼んだ。
お店の人に30年前に、夜遅くたまに来ていた話をする。
ご主人はもちろん30年分の歳は重ねてらしたけれど、
雰囲気もそのままだった。
アスパラサラダ ¥700
当時は木製のボウルだったような気もする。
なぜか家ではほとんど食べることがなかった缶詰のホワイトアスパラに
このお店で目覚めたのだった。
で、変わってなくて嬉しいのはこのドレッシング。
当時もこうして同じく3種類が自分でかけられるように出された。
わたしはここのアスパラサラダをこの左下のマヨネーズで食べるのが好きだった。
マヨネーズの味は当時と変わらなかった。
ハヤシライス ¥980
そうなのだ、わたしはここでいつもハヤシライスを食べていた。
思えば当時は外で食べるのはカレーよりもハヤシライスが多かった。
今はもう無くなってしまったけれど、ここよりももっと先に
「ピコ」という喫茶店があった。そこには休みの日のお昼にぶらっと出かけていたんだけど、そこでもハヤシライスを頼んで、
お店に置いてある雑誌を読むのが好きだった。
これも当時のまま、紅生姜は福神漬けだったような気もするけれど
同じく3種類を自分で好きに取るように提供された。
実際のところ、マヨネーズとアスパラ以外は当時と同じかどうかは思い出せない。
ハヤシライスはもっとソースがゆるかったような気もする。
でもこの空間で食べることこそ、意義があるのかな?そう思った。
30年経ってもこの場所にこうしてあって迎えてくれることってすごい事だよ。
代替わりもしていないし。
自由が丘にはあの頃、大学生が集う、賑やかで当時流行っていたお店はたくさんあった。
それでもそういうお店ではなくこのお店でひとり食事をするのが好きだった。
周りは近くのスナックやクラブのホステスさんとお客さんのアフターが多かった。
そこにひとり、ぼんやりと食事をすることが仕事の疲れを癒してくれた。
これからもお元気で。
美味しかったです。
ごちそうさまでした☆
ピッティ (パスタ / 自由が丘駅、奥沢駅、九品仏駅)
昼総合点-
マスターが言う通り、この一角だけは当時のままの雰囲気がまだ少し残っているようだ。