もうちょっと時間があると思ったんだけどなぁ・・・
父が他界してからの母は私や妹が描いていた母とは全く違っていた。
当たり前だが、私は母の事は「母」としか見ていなかった。いつからだろう?「母」を一人の「人」として見るようになったのは?
何十年も、母がやっていることが当たり前の事で、母の考え方が当たり前の事だったが、気が付くと「母」という「人」を分析している自分がいた。
「母」がどのような「人」であるかは、Blogに書いても読んでいただいている方には「?」だと思うので、まぁ簡潔にいうと、超めんどくさい人であった。何と比べて変わっているというのはわからないが、少し変わっている(笑)。どちらかといえば、派手だけどちょっと上品で、見かけとは反対でめっちゃネガティブ思考。さらに自己中心型。そして自分の間違えはぜったいに認めない。
でもそんな母は、私の応援団長である。どんな時でも私を応援してくれる。(ちなみに応援団副団長はうちの旦那くん、そして団員はワンコ達。)
父の事に不満だらけで、死んでやるだの、気が狂うだの、父の事を責めるだけの母であった。妹も私も母の言葉を鵜呑みにして、そんな父と一緒にいるのは大変だろうと思っていた。しかし・・・実は父は全部我慢していたのだ。何も言わずに。ただ母は自分の理想の夫像ではない父を、ずっとずっと私たちが子供の頃から責めていた。そして妹がある日目撃した事実・・・母は父に対して「鬼」であった。
そんな母が85歳で一人暮らしを強いられる事になった。あんなに憎んでいた父が他界してしまい、遅ればせながらやっと同じ空気を吸うだけでも嫌だった父から解放され、母の思い通りの生活が出来る・・・と妹も私もそう思っていた。
ところが父が居なくなってからの母は全くのダメダメばぁちゃんだったのである。
まず母を襲ったのは、虚無感 そして高齢者の鬱。まぁ虚無感からの鬱なのか、鬱からの虚無感なのかわからないが、とにかく自分から「やろう」としない。
とにかく、「できない、できない」「わからない」「みたことない」「知らない」なのである。
私は何もできないかわいそうな老女・・・になりきってしまったのである。
言葉を選びながらなんとか前向きになれるようにとがんばってみたが、「私の人間性を否定するようなことを言う」と言われてしまった。
... 私が傷ついた。
思いつきで言っているわけでも、私目線で言っているつもりではない、できるだけ母が傷つかないよう、落ち込まないよう、言葉とタイミングを選びながら、声をかけたのに。
以前にも母に「あなたばじじ贔屓だから」と言われたことがある。どっちを贔屓するなんて、えっ?親でしょう?何?そうやってみていたの?
私には言葉がきついと咎めるくせに、本当にこういうところに自己中心的な性格が出てしまっている。
孫、ひ孫をかわいいと言ったのを、一度も聞いたことがない。孫たちがおばあちゃんの顔を見に行くといえば、めんどくさい、来なくていいのに・・・と言う。
母はとにかくかまってちゃんなのだ。そうだね、って優しく自分の事を肯定して欲しいのだ。綺麗だね、素敵だねっていわれたいのだ。そしてなんでもやってもらいたいのだ。
私もそうしてあげたいが、現実には無理がある。だってやってあげちゃうと、本当に待っているだけで自分からやろうとしない。
そのくせ、「やっちゃだめだよ」という事をやる。例えば... 母の住むマンションには温泉がついている。その温泉に母は午前4時くらいに行ってしまう。他の人が温泉に来始めるのは、早くても5時半くらいだ。その間に貧血で倒れたり、滑って転んでしまっても助けを呼ぶことができない。それなのに母は「わかっている、わかっている」と私の心配をうるさそうに封じる。しかしある日その心配が現実になった。
貧血を起こし、気を失う事はなかったが、ギリギリで脱衣所にたどり着き、そこで30分位座っていたという。それ以来、母は温泉を使わなくなった。
また脚立にのって、高いところの物を取らないようにと言ったのも、「わかった」といったのは口だけで、脚立を使い、転げ落ちてしまった。幸い畳で擦り傷が出来た程度ですんだが、これが骨折でもしたら大変だった。
そして今回、体調不良を訴える母に、とにかくタクシーよんで、すぐに病院に行くように何回も言ったのに、やっと病院に行ったかと思ったら、かなりの衰弱と脱水症状で緊急入院することになってしまった。さらにフラフラなのにナースコールをせずにトイレに行き、そこで転んで骨折をしてしまった。
そういう超めんどくさい母なのである。
母といっしょに夏を過ごすために(酷暑の日本の夏は高齢者の一人暮らしには命取りになりかねないから)帰国したが、母はまだ入院しているため、私は母のマンションで一人暮らしをしている。
もう少し時間があると思っていたのだが・・・退院した後の母の生活のためにバタバタと結構なスピードで色々な事をやり始めている。