マインドゲーム | クララの思うところ

クララの思うところ

ブログタイトル変えました。
旧タイトル「30女の思うところ」

元ニート、社会不適応者なクララが、

スピリチュアル、AC、発達障害などについて書いてます。
自分大嫌いだった私が、少しずつ自分らしく生きる記録。

※ペタ、いいね、は基本しません。

現在、クララの中での緊急会議中である。

記録のために、ブログに書いてみるが、かなりダークな内容になりそうなので、
精神的に不安定な方や心臓の弱い方は、スルーしてください。


最近、レイさんのヒーリングの話が出てこないな~と思っている方はいないと思うが、

実はレイさん休業中である。


1か月から2か月に一度は、レイさんにメンテナンスをしてもらっていた私は、急に一人になった。

鈍い私に自覚はないが、かなりすごいエネルギー不足を起こしていることは、ブログが書けないことにも表れていると思う。

自分なりに、気を付けてはいるつもりだが、どうも、あまり成果は出ていないようである。




そんなとき、Tさん(日本を代表するヒーラーの一人らしい)が、クララの近所にあるサロンを移転させることを聞いた。

最後に一度だけ、とセッションに行ってきた。


Tさん久しぶり(2年ぶり)にお会いしたけど、
なんといか……外見は、前回よりさらにすごい……(あまり詳しくは語らないことにする)
すごいヒーラーさんには絶対見えない。
霊感の強い人には「すごい」ってわかるらしいけど。
私は何もしらなかったら、絶対やばい人! って思ってたかもしれない。



その日の体調は、絶不調。

体調が悪くて余裕がなかった、と言えば言い訳にしかならないかもしれないけど。


私は、日本を代表するヒーラーさんのTさん相手に


「カウンセラーキラー」の牙をむいてしまった。




最初は実家のごたごたについて相談したのだが、Tさんはあまりアドバイスはしてくれず。

次に、「自分のこと」について話してみた。


「何をやらせてもダメで。好きなこと、得意なことが一つもなく、疲れやすく、無気力で、生きている意味があまり見いだせず、長生きしたくない」


と、普段思っていることを話したのだが。

Tさん曰く、それは「マインドゲームのロジックにはまっている」らしい。


Tさん「現代の情報や価値観に身を置いていると、誰でもそうなりますよ。そこからいかに内面の意識にフォーカスしていくかが大事なわけです」(うろ覚え)


Tさん曰く、Tさんの奥さんも「自分なんて」と思うタイプらしいのだが。

Tさんの奥さんは、Tさんのサロンでセッションをされている。
そのセッションに行った方の感想なども読んだことがあるが、その限りでは立派にこなされていると思う。

それに、なにより「結婚」をなさっているではないか!

クララにとって「結婚」とは偉業である!


赤の他人を生涯一緒に痛いくらい大事に思い、また大事に思われ、その気持ちを成就させるだけの愛情の深さとコミュニケーション能力。
そして、親戚へのあいさつやらなんやらの段取りをこなす遂行能力。
「結婚」をするだけでもすごいのに、「結婚生活」を続けていられるなんて、私には想像もつかないほどの「人間力」である。


これらは、私にはないものである。


そんな女性でも「自分なんて」と思うのなら、

私なんて、生きてる価値がないといか言えない。


↑とまあ、これがTさんのいう「マインドゲーム」で、心屋流にいえば「心の拗ね」ということになるのだろうけど。



ただ、心屋さんのブログに登場する「心の拗ね」を解除していく方々は、
みんな「最初から素晴らしかった」としか私には思えないのである。


Tさんの奥さんで言えば、
自分が修行をして、セッションができるまでになり、彼女を選んできてくれるお客さんがいること。
結婚生活を続けていられる人間的な力があること。

私が知っているだけでもこれだけの「すばらしいこと」に気が付いて受け入れれば、それでゲームセットである。

気が付かなかったとしても、彼女の素晴らしい能力が変わるわけではない。
「自分なんて」とおもったまま努力を重ね、たくさんの人を救っていくんだろう。

(つうか、みんなもっと「自分が素晴らしい」ことに気が付いて欲しい。私のためにも)


心屋さんのブログにでてくる女性もすべからく同じパターンである。


「自分なんて……」と思う人に「本当のダメ人間」はいないのである!



だが、これがクララに当てはまるというのがどうしても信じられない。

自分よりダメな人間は滅多にいない、というクララにTさんは「自分はいっぱい知ってますよ」と言ってくれたけど、


クララが自分よりダメな人間と認めるのは


「年齢40以上で、一度も働いたことがなく、友人もおらず、これといった趣味もない人間」くらいである。

この条件にあてはまる人間を一人だけ知っている。


叔母L子の息子である。
彼はニート歴もうすぐ30年になるはずだが、「親が死んだら働く」と言っているらしい。
けど、彼は自分が「ダメ」なんて思ってない。
自分は「一人前」と思っている。
クララには理解できないが。

そう、本当のダメ人間は、「自分なんて……」って思わないのである。



ただ一人、クララを除いては。



クララは学生時代、いかなるジャンルにおいても、100人生徒がいたとすれば、89番目くらいだった。
私より後ろにいる人たちは、知的障害があったりなんらかの事情を抱えている子たちばかりだった。
あるいは、別分野では突出した才能をもっているとか。

どんな分野でもなんの問題もない子の中では、ほぼビリ。

これが、「限りなく発達障害者に近い健常者」のつらさである。


「障害者」であれば、公的な支援を受けられるし、自分はこういう障害なんですと人に話して理解してもらうこともできる(ま、理解してくれない人もいるけどね)

けど、私はすべて努力で乗り越えないといけないのに、
私は「努力」ができなかった。だから自業自得だと自分を責めて生きてきた。


けど、私は一人で生きて行きたい。
できれば、人の役に立つ人間になりたい。


そこに自己不一致が生まれて、苦しいんだと思う。

こういうと、「人は生きているだけで誰かの役に立っているんだよ」という人がいるけど。

嘘つけむかっ」と思う。
そういう意味じゃないし。


それを一致させるためには、2つ方法があると思う。


1、ダメ人間だということを受け入れて、人の役に立ちたいとか経済的に自立したいとかいうこをときっぱりあきらめる。

2、「自分はダメじゃない」と思い込む。



心屋さんの「自分はすばらしい」という「魔法の言葉」は2番の手法だと思うんですよね。


「自分が素晴らしい」と「思い込む」ことで、本当に素晴らしい人は自分の素晴らしさに気が付く。
素晴らしくない人でも、素晴らしい人としてふるまうことで、結果が付いてくる。
そういうことだと思う。



アメトークで「ブスを受け入れられない芸人」という企画があったのだけど。
芸人さんたちが「ブスであることで、不利益を被ったことはない」「むしろ自分はけっこうモテる」という話をしいてた。
興味深いなあと思って聞いていた。

だが、しかし、彼らが「ブス」であるという事実は変わらないよね?

一度「ブス」を受け入れてしまった人間が、「ブスを受け入れない」側に行きたいと思って、それがかなうのだろうか?






どうよこの根深いクララのマインドゲーム??

クララがマインドゲームから解放されたらどうなるのか?

ダメなくせに図々しい、けど生きるのは今より楽な人間になるのか?

マインドゲームこそがクララを疲弊させていたとしたら、少しはなにかできるようになるのか?



つづく。

つぎは、このマインドゲームから脱却するための試行錯誤について。