米本さんがご自身のブログのコメント欄で次のように書かれていました。

 

文鮮明が金金金の男だということは、ナツミカンさんのhttps://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12143758061.htmlを読めば理解できる。

彼女の創作ではなく、文鮮明の言葉の紹介である。しかも典拠を示している。

 

そして、上記コメントで紹介されたナツミカンさんのブログ内容から文鮮明の発言内容を一部抜粋致します。

 

抜粋始め

『統一教会の会員は必ず万物復帰をしなければなりません。万物復帰をすることによって、皆さんは神に万物を献祭するのです。サタン世界の人々は自分を中心にして自分の利益を求めますが、私たちは神のみ旨のため、世界のために生きるのです。ここが違うのです。この世の人々は十一条(十分の一)捧げればよいと言っていますが、私たちは十一条でなく百パーセント捧げます。それを三年間しなくてはならないのです。たとえ非難され、反対され、ムーニーと言われ、唾を吐きかけられても、どのようなことがあっても行くのです。

イエス様の時代に、アナニヤという人がいました。彼は資産を売った代金の全部を捧げなければなりませんでしたが、それをごまかし、隠しておいたために不運を招いて打たれて死んでしまったのです。同じように、皆さんも万物復帰をするとき、自分勝手に使ってはいけないのです。自分のために使ってはいけません。かえって、万物復帰したものに、自分のものを少しでもプラスして捧げるのです。それが私たちの精神なのです。

抜粋終わり

 

上記抜粋部分のアナニヤが死んだ話は使徒行伝に記述されている逸話のことを言っているのだと思います。

 

「使徒行伝」5章1~4節

「ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

そこで、ペテロがこう言った。『アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』」

 

上記聖書箇所を素直に読めばそもそも持ち物を売った代金は自分の自由にして良かったとペテロは言っていることが読み取れると思います。

そして、神を欺いたことを問題にしていることが分かります。

 

上記の聖書箇所をもう少し詳細に解説いたしますと次のとおりです。

ところが、という言葉で始まっています。直前に登場しているバルナバが、畑を売って、代金を持って来たこととは裏腹に、ということです。このアナニヤとサッピラと言う夫婦は、代金の一部を自分たちのところに残したのに、全部持って来たと言って使徒たちの足もとに置いたのです。

アナニヤとサッピラの罪は、代金を全部持って来なかったことではなかったことが、ここから分かります。持ち物は残していても良かったし、売っても、その代金は自分のものにして一向に構わなかったのに、とペテロは言っています。この二人の悪は「偽善」でした。自分たちを人々に良く見せるために、嘘をつきました。この嘘をつく行為が問題であったことは特に聖書解説書の類を頼りにしなくても普通に日本語読解力を有する者であれば理解できるはずです。

 

 

ところが、文氏はお金を全額捧げなかったことが問題であると嘘を言っているわけです。

 

つまり、信者は聖書なんかちゃんと読まないから嘘ついてもバレねーだろうと高を括っているわけですよね。

舐められたもんですね、あなた方信者の方もゲラゲラ

 

だから統一教会は聖書は原理講論よりも格下の書物として取り扱い読むのであれば原理講論の方を読むことを勧められますよね。

それはきちんと聖書を読まれると統一教会の嘘がばれるからですよ。

実際、信者の人で聖書に精通している人見たことがありますか?

 

 

信者の方々、一刻も早く目を覚まされますように爆笑

 

 

 


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