NOT DEAD YET② | プロト・カルチャー

プロト・カルチャー

ROUAGEベストより マクロスからではない

ALSにかかったジェイソン・ベッカー


このアイスバケツが流行った時は

筋肉が衰えて生活に支障をきたす程度の認知度だったが


この映画を観た後ではとんでもなく

深刻で酷い病気だと意識を改めた


この映画を観た後だと

TVで見られたお祭り的な空気に

(やってる本人はそんな気はないのだろうが…)

違和感を感じ得ない


患者が口を揃えて言うのは

他の難病の方がまだマシだということ


アルツハイマー等はまだ治療法があり

進行を遅らせることはできるが


このALSは治療法も遅らせる事もできない

歩けなくなったり手が動ないくらいだったなら

どんなによかっただろう



全ての筋肉が衰える為


やがて喋る事もできない


やがて呼吸もできない


もはや生きているというよりかは

植物人間の一歩手前



現在ベッカーは目の動きだけで

コミュニケーションを取っているが

それさえもままならなくなった時は…



この映画は彼の半生をドキュメントしたものなので

15歳のプレイを聴くことができるのだが


15歳でおそらくアンプ直で

エディーに匹敵するような歪んだサウンド+

クラプトンの泣きをミックスしたプレイを聴いて


おもわず…『マジかよ…』


とつぶやくほど


だからこそ対比されるかの如く

この病気の酷さが強調される



ただマーティーがこの映画について

云っている事は


これは悲劇の映画ではない


音楽は素晴らしいということなんだ




中盤まではどうみても

悲劇でしかないのだが


後半、寝たきりの状態でも

首と顎の動きだけで音楽制作ができる

プログラムを駆使して作り上げたアルバムは


奇跡なのではなく人間の可能性…

信念が成し得た結晶


マーティーが前述した


音楽は素晴らしい


の一言はこんな状況でも制作できるんだという希望と

それを可能にできる衝動の根本が


音楽は素晴らしいの一言に集約されているだろう


彼の言った通りこの映画はお涙頂戴でも

ALSの悲劇や問題提起でもない

(もちろん研究・治療が進むことを望むが)



ただただ、希望と幸せが満ちている映画であり

ベッカーの『今』なのだろう


なので周りの観客に

涙している人はいないように思えたし


私はこの映画を観たから

限りある人生を無駄にしてはいけないとは思わない


もちろん無駄に過ごすのは嫌ではあるが

ある種、心のフラットさをさらにニュートラルに戻せた

という感が強く残ったのだ



それはこの先の人生において

希望を見い出せたのかもしれない…





当時の彼の愛機のレプリカが展示してありました




























PS.



映画の冒頭と最後に流れた

あの映像は一見悲劇性を強調させる

演出かもしれないが

私はそうは思わなかった…