1.治療家になるまで
プロのバンドマンを目指す傍ら
興味本位でマッサージの
アルバイトを始めたの
が始まりです。
学生時代はサッカーや柔道で怪我も沢山して
整骨院にはお世話になりましたが、
きっかけ全く違いました。汗
たくさんのバイト経験はしましたが、
その中で一番やり甲斐を感じたのが
このバイト。
向いていたのか、珍しく真面目に
働いていました
そしてすぐ半年も経たないうちに
ただのバイト小僧でも疑問が出てきます。。
・同じルーティンのマッサージなのに
良くなる人とならない人がいる
・どの施術者がしても良くならない人がいる
・少し押しただけて激しく痛みを訴える人
なぜだろう?
店では技術評価は良い方だったので、
テクニックの少なさが問題だと思い
他の店でも働きましたが解決もできず
マッサージでは自分の疑問は解決
できないと判断。
2年程で辞めることになります。
2. 整体学校へ
そして整体学校に意を決して進む事に。
解剖学、生理学・カイロプラクティック、
トリガーポイントも学びました。
しかし今考えたら
短期学校なので、知識やテクニックが
浅すぎるのと基本的なカラダの診方も
教わらない。
これではなんの意味もありません。
身になったようでなってない。
勉強したという満足感だけが残りました。
当時その学校では外部講師が整骨院の
先生で専門科らしい風格や矯正テクニックなど
みた私は、この国家資格を取れば今までの疑問は
解消できて、この先生みたいになれる??
そう思いました。
「やり出したら凝り性」の
私は、大きな夢を描き、
迷いに迷いましたが
奨学金を借りて学校に行く事を
一大決心します。
3. 学校生活
期待みなぎる学校生活。
整骨院でのバイトもはじめ、土日以外は
毎日夜間の学校に通います。
働く時間も削られるので収入僅か。
その分、必死で勉強はしていました。
※学校では柔道は必須科目。
柔道部で汗をかいてました。
いつかこの学校が自分の疑問を
解き放ってくれると思い。
1年。。2年。。
そして3年。。
やっとの卒業。
しかし。
あれ?
そうです。
柔道整復師では、自分の求めていた整体治療
というものは学べなかったのですw
期待したほどものではなかったですが、
このコツコツやってきた基礎知識は
必死にやってきただけあって
その先に生きていくことになります
4. 整骨院の先生へ〜
国家資格を取得。
新しく整骨院に就職しました。
そこは令和になっても今だに流行っている
カイロベットやボキボキ整体など、
整体色の強い整骨院。
当時、マッサージやストレッチが
多い整骨院の中まだ務めるには良い
整骨院だったのかもしれません。
(しかし、今思えばほんと浅い技術や
理論の数々でしたが。。汗)
そして、あのとき拭えなかった疑問は
まだそのまま。
というか、さらに増えていきました。
交通事故のムチウチ
ぎっくり腰
五十肩
頸椎症
頭痛
ヘルニアなど
全く変化しない人、その時変化はあるけど
すぐ戻る人、
変わらない人。。
どういうこと?なぜ?
色々な人を診るたびに疑問しか残らない。。
そんな悶々とした毎日を送っていました。
5. 〜出会い〜
そんな時に出会ったのが、
外部から講師として来た
とても強面の山端先生(通称、
ボスが教えるオステオパシーと
カイロプラクティックに
私の頭の中はお祭り騒ぎw
『これは面白い!』と興奮しました。
これだこれだ。
これが自分の求めていた治療だ。
約8年悶々としていた私にやっと
眩い光が差してきました
しかし、ここからまたこの治療の難しさを
知り、辛い日々を送ることになります。。泣
6.オステオパシーと
カイロプラクティック
このオステオパシーとカイロプラクティック
しっかり腰を据えて学ぶと深すぎる。。
理屈も分かってとても楽しいのですが、
テクニックも難しい。。
(実際カイロ以上にオステオパシーは触診が繊細で、
当時はその深さも気づかずに只ひたすら分かったつもり
で学んでいました。。)
ここでオステオパシーって何だろうと
思った方へ。。
簡単ですがご覧ください
7. 独立し開業
整骨院に就職してから
主任⇒分院の院長⇒独立
確かに以前より確実に成長はして
効果は出せようにはなりました。
しかし、この学んだ事をまだ消化しきれて
いない自分がいました。
そして数年がたち
また疑問が増えていきます。
いつも診ている方の身体に
変化が起こりにくい。。
あれ?おかしい。。
頭蓋骨がなかなか弛まない。
スラスト・アジャスト(ボキボキ)
しても関節の柔軟性が変わらない。。
結果がついてこず
また行き詰まっていきました。
7 新たなステージへ
そこで重い腰を上げて行動を起こした先は、
JOPAという団体がやっている
オステオパシー。
さらにレベルアップして
拭えない疑問の解消の為
勉強していこうと考えました。
それが私の実力の無さを露呈することに
なろうとは思いもせずに。。w
ここでは基礎からの順にセミナー
を受けていくシステムで、自分の
受けたいセミナーは遥か遠く先でした。
しかしその為にはコツコツやるしか
ないと思い前向きに始めることに
なります。
基礎といっても自分にはある程度
備わっていると自負はしていたし
やればすぐできるだろうと
少し余裕をかましておりました
が!
全くそうはいきませんでした。。
とても地味ですが、ひとつひとつの小さい
関節を動かしたり、皮膚の上に手を当てて
筋膜を感じて、さらにそれが何処に引っ
張られているか、、
さらに皮膚から・表皮・真皮・浅筋膜
・深筋膜など層に分けてを感じるなど。。
器用さを武器に生きて来たつもりでしたが、
すぐに上手くいく訳はなく
出来ない自分が情けすぎて
かなり落ち込みました。。
もちろん次の応用コースには進める
勇気はなく、傷も癒えた一年後に、
また1から同じコースを
受けることになります。
その間に馴染みのある内臓のコースなども
受けましたが、とにかく
基礎の難しさを痛感しました。。
これは半端な気持ちでは
乗り越えられない。。
今まで学んできたオステオパシーが
上手く出来なかったのは
この基礎がない
無さすぎたからだと
理解したのです。。
本当の治療というのは深すぎたのです
8 さらなる深みを求めて
そしてコツコツJOPAのセミナーを
受け続けていきます。
出来るようになり
楽しさも感じれる様
しかし亀並の成長スピード。。
その時、
オステオパシーの大学が
4期生の募
とんでもなく質の高い学校とは
知っていたので自分が行く
イメージ
行けば上達は早い!
必ず今より格段に上手くなれる環境がある。
そしてたくさんの国内外の講師から
本物を学べる。
それを聞いたとき
『もう行くしかないな・・・』
と思いました。
そう。質は高いのもありますが
学費も目ん玉飛び出るくらい高い。。
悩みに悩み、6年間という長い不安でしかない
道(未知)
9.最後に
巷にあふれる
似たような施術院だけには
なってはいけないし
同じように思われてはいけない
誠実に症状に向き合う姿勢!
という一心でコツコツ
歩んできました。
6年間という長い道のりですが、
明らかに成長し、患者さんに
反映できる結果もついてきました。
自分が悩んでいたことの答えも
この学校でクリアになり
やっと心から充実感を
味わえました。
まだまだ学びたいことや
伸びしろは沢山あるので
ゆっくり邁進していこうと思う日々です。
おしまい