旧阿寒町は、雄別炭鉱に支えられ人口は最大で22,000人(1962年)を越えましたが、閉山翌年の1970年には前年の17,574人が8,598人と半減、合併時の2005年には6,401人にまで減少していました。(人口はいずれも釧路市HPから)
布伏内は、阿寒本町の舌辛(シタカラ)地区と雄別の中間に位置し、雄別の坑口付近よりも平坦な地形のため住宅地としてかなりの人口があったようです。ちなみに、フブシナイはフプシュ=トドマツ、ナイ=川・沢によるそうです。
この地区には、3つの駅がありました。しかし、一番釧路よりの「古潭(コタン=集落の意)駅」以外は当時の時刻表には記載されていません。
現在の古潭駅があった場所です。
中央に写る建物は消防分団で、ここに駅舎があったそうです。線路跡は、1日に何台通るかはわかりませんが、2車線の舗装道路になっています。消防分団の真向かいに、真新しい郵便局が建っています。駐在所もありましたが、駐在さんもいなくなり警察関係のポスターが張られていました。
駅近くの道道222号線に面した商店、この地区唯一の商店です。近辺には、かつては商店だったろう建物が人気もないまま何軒か残っています。布伏内には老人施設がありますが、職員のほとんどがこの地区に住んでいる様子は伺えません。
古潭駅から少し北に向かうと、国道274号の雪渓橋が舌辛川と線路跡を跨ぎます。274号線は札幌と標茶町を結ぶ国道で、完成すれば道内では最長路線となるはずですが、ここ布伏内から西の白糠町間は工事中です。雄別炭鉱は、写真の左奥の方向になります。
古潭駅の次の駅「新雄別駅」のあった方向です。古潭駅の前の道路から直接いけるのですが、車を反転させる場所があるのか不安で現場までは行きません。過去に、そう言う状況での失敗があるので勇気がありませんし、助けを求めるにも熊や鹿ではシャレにもなりません。ですので、対岸からの撮影です。向こう側の護岸の一部に橋の土台があることが判ります。炭鉱で働く人々は、この橋を渡って通勤列車に乗ったそうです。一般旅客扱いがなかったので、駅舎はなかったとのことです。5、6年前に訪れたときには橋脚が残っており写真に収めていますが、ハードディスクが故障してしまい貴重な写真をお見せすることができません。
ところで、その通勤列車ですが、一度だけ阿寒駅か古潭駅で、停車中のディーゼルカーからみた記憶があります。旧国鉄と同じこげ茶色の小さな窓が並ぶ客車で、牽引機は覚えがありません。雄別鉄道の車両を調べても、機関車やDCはすぐに出てくるのですが客車については詳しい情報はありません。
新雄別駅対岸の住宅跡です。風鈴が残っていました、風を受ける短冊は色こそ褪せていましたが、きれいな形のままでした。炭鉱閉山後、産炭地振興策により多く工場が進出しましたが、炭住の一部はその社宅として転用されたのでしょう。
進出した工場の中には、某有名ハムメーカーもありました。また、ある工場では受け入れた中国人研修生が行方不明になったと言う騒ぎがありましたが、それも今は夢のようです。現在、産業廃棄物処理場が1ヶ所操業しているのみです。
秘境ラーメンとして有名な「真澄」です。布伏内線として釧路駅前から路線バスがありましたが、ここが終点でした(バスベイから撮影しました)。撮影当日は水曜日、定休日。ラーメンはおあずけです。こんな人気の少ない場所で営業が成り立つのかいつも心配になります。
左の奥も炭住アパートです。30数年前通りがかった際に、壁に「ハワイ」と大書きしていたと思います。手前の建物の入り口には、破れかかった縞模様の庇が残っていました。
この辺りを真澄町と通称したようです。「真澄」は店のオバチャンか娘さんの名前からと思っていましたが、地名だったのですね。
左の奥も炭住アパートです。30数年前通りがかった際に、壁に「ハワイ」と大書きしていたと思います。手前の建物の入り口には、破れかかった縞模様の庇が残っていました。
この辺りを真澄町と通称したようです。「真澄」は店のオバチャンか娘さんの名前からと思っていましたが、地名だったのですね。
真澄の向かい側は、幹部用の社宅街だったそうです。これも5,6年前には建物がいくつか残っていましたが、今は土台だけになってしまいました。手前のコンクリートの箱状のものは浴槽でしょうか。
真澄町駅も、新雄別駅同様通勤専用の駅で、舌辛川の対岸にありました。葦が一段高くなった草叢の向こうに構造物があります(拡大して見てください)。勿論、川を渡るための人道橋もあったのですが、こちらは跡形もありません。構造物の延長線上に橋と駅があったものと思います。
雄別炭鉱まではあと少しですが、訪れたのは2013年4月24日。道路脇に「冬季通行止」の看板がありました。大丈夫だろうとは思いましたが、今回は思い止まりました。心霊スポットとしていろいろ噂がありますが、何度か訪れていますが未だに身辺に何もないので、今年は行ってみようと思っています。30数年前の写真(勿論フィルム撮影)もありますので、暇を見てデジタル化してアップしますね。
雄別炭鉱まではあと少しですが、訪れたのは2013年4月24日。道路脇に「冬季通行止」の看板がありました。大丈夫だろうとは思いましたが、今回は思い止まりました。心霊スポットとしていろいろ噂がありますが、何度か訪れていますが未だに身辺に何もないので、今年は行ってみようと思っています。30数年前の写真(勿論フィルム撮影)もありますので、暇を見てデジタル化してアップしますね。









