再会~奇跡 | ~心から心へ~父母の会OB通信
「再会」という記事をアップしたのは、2010年5月16日のことです。
書庫「本当にあったプチ泣ける話」の中でご紹介させて頂きました。
この記事に対し、親友のjunchan、nonchan夫婦をはじめ、数名の方々からコメントを
頂きました。
その中でnonchanは、こんなコメントを寄せてくれました。

「この先もきっとこのギターにまた巡り合えるような気がします」

私はそんなnonchanのコメントに感謝しながらも、心の中で思っていたものです。
(でもね nonchan  いくらなんでもそりゃ無理だよ。
その後、そのギターがどうなったのか、とにかく全く見当が付かないのだから…)

生き別れた子供が、今どこでどうしているのか?
もう、あの東京日本橋の後のルートを辿ることは出来ない。
おんぼろギターだから、すでに廃棄処分されている可能性の方が高いだろう。
いつか逢いたいけれど、それは不可能に決まってる…
そんな気持ちでした。


あの倒産から15年。
あの日本橋での再会から13年。
平成25年4月。


勤務先の部下の一人に、昔ベースギターを弾いていたというH君がいます。
H君とは仕事の話だけでなく、普段から音楽の話でも盛り上がることが出来ていました。

そんなH君が、4月~5月にかけてEテレ(教育テレビ)で放映された
「押尾コータローのギターを弾いたロー」という、ギターレッスンの番組に感化され、
嬉しそうな顔で私にこう言ったのです。

「最近は安いギターでもないかなと思って、オークションをチェックしてるんですよ」

私は危険だと思うことには一切手を出さない性格です。
オークションなんて危険すぎると思っていたので、これまで一度も見たことがありません
でした。
買うんなら、オークションよりもまだ楽器店の中古か、あるいはリサイクルショップで
見つけた方が確実だろうと。
しかし、H君の言葉を聞いて、(まあ、情報くらいなら見てもいいか)と思うようになり、
やっとヤフオクを見るようになったのが平成25年5月上旬でした。
とはいっても、やはり入札するような勇気も知識もなく、ただどんなギターが出品
されているのかを、たまに見るだけのものでした。


平成25年6月3日夕方。


単身赴任の部屋で、(また、ヤフオクでも見てみよう)と思い、携帯ネットを覗いて
みると、偶然にも「ヤマキYW25」という型番のギターを見つけました。
それは私が持っていたギターと全く同じ型番でした。
そして添付されていた写真には懐かしい全体写真がありました。
写真は全部で3枚あり、しばらく1枚目の写真を感慨深く眺めた後に2枚目を開きました。

その出品ギターのヘッドの表裏の写真が並んで写っていたのですが、裏側の写真には
ペグ(弦巻)を交換した形跡があったのです。
交換する際、それまで付いていたペグと、新しいペグとでは、ビス穴の位置が大きく
異なっている為に、最初のビス穴がむき出しになった状態の写真でした。
(ただ、携帯ネットで見ているので、写真が小さくて分かりづらい状態でした)

その写真を見て、私はハッとしました。
私もかつて(楽器店に勤務していた頃)、ヤマキギターのペグを交換したことが
あったことを思い出したのです。
しかもその際、ビス穴がむき出しになった状態になったことも思い出しました。


まさか?

同じヤマキ   同じ型番   そしてペグ交換の跡…

同じヤマキで同じ型番のギターなら日本でも何百本、何千本とあるかもしれませんが、
ペグを交換するというのは、相当珍しいケースだと思います。
かつて楽器店のリペア、パーツ販売部門にいた私には、経験からそう思えました。

ましてや、定価25,000円、実売20,000円程度のギターなのに、数千円のペグを交換する人
なんて、絶対にいないとは言い切れないけれど、そう滅多にいるものではありません。
当時、楽器店に勤務していた私でさえ、こんなのにお金をかける意味があるのかと
思っていたくらいですから。

そのギターは即決価格13,000円とありました。
正直、昭和50年に20,000円ほどで売られていたギターですから、本来であれば
それほどの値打ちはないのは分かっていましたが…
私は本能的にその即決価格で入札=同時に落札たのです。

それにしても…
本当に…お前なのか?それとも単なる偶然の「兄弟」なのか?
たとえ兄弟でもいい。とにかくこれは最後のチャンスかもしれないと思いながら。


平成25年6月5日夜


某運送屋の秋田営業所止めになっていた「荷物」を引き取りに行きました。
しっかりと梱包してあるその「荷物」を受け取り、車で自宅までの約15分。
何とも言えない気持ちでした。
そして帰宅し梱包を解きました。
丁寧に何重にもプチプチで巻かれているものを1枚1枚剥がして…
とうとう全貌が見えました。



お前だったのか。
やっぱり、お前だったのか。



ペグのビス穴も、ペグ自体も、すり減ったフレット、ボディの傷、凹など、すべて
見覚えがありました。
間違いありません。16歳からずっと一緒にいたんですから。


私は15年半振りに帰ってきたヤマキギターを抱きしめました。

お帰りなさい。よく帰ってきてくれた。
本当によく帰ってきてくれたね。
どうしようもないくらい、涙が溢れてきました。

そして、本当に久しぶりに弾いてみました。
不思議なものです。このギターを抱えただけで、出てくる曲は、最近弾いている
曲ではなく、、『あの頃』弾いていた曲でした。
今年38歳になるヤマキも、私の為に泣いてくれました。


私にヤフオクの存在を教えてくれたH君に報告したところ、彼からこんな言葉が
返ってきました。
『奇跡とは、人間が一瞬だけ神に匹敵する力を出すことだと思います。
この場合、みっちゃんのヤマキギターへの強い思いが奇跡を起こしたのだと思います』


私は思います。
奇跡は一人では起こせない…いつか必ず逢えると励ましてくれたり、情報を
くれたり、私がもう一度ギターをやってみようと思わせてくれたり…
いろいろな人達がいて、今の私がいます。
そんな「運命」という名の偶然が重なりあって、奇跡が生まれたんだと。

この場をお借りしまして、皆様に心から感謝いたします。
既にブログは辞めておりますが、今回だけは皆様にご報告の意味でアップさせて
頂きました。本当にありがとうございました。

※参考※
1975年(昭和50年)   ヤマキギター購入。
1980年(昭和55年)   リペア(ペグ交換)実施。
1996年(平成8年)    秋田に引っ越すも、ヤマキギターは埼玉本社のショールームに残す。
1998年(平成10年1月) 会社が倒産、秋田に持ち帰ることが出来ず、ギターと涙の別れ。
                その後、秋田県内で再就職。
2000年(平成12年)   出張先、東京日本橋でヤマキギターと再会、そして2度目の別れ。
2013年(平成25年)   6月5日 奇跡の再会。