シフト作成後半部分、なんとか終わりました。
夜の閉店業務ができる人が、あと一人いたら、連休もできるし、シフト作ることも楽なのですけどね(・_・;
夕飯までに、時間ができたのだ、6年前の今日のブログを読んでいました。
6年前、そこから秀樹の思い出を、書き始めていたのです。
秀樹のご病気の後は、特にその同行を追っていました。
講演会の模様を、テレビで取り上げられることも、度々ありましたね。
録画して、何度も見ていました。
還暦のイベントでは、お子さんたちの姿も見られて、嬉しかったな。
5月17日お昼過ぎ、その一報を聞いた時、色んな思いが頭、心にありました。
その瞬間どこにいたかも、覚えています。
最後のコンサートまで観た、側にいたファンの方とは、まったく違っていたと思います。
すぐには、理解できなかった。
その日の休憩時間に、スマホを開き、事実だってわかって、号泣しました。
食堂のテレビでも流れていて、ああ…
でも
なぜか、ぽかーんと、した感覚があり、26日まで過ごしたと思います。
翌日かなぁ、出勤の駅の売店で、新聞をいくつも買い、おばちゃんに、秀樹のファンなの?と、聞かれ駅で泣いた事覚えています。
泣いていたり、またポカーンとしたり、気持ちが行ったり来たりの
日々でした。
ちょうど、私は肺炎で10日間仕事を休んでいたので、これ以上休みを欲しいと言えず。。何しろ
兄への腎臓移植を控えていたので、無茶をしないでくださいと、担当医にも言われていたので、葬儀告別式は、断念したのです。
その、断念したこと、すごく後悔はしていないです。
上手く言えないけど、行っていたら、自分は破壊していただろうな、あの後もずっと。
そう、破壊していたよね、秀友さんたちも、そうでしたもんね。
でも、お別れできなかったことは、事実です。
葬儀に行かれなかったことに、半分納得、半分後悔かな。
その後、青山葬儀所には、行きました。
斎場の中も、見る事ができました。
秀樹が、旅立たれてから、6年。
早いね、そんなに時間が経ったなんて、信じられないね。
結婚して、子供ができてからは、どんどん、秀樹から遠ざかってしまったけど、今また一緒にいる
気持ちです。
昔のコンサート映像なんて観るとね、どーっと色んな思いが押し寄せてくるね。
今秀樹のファンでいるみなさんの、それぞれの人生に、色んな時期に、色んな形で寄り添い、影響したのだろうな。
その形や、柔らかさ硬さ、大きさも、色々なんだろうな。
6年前も今も
変わらないことは、
西城秀樹さんありがとう
という気持ちです。
幸せにしてくれて、ありがとう😊
これからも、ありがとう😊
またね、🌈そら。