【廃駅跡】赤穂鉄道坂越駅跡 | 3~10分あれば読めるブログ

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鉄道写真と競馬が中心のブログです。何かに特化しているわけではないので、サッと読めるブログということにします。

 今日はスマホの写真。ドクターイエローを撮ったときに寄った坂越駅でこの看板を見た。

 

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 千種川を渡った南側に観光名所があるが、私が注目したのは千種川の北、赤穂鉄道の二つの駅跡。もし見れるなら、と行ってみることにした。ただ砂子駅跡は見つけられず次回以降の課題となり坂越駅跡に行った。

 

 赤穂鉄道は現在のJR有年駅から播州赤穂駅を千種川に沿って走っていた軽便鉄道。赤穂から山陽本線へのアクセスを担っていたと同時に赤穂の塩を輸送していた。1915年に開業して鉄道のほかバス事業も行っていたが、1951年に現在のJR赤穂線が相生から播州赤穂を経て岡山まで開通。これにより役割を終えて廃線となった。廃線から73年経ったが、線路があったところはほぼ道路になっており、廃線跡をたどるには比較的易しい。国道2号線を通ると有年駅前交差点の直前に斜めに入る道路があり、そこから廃線跡が始まる。現在は千種川沿いは兵庫県道になっているがかなり狭い。千種川と山陽新幹線の名撮影地を経て坂越に入る。

 

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 縦で撮ったらアメブロではこのように表示されてしまった。さきほどの地図の位置にこのように石碑が立っている。赤穂鉄道の廃線跡の大半の駅跡にこのように石碑があるが、砂子駅跡は車で狭い道を通っていて必死だったので気づかなかった(あとで調べ直すとおそらく通過していた)。坂越駅跡は2車線のゆとりのある道路にあるのでわかりやすい。

 

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 別の面にはこのような説明がある。JR赤穂線は坂越の次は播州赤穂だが、赤穂鉄道は間に砂子駅があった。砂子駅は簡易な停留所だがこちらの坂越駅は結構大きな駅だったらしい。今も町の規模としては大きい。

 

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 これが用地。写真左が線路跡と思われるが、軽便鉄道で線路幅762㎜なので2~3線はあったと思われる。写真下部の自分が立っているあたりは駅舎だったかも。その奥も用地と思われる、車道が写真右だが見えないくらい幅が取ってある。軽便鉄道の駅にしては規模の大きな駅だったことがわかる。赤穂鉄道の初期は坂越港から姫路や大阪に向かう航路があったこともあり駅から坂越港に行くバスの発着もあったとのこと。

 数年前に国鉄高砂線の廃線跡をたどったが、全体の距離はこちらの方が短い。次回は車でなくて歩いて行ってみたいところだ。

 

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