釧路市大楽毛のトーチカ | 気儘堂主人のブログ

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大楽毛C5 
 釧路市の郊外散歩、今回はちょっと毛色の変わったところをご紹介します。

 太平洋戦争末期、北海道では根室半島から苫小牧市にかけての海岸線にトーチカが作られました。そのいくつかは戦後68年を経ても現存しています。釧路市にも5ヶ所ほどあるようですが、そのうち桜ヶ岡のものは、つい最近その存在を知ったので詳しい位置は判りません。新富士のものは写真にも撮ってあります(但し、故障したHDDの中ですが)。これは、JR新富士駅のすぐ東側にあり、住宅にも囲まれていて一見してトーチカであるとは判別しがたかった印象があります。
 これからご紹介する大楽毛の3ヶ所は容易に見つけることができます。

 ところで、トーチカとは分厚いコンクリートなどで作られた小さな要塞のようなもので、武器が一段と発達した現在ではロケット砲程度は装備してある程度は戦力になるでしょうが、機関銃が1、2問で銃弾にも事欠いた当時の日本ではどれほどの役に立ったのでしょうか?


トーチカ地図


 大楽毛のトーチカの地図です。向かって左側からA、B、Cとしました。(地図は拡大して見てください)


 まずAです。

大楽毛A2

 

大楽毛A3

  2010年、砂を採取する会社が周辺の土地を購入、掘り返したところ偶然発見されたそうです。周囲も私有地のため立ち入りは禁止です。長らく土の中にあったためか、保存状態は良好のようです。70年程度の年月で埋もれてしまい、忘れ去られてしまった存在です。
 

大楽毛A1

 
  右手に見える煙突と煙は、王子製紙釧路工場(現在は子会社)のものです。発見当時、数ヶ月で取り壊すと報じられましたが、未だにその姿を止めています。住所は、新野24-452になるようです。


Bです。

大楽毛B1

 Bは阿寒川の河川敷にあり、国道38号線の大楽毛橋の上り方向から見ることができます。阿寒川の河口にあると紹介しているHPがありますが、地図でも判るとおり阿寒川はこの先左手に大きく曲がり太平洋に注ぐので、河口と言う表現は問題があると思います。
 このトーチカはレンガ製だそうです。確かに他の2つや新富士のようにコンクリート製ではないので、風化が激しいようです。

大楽毛B2

 トーチカより海側に、JR根室本線の阿寒川橋梁があります。戦時、鉄道を守ることは最重要課題だったはずですが、鉄橋を挟んでのドンパチを想定したのなら可笑しな話ですね。住所は、大楽毛5-3-11になるようです。Aからは3,3㎞ほど離れています。


Cです。Bから約5㎞東にあります。(大楽毛南1-1-53)

大楽毛C3

 周囲には結構住宅が立ち並んでいます。銃口用の窓が海岸方向を向いています。ここは、中に入ることができます。

大楽毛C4

  入り口は背面にあります。構造材として木材が使われています。どうやら一部二階建てと言った感じにも見えます。
 

平面図

  内部は上図のようになっているようです。
 
 

大楽毛C5

 入り口水際にはゴミが散在していますが、思ったほどでも・・・(写真データ ISO6400、絞り3.5、シャッタースピード1/15秒=手持ち撮影では限界です。ブレブレですが、感じはわかると思います)。そして、この奥。窓のある部屋へ・・・実は、カメラにおまけについているストロボの使い方が判らないのです。・・・お察し下さい。

大楽毛C6

  右側の看板は、売り地の看板です。でも、こんなものがあっては誰も手を出しませんね。壊すには多額の費用がかかるでしょうから。売り主にとっても、近所の方々にとっても頭の痛い存在でしょう。
 中に入れるとは書きましたが、青少年諸君にはくれぐれも変なことに使用しないように。


 さて、実際の戦闘では使われることはなかったようですが、上述したように戦闘があったとしてどれほどの威力があったは疑問です。上述したように、それぞれの距離が3kmと5kmと離れ機関銃が1、2門では焼け石に水だったでしょうね。もっとも、敵機の来襲に鉄兜に竹槍、焼夷弾にはバケツリレーで応戦しようなんて真剣に取り組んでいた(勿論、大本営の幹部の誰もが負けを悟っていたはずですが)のだから、少しは近代的だったかもしれませんね。
 
 負の遺産ですが、大切に保存する価値があるのではないでしょうか。